一幕 ~カラム・ミクラ~

 信じられない状況だった。

 真顔で誰かに話そうものなら、正気を疑われる、そんな有り得ない光景。

 一度、俺の全てを壊した伝説の怪物、古竜種を引き連れた少女達と、それと同じだけの力を持っているらしい正体不明の狐人の姿をした何かが、パーティーを組んでいる。


 その気になれば大国を片手間に滅ぼせるだけの力を秘めた怪物が、少女達と行動を共にしているということも驚きだが、それだけじゃない。

 戦闘とは無縁と思えるような少女達が混じるパーティで、国の中枢から王女を攫い、追手や暗殺者を差し向けられているという状況の中……メシの準備をし始めたのだ。


 俺は身動きができない。

 なぜなら、捕まって縛られている。

 身体を縛っているのは縄ではなく、その辺の木に巻きついているような蔓だ。


 いつもの俺だったら、この程度の蔓なら容易に引き千切れる。

 鍛えていないと大人でも引き千切るのは難しいくらいの太さはあるが、俺なら問題ない。

 それくらいには鍛えてきたし、力も技量も備えている。


 だが、この蔓は引き千切れなかった。

 まず俺を縛っているのはいくつもの記録、伝承、物語、叙事詩、口伝……それらに幾度と無く登場し、人々の恐怖と羨望、そして畏れを掻き立ててきた存在……古竜が行使する竜語魔法による束縛だ。

 見た目は蔓でも、その強度は鎖よりも頑丈で、まるで鉄の輪をかけられているかのようにびくともしなかった。


 しかし、仮にこの束縛を逃れる方法があったとしても、逃げることはできなかった。

 それは俺の手を握っている彼女の存在。

 もしこの束縛を解いて逃げようとすれば、俺達は確実に殺される。

 逃げれば殺すと、宣言されている。

 それは俺が今最も大切に想う存在の死を、消滅を意味する。

 俺だけがくたばるなら別にいい。

 だが、それをしようとすればミラの命も、勝ち目の無い賭けにベットすることになる。


 俺達が相手にしたのは、奇妙で、恐るべき集団だった。

 神に次ぐ存在とまで言われる古竜種が、飛竜のフリをして混じっていたというだけでも絶望的な落とし穴。

 しかし俺が挑発した少女……狐人の獣人に見えるあの少女もまた、人の手に負える相手ではなかった。


 見た目は可愛らしい十歳そこそこの獣人の容姿なのに、上位水精霊のミラと組み、ミクラ兄弟として名を売ってきた俺達相手に、手を抜いた状態で対等以上に渡り合った。

 それだけではなく、別の意味で敵に回したくない暗殺者を手玉にとって、苦もなく首を刎ね、平然としている。

 その佇まいや物言いからしても、人間ではない〝何か〟だ。


 そして古竜とも対等のような関係を結んでいるように見えた。

 つまり、古竜と同格の怪物ということだろう。


 狐人の少女だけを考えても、少なく見積もって全力のミラと同等かそれ以上。

 目を光らせているそれを何とかできたとしても、古竜がいる。

 上位精霊であるミラなら、或いは狐人の方には勝てるかもしれないが、古竜の方はどう転んでも無理だ。


 ミラを連れて逃げ切るのは不可能。

 死を確信させるそれらが逃げられない大きな要因ではあるが、それ以上に、俺の傍らにいて手を握ってくれているミラを死なせるわけには行かない。


 古竜種に遭遇すること自体が、万に一つと言ってもお釣りがくるくらいの確率だ。

 出会おうと思っても……いや、そんな奇特なヤツは滅多にいないが……出会えるような存在じゃない。

 そしてもしも出会ってしまったら、命は無いと云われている。

 その威容を前にしたら生きては戻れないと……。


 何の因果か、俺はこれで二度、古竜種と遭遇し、そして生き延びている。

 今回は更に古竜と同等クラスの人外のおまけ付だ。


 ま、今回はまだ生き延びたとは言い切れない状況だが、どちらもこっちから攻撃しているにも関わらず、未だ命は無事だ。

 どうして生きていられるのか……柄にもなく、信じてすらいない神様とやらの気まぐれってやつを疑った。


 俺がギルドの文献を漁って調べた所によると、他の竜種の例に漏れず、古竜種も縄張り意識が強いらしい。

 そしてこれまた力と知性が高い生物の例に漏れず、面倒事を避け、あまり縄張りの外に出ない傾向があるそうだ。


 ってことはつまり、人間がその怪物に出会うのは、古竜種の縄張りに入り込んだ場合が殆どってことだ。

 縄張りを侵された竜種は狂暴になる。

 そうなれば待っているのは命がけの戦い……いや、一方的な殺戮だけ。


 俺の場合は縄張りに入り込んだのとは違ったかもしれないが、どっちも言い訳のしようもなく、こっちから手を出してしまっている。

 なのにまだ命がある。


 信じられないバケモノに何度も出会っちまう俺の運を悪いと思うべきなのか、そんなバケモノに二度も喧嘩を吹っかけて、未だに生きていられることを幸運に思うべきなのか、正直わからなくなる。


 捕まって今後どうなるかはわからないが、今はまだ、ミラも俺も殺されずに済んでいる。

 彼女達が俺の持ちかけた提案を全面的に飲んでくれるならあるいは……だがそうでなかったら、俺はほぼ間違いなく死ぬだろう。

 せめてミラはと思っているが、それもどうなるかはわからなかった。


 こっちはこれから一体どうなっちまうのかと気を揉んでいるのに、目の前ではこんな状況下で、彼女達が料理の準備をしていた。


「クロさん。ここでアーティファクト使っても大丈夫ですか?」


「ああ、そっちね。いいよ。どうせもう正体もバレてるし、カラムも近衛騎士もライカがいれば口止めも簡単だし」


 少女が荷物から何かを取り出し、俺達の近くで寝そべっている古竜にそれを使っていいかと尋ねている。

 古竜が許可を出すと、少女はそこらにある石を集めて簡易の竈をつくり、鍋を火にかける用意を始めた。

 王女が目覚めたみたいなのだが、ずっと眠り続けていたらしく、何か食べさせなければならないと判断したらしい。


 追手に追われている状況でやることかと思いもしたが、古竜や狐人の少女が周囲を油断なく警戒している。

 例え万の規模で軍隊が攻めてきたとしても、この集団は揺るがないだろう。

 魔物だって死にたくはないから、勝ち目の無い怪物に食って掛かるような奴は未開地くらいにしかいない。


 驚いたことに、少女が食事を作るのに使っているのはアーティファクトのようだった。

 しかも簡単に火を熾し、何もないところから水を出し、それらの操作を同時に行なっている。

 一つのアーティファクトに多彩な効果があるなんてものは、神器なんて呼ばれる国宝級の希少性を持つ、扱いの難しいものしかない。

 効果の差はあれど、そんなアーティファクトは世界に十あるかないかと言われている。

 それをさも当たり前というように使いこなし、少女は料理を始めた。


 そして更に驚いたことに、この小さな少女が古竜との契約者のようだった。

 古竜相手にも物怖じすることなく、まるで友人と話すかのように会話をしている。

 それに何の負の感情を感じさせることなく、古竜も答えていた。


 他の連中も言葉は交わしているが、この少女のように全く何の畏れも無く、というわけではない。

 言葉の端々に畏怖の感情が読み取れる。

 そんな少女がもう一人いたが、こっちはどうも疾竜の主のようだし、契約者とは違いそうだった。

 ということは、一番深く心を通わせたこの村娘のような少女が、契約者ってことだろう。


 未だかつて古竜と主従関係を築いた者はいない。

 飛竜を含め、他の魔獣と主従関係を築く奴は大勢いるし、過去には真の不死種リアルアンデッドや聖獣といった、討伐ランク外とされるような怪物を従えた人間の記録も残っているが、古竜種を従えた者がいた記録は残っていない。


 しかし古竜種が人間と行動を共にした記録はあった。

 それは御伽噺になり、英雄譚になり、そして伝説になっている。

 それは主従関係ではなく、お互いを対等とした関係。

 どんな理由かは知らないが、古竜がその人間を認め、仲間として一緒に行動したという記録だ。

 それ以外で信憑性のある、隷属させた記録は世界中の何処にも存在していない。


 それはつまり、他の魔物と同じように古竜を力で従えることは不可能だということだ。

 古竜の庇護を受け、その人智を越えた力を借りられるのは、古竜に認められた者だけ。

 一体どんなことをすれば、こんな何処の村にでもいるような少女が、出会ったら命は無いとまで言われる古竜に認められるというのだろうか。


 そんな少女と古竜のやりとりを眺めながら、俺は昔聞いた伝説を思い出していた。

 それはずっと昔、〝竜を統べる者ドラゴンルーラー〟である古竜を駆り、数々の国を厄災から救った英雄の、誰もが知っている伝説。

 御伽噺の定番で、今も貴賎を問わず多くの子供が寝物語に聞かされる、〝竜の姫ドラグナー〟の話だ。

 俺もガキの頃にはその話しを何度も親にせがみ、その冒険譚に憧れ、夢を見た。


 数々の逸話を残したその竜の姫は古竜と結ばれ、今は滅んだとされる竜人種の祖となったらしいが、それ以降、古竜種と契約を結んだ人間の記録は無い。

 もしかしたら俺は昔に憧れた、伝説の竜の姫を目の前にしているのかもしれない。

 そう思うと場違いながらも、ガキの頃に御伽噺を聞いた時のような恍惚が湧いてくるような気持ちになった。


 俺とミラはこの後どうなるのか、心配しなければならないことは他にある。

 だが、今は何もできない。

 本当に、待つ以外には何も出来る事が無い。

 ここはまだ俺に運があると信じて、神様の気まぐれってやつが続くと信じて、成り行きに任せることに決めた。


 そして隣にいるミラを見て不安を感じながらも、自分が語り継がれる冒険譚の一幕に入り込んだかのような、自分が吟じられる話の登場人物になったかのような、そんな夢を見るような錯覚に、暫し浸った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る