報 ~ロイド・バクラーク~

 耳を疑った。

 セリス王女殿下が戻られたというのだ。


 昨夜、何者かの襲撃により、死の床にあった王女殿下が攫われた。

 当然護衛は就けていたが、高貴な身分の女性の寝室に、無骨な兵を何人も入れるのは憚られる。

 だが、暗殺の恐れがある状況で対策をしないわけにはいかない。

 結果、近衛の中でもセリス様就きを命じられて長いイーリアスを部屋に、部屋の外に何名かの護衛、そして寝室のある塔周辺をいつも以上に密に固めるという方針に決まった。


 だが襲撃は、あろうことか空からだった。

 未確認の竜騎士が強襲してきたのだ。

 考え得る限りを想定していた近衛騎士団でも、それは予想できなかった。

 如何に竜騎士でも、たった一騎では、成功の見返りよりリスクの方が遥かに勝ってしまう。

 それを押してまで強行するような手段ではないのは明白。


 手薄な寝室に直接乗り込むという、後先を見ない無謀ともとれる手段によって、我々近衛騎士団は三度目の辛酸を舐めさせられる事となった。

 王女殿下は攫われ、イーリアスが生死不明。

 何かの魔術を掛けられたらしい者達数名が意識混濁に、怪我人も数名。

 王女殿下に続き、陛下まで倒れられた状況でこの失態……我々の信用は地に堕ちた。


 近衛騎士団で捜索をという上申は、宰相に突っぱねられる。

 近衛は王城と王族の護衛が主任務の少数精鋭。

 人海戦術を基本とする捜索任務に駆り出すなど無駄でしかない。


 わかってはいた。

 それでも汚名を雪ぐ為にと上申したが、にべも無く断られた。

 団長に苦言を呈する宰相の瞳の中には、既に戦の炎が揺らめいていた。

 推進派にとっては捜索する意味など無い。

 このまま開戦に向けて動くものと、近衛の誰もが考えた。


 表向きは諸外国の工作となっている推進派による暗殺未遂のこともあり、このまま王女殿下は死んだものとして事が進むのではないかと思われたのだが、意外にも捜索は行われる運びとなった。

 どうも素性の知れない竜騎士に攫われたというのが問題だったらしい。

 身体の状態からして死は免れないが、それでも見つけ出す必要があると判断したようだ。


 ヴェルタ屈指の竜騎士隊を、小型の飛竜一騎のみで退けるという相手の実力から、推進派はどこかの国の手練であると考えた。

 正体不明の他国の竜騎士に、国内のいざこざの情報を奪われることを恐れたのだろう。

 しかし、僅かだが期待していた捜索は、派遣される者達が判明した時点で落胆に変わる。

 捜索部隊として名が挙がったのは、既に国境線に派遣されることが決まっていた王国軍第七師団と魔術師隊。

 将軍をはじめとする士官のほぼ全てが推進派の人間だった。


 これでは仮に襲撃者から王女殿下を保護したとしても、彼らの手に落ちた時点で王女殿下は殺される。

 更には暗殺に関してこの国で右に出るものはいない諜報部の殺しの狗どもまでが動くという。

 俺に言わせれば、これは捜索ではなく後始末だ。

 既に団長は、開戦後のことを考え始めているようだった。


 それから長い夜が明ける。

 捜索に関しての情報は全く上がって来なかった。

 まぁ穏健派の近衛騎士団に手の内を晒すはずもないというのはわかる。

 だが、王女暗殺が成れば、宰相をはじめとした推進派は大々的に公表するだろう。

 王女が殺されたと。


 それすらもないということは、逃げられたということだろうか。

 しかし空を飛んでいるとはいえ、魔術師や諜報部の人間が追跡しているのだ。

 竜騎士も待機している中、国境を超えて簡単に逃げられるものではないはず。

 一体どうやって?


 それに既に死が目前に迫っていた王女殿下、仮に逃げ切れたとしても情報を得るのは難しい。

 そんな王女殿下に一体何の価値があるというのだ?

 そんなことを考えながら何もできずにいる自分の無力を噛み締め、日々の仕事をこなす為に執務机に向かう。


 陽も高くなって日課の仕事も片付いてくる頃、部下が息を切らせてドアを開け放ってきた。

 普段なら上官の部屋にこんな入り方をすれば厳罰が待っているのだが、今回はそんな場合ではないと、慌てる部下の言葉で悟る。


 部下の第一声。

 王女殿下帰還の報。


 俺は混乱した。

 二度三度と問い質しても答えは同じ。

 色々な考えが頭を巡る。

 なぜ? どうやって? 偽者? 身体は? 答える者のない疑問が湧き続ける。

 そして詳しい話しを聞いていくと、更に驚くべき、信じられない報告が齎された。


 王女殿下は契約者と共に戻ってきた、と。

 混乱の極みにあった俺は、考えるのをやめ、すぐさまアレサンドロ団長の下に走った。

 団長は陛下の護衛に付きっ切り。

 陛下の寝室の隣の部屋で執務をこなしている。


 眠る陛下の負担にならぬよう、注意を払いながら入室し、団長に判断を仰ぐ。

 小声で団長に事情を説明すると、団長も俄かには信じられないといった様子だった。

 しかし、正面から城内に入ったということは〝血の証〟を立てたということ。

 偽ならそこですぐに取り押さえられる。

 そして契約者という後ろ盾があれば身体を癒し、今や推進派の手に落ちたと言える王城へ戻ってくることも可能だと思い至った。


 団長は指示を下した。

 王女殿下の意向に従えと。


 近衛騎士団は最低限の陛下の護衛を残し、すぐさま王城内の出入り口の封鎖と推進派の捕獲を決めた。

 王族とはいえ、セリス様は王位を継がれた訳ではない。

 王権保持者ではないセリス様には、近衛騎士団に命令を下す権限がない。

 本来であれば陛下の命令が必要であり、それがかなわぬ場合は摂政となった宰相の指示がなければ動けないのだが、団長は陛下の想いと王女殿下の決意を尊重したのだ。


 どの道、地に堕ちた信頼。

 これ以上堕ちることなどない。

 穏健派の近衛騎士団を疎んでいた宰相は、既に近衛の解体を仄めかしていた。

 失態を重ねた今、このまま何もしなくても、近いうちに近衛騎士団は解体され、推進派で塗り潰された組織に再編成される。

 この判断が間違いなら、俺達の首が飛び、近衛騎士団の解散が早まるだけだ。


 指示に従い、待機中の団員を各所に振り分ける。

 基本は三人一組、足りない場合は四人や五人で組ませる。

 私兵に劣るとは微塵も思っていないが、万が一はありえる。

 必ず複数で当たらせる。


 近衛騎士団は立場上、大規模な兵数は確保していない。

 その代わり個々の実力や士気は群を抜いていると自負している。

 数は心許ないが、一般の兵士には頼れない。

 推進派も混じっているので信頼できないし、ここぞという場面で背を斬り付けられる恐れもある。

 後は各々の技量でカバーするしかない。

 俺は副団長としてセリス様の下へと向かうことになった。


 正直、緊張している。

 陛下や王女殿下の前になら幾度と無く立った。

 しかし伝承の中にしか登場しない契約者……そして古竜と対峙するというのは、さすがに神経を削るものがある。

 戦い以外で手に汗を握るなど、久方振りだ。


 古竜とはどんな存在なのか、本当に伝承の通りなのか、契約者とはどんな方なのかと思いを巡らせながら廊下を進むと、見えてきたのは黒光りするような光沢を放つ、竜の背中と尾。

 大きさはそれ程でもない、生まれて数年も経たない子供の飛竜くらいだ。

 その大きさだから城内にも入ることができたのか。

 向こうもこちらに気付く。


 想像していたのとは違った。

 思い描いていたのは伝承に語られるような、雄雄しく巨大な竜の姿に、凛々しく荘厳な竜の姫。

 国々を滅ぼした恐怖の象徴と、竜人の母たる母性と戦乱の世を戦い抜いた強さを秘める聖女。

 しかし目の前にいるのは……まだ小さく、穏やかな光を瞳に湛えた竜と、普通に町で見かけるような人間の少女だった。


 少女が竜の傍らで手綱を引いている。

 間違いは無いだろう。

 一体どんな人なのか……?

 そんな思いを顔に出してはならない。

 無礼があってはならない。

 団長にもきつく言われている。


 そして……古竜。

 最古の竜種であり、神に次ぐ知識と力を持つと云われる、〝統べる者〟。

 人語を含む様々な言語を操り、人間の国を幾度と無く滅ぼした記録を残す、力の権化。

 見た目は子供の飛竜のようだが、王女殿下が契約者であると言ったのなら、その力は計り知れない。

 絶対に、何があっても、機嫌を損ねるわけにはいかない。


 過去の例では、ただ言葉を交わそうとしただけで怒り狂ったこともあるらしい。

 なるべくなら視線も送らず、言葉も最低限にすべき。

 礼を守りさえすれば……そうは思うが、やはり未知の相手。

 こちらの理が通じるのかもわからない。

 背中には嫌な汗が流れる。


 向けられる少女と古竜種の視線。

 扉の前の少女と古竜の前に進み、跪いた。

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