目覚めた王女

「様子がおかしいな。ちょっと失礼……」


 目を覚ましたはいいが、どうも受け答えに違和感がある。

 現実が見えていない……というよりも、心ここにあらずといった感じが一番近いだろうか。

 それを訝しんだメリエが静かに歩み寄ると、イーリアスがやや嫌そうな目を向ける。


 無防備な王女に誰ともわからない者が無遠慮に近寄ったので、無礼者とでも言いたいのかもしれない。

 が、状況的に口にすればまずいことになると理解していて視線だけで抵抗した、といった様子だ。

 メリエは気付いているようだったが、イーリアスの視線は無視し、王女の横にしゃがむと顔を覗き込んだ。


「あら……その素敵な銀髪……もしかして、シャノン皇女……? 綺麗になったわねぇ……いつ以来かしら……」


 白狼獣人姿のメリエを見た王女は、やんわりと儚げに笑いながらそう呟く。

 もう身体は完治しているはずなので悲観する必要は無いのだが、病的な痩身で横たわりながら笑みを浮かべる姿はとても痛々しい。

 メリエは王女の言葉には反応せず、王女を観察し続けている。


 にしてもメリエをどこかの国の皇女に間違えているようだ。

 今のメリエの美しさからすると、さもありなんと思えてしまう。

 獣人の国とかだろうか……?


「……クロ。王女を癒すのに使った竜語魔法はどんなものだ?」


「前にアンナを治したのと同じ身体を癒すものと、ポロの毒を消した時に使った解毒の術だね」


「それは精神にも作用するのか?」


「ううん。今回はそういう効果はないはずだよ。毒が抜けて体力が戻れば勝手に目覚めると思ってたし、体を癒すだけ」


「そうか……ということは……」


 メリエは顎に手を当てて考え込む。

 何かまずい失敗をしただろうかと思い返してみたが、癒しの星術は前から使っているし、人間に使っても異常が出たことは無い。

 毒を消す星術も前にシェリア達に使っても問題なかった。


 星術を失敗してこのような状態になっているということはないだろう。

 メリエは夢見心地といった表情で笑っている王女の目の前で、何度か手を振ったり、指を動かしたりしたあとに立ち上がる。


「メリエさん。セリス様は……」


「知覚や認識そのものに異常はない……となると恐らく、長い眠りによる記憶の混乱だ。重傷を負ったショックや、長く意識が無かった者に見られる症状だな。

 私は医者ではないからはっきりとは言えんが、普通は一時的なものだ。クロが身体も癒したし、毒も消したのなら、そうした外的要因ではないだろうから、少しすれば落ち着いて意識もしっかり覚醒する」


「え? でもさっき……」


 レアは首を傾げて疑問を口にしかけたが、その内容を察したメリエが被せる。


「レア殿の自問に反射的に答えただけだろう。或いははっきりとしない意識の中で、寝言のように発した言葉かもしれん。本人に自覚が無いかもしれないから、あまり信用はできないかもしれんな。

 それを聞くにしても、ちゃんとした覚醒を待つ必要がある」


「おー。メリエよく知ってるね」


「今回はたまたま似たような症状を知っていただけだ。さすがに医者や治癒術師には及ばないが、ハンターでも少しは外傷治療の知識が無いと困るからな。

 ハンターは生傷の絶えない仕事だし、誰もいない未開地に入ることもある。治癒術師が傍にいればいいが、そうそう都合よくはない。薬草があってもどういった場合に使うか、どう使うか等がわからなければ何の意味もないし、一人でもある程度できるようにしておかなければならん」


「なるほど、御尤も」


 現代地球では、怪我を高速で癒すという技術は無い。

 勿論手当ては行なわれているが、それも二次的な障害を防いだり、感染症を予防したりするためだ。

 魔法のように怪我そのものを即座に無かったことにできるような治療は存在していないだろう。

 最終的に傷を元通りにしていくのは、生物が持つ自然治癒力である。


 しかしこの世界では魔法によって高速で怪我を癒すことができる。

 場合によっては王女のように、意識不明の状態から一気に完治というレベルまで治療することもできてしまう。

 普通なら体が治っていくのと同じくらい、ゆっくりと意識や精神も回復していくはずが、身体だけが急速に回復し、精神の回復が追いつかずにこうした症状が現れてしまったのかもしれない。


 専門でもないし、よくは知らないが、現代地球でも頭部を強打したりすれば意識混濁といったことは起こるので、この世界特有の症状ということはないはず。

 しかし癒しの星術でこうしたことが起こるというのは自分では思い付かなかった。

 知識として知っていても、それを活用できるかは別問題だ。

 そしてそれは意外に難しいことでもある。


 頭でっかちと言われる人間がいるように、知識は豊富でもそれを活用できない、実践できない人間もまた多くいて、若く経験が浅い者に多い傾向がある。

 年若いのに色々と知っているメリエの経験と知識に感嘆しつつ、それを自分の力として使いこなす様に、改めて尊敬の念を抱いた。


「クロ、ポロ、少し下がっていてくれ。この状態の者に強い精神的ショックを与えるとパニックを起こすことがある。竜種の姿はショックも大きいだろう」


「ん。わかった」


「(わかりました)」


 ポロと顔を見合わせると、なるべく音を立てないように王女から距離を取る。

 王女の視界に入り難いように首を低くし、ガサガサとカラムの傍まで離れて伏せの姿勢で待つことにする。

 ポロも隣で座り込んだ。


「……色々と大変だな。クロ」


「仕方ないよ。ライカみたいに人間の姿でも自在に術が使えればいいんだけど、そうもいかないからね」


 目覚めてすぐ目の前に巨体の竜がいたらそりゃあ驚くだろう。

 人間の姿になっておけばそれは防げるが、星術の関係もある。

 放った刺客が戻らないとなれば、次の手を早々に切ってくる可能性もあるのだ。

 油断はしない方がいい。

 とにかく大人しくして無害な飛竜を演じなければならない。

 これは下手に喋るのもまずいので、必要の無い時は黙っていようと思った。


「さて、どうするか……ハンター仲間なら遠慮なく水でもかけて、その刺激で意識をはっきりとさせるんだが……ちょっと乱暴にすぎるな」


 メリエは王女の手を握るイーリアスに視線を向ける。

 確かに水をかけて一気に目覚めさせるのは有効かもしれないが、王女に対してそれをやったらさすがに不敬に当たると懸念したようだ。

 イーリアスはその辺に厳しそうだし、さっきの嫌そうな目のこともある。


「クロさんに竜語魔法で治してもらえないですかね?」


 スイが提案してみると、それにイーリアスが答えた。


「いや……この状況でいきなり意識を覚醒させても、混乱は避けられないでしょう。こういう時は慌てずにゆっくり言葉を交わし、安心させればいいはず……そうすればじきに意識もしっかりしてくるかと。

 ヴェルウォードの御息女にもお手伝い願えますか? 貴殿らはセリス様とも親しかった様子……セリス様も心許せる者と話す方が落ち着く筈……私よりも状況に御詳しいでしょうし、説明もしやすいでしょう」


「はい、任せて下さい。セリス様、もう身体は大丈夫ですからね。もう少しで動けるようになりますよ」


「あらあら、スイったら……昨日も、スイ達に教えてもらいながら、武術の稽古をしたじゃない……忘れてしまったの?」


 スイとレアは王女の横に座ると、安心させるような穏やかでゆっくりとした口調で話しかけ始めた。

 王女も時折言葉のキャッチボールが成立していないようなことを言うこともあったが、安心した表情で受け答えをしている。

 パニックの心配はなさそうだ。


「では、そちらは任せよう。アンナ、白湯の用意をしておこう。それから少しでも口に入れるものを」


「はい。じゃあ干し果物を茹でてすり潰しましょう。風邪を引いたときによく作ったんですよ。ちょっと待ってて下さいね」

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