欠点
眼下には巨大な城が二つ見える。
メリエが話してくれた通り、綺麗な方が新城で、奥まった場所に立っている古めかしい方が古城だろう。
かなり遅い時間のはずだが、新城の方には明かりが多く見える。
状況を考えれば夜を徹しての警護は当たり前か。
新しい方は夜でも見栄えが良いが、古城の方は明かりも少なく、幽霊でも出そうな雰囲気である。
今回の目標は古城ではないので、新城の方に意識を向ける。
「スイ、どこが王女のいる部屋かわかる?」
「えっと、3ヶ月前と変わっていなければ正面向かって左側の塔、上から三つ目の窓がある部屋です」
「あそこか……んー。ここからじゃ良く見えないね。もうちょっと高度を下げよう」
「……クロ、話した制約のことは覚えているな? ある程度離れていれば人間が使う感知系の魔法も欺けるが、距離には限界がある。これ以上近付けば気付かれるという位置に来たら言うからな」
ライカの言葉に、宿を出る前にライカから聞いたことを思い出す。
◆◆◆
「オサキが編み出した私の一族が使う幻術で認識を誤魔化し、他人の目を欺く類の術は二つある。そしてその二つの術のどちらにも、それぞれ欠点があるのだ」
宿の部屋。
ライカはいつになく真剣な顔で説明していく。
「一つは街中でクロと初めて対峙した時に使っていたものだ。クロも気付いているとは思うが、この宿まで移動した際に使ったものもこれと同じだな。
これは簡単に言うならば相手の認識に介入し、私達の姿や声が記憶に残らないようにする術だ」
「記憶に?」
「そうだ。……ふむ……よし。あそこの花と入れ物を見てみろ」
ライカは部屋を見回してからそう言うと、テーブルに置かれた花瓶を指差す。
それに釣られて話を聞いていた面々もそちらに視線を向けた。
花瓶は宿の人が定期的に交換してくれる部屋の装飾だ。
量産品らしく高価な物ではないようだが、幾何学的な模様が描かれ、モダンな感じの花瓶だった。
今回はそれに白い小さめの花がブーケのようにまとめられて活けられている。
「……見たか?」
「うん」
それぞれが花瓶を見ていたが、声をかけられて視線をライカの方に戻す。
ライカはピッと指を立ててから質問を投げかけてきた。
「じゃあ一つ質問する。花の方を見ないで答えてみろ。花の向こう側にある、窓の外に見える建物の二階には、窓がいくつあった?」
「ええ?」
花や花瓶についての質問が来ると思って身構えたのに、それとは関係のない質問が来た。
確かに花瓶の後ろには窓があり、外には道を挟んだ向こう側の建物が見えている。
しかし、花瓶やそれに活けられた花、テーブルなどは見ていたが、窓の外は気にしていなかった。
自分と同じく他の面々も首を傾げて唸っている。
「答えられないか? 花を見た全員の視界に、窓は入っていただろう? その窓から見える外の建物も全員が見えていたはずだ。なのになぜ答えられない?」
「そりゃあ、花を見てって言われたし……」
「ですね。花とか花瓶とか、その周囲しか気にしていませんでした……」
「うーん。私もお花の数とかテーブルの模様とかしか……」
アンナもメリエと顔を見合わせて呟く。
スイ達も同じ気持ちのようで、納得いかないと眉根を寄せていた。
「……大体の場合はそうだろうな。人間に限らず殆どの生き物は〝意識しているもの〟は記憶に留めておけるが、そうでないものは例え視界に入っていても記憶に残しておくことができない。
一つ目の幻術はこれを利用している。幻術をかけた対象を、言うなれば〝背景〟にしてしまうということだ。当然人間が使う感知系の魔法も例外ではない。魔法で感知されても術者は記憶に留めておけないからな」
おお、成程。
認識に介入し、自分達を記憶に残らないようにしているとはそういうことか。
脳は送られてくる膨大な量の情報を常に取捨選択していて、必要なものは記憶し、そうでないものは削除していく。
そうしなければ多すぎる情報で、必要な思考や行動をする事ができなくなる。
自転車に乗って走っている時を想像すればわかりやすいのではないだろうか。
自転車に乗っている時に必要となる情報は、大体の場合で安全に走行するために必要な情報だ。
近くを走る車、歩行者の様子、信号の状況、道の状況、速度、ペダルの重さ、道順、ブレーキの利き、風の強さ等等……人によって少しずつ違うだろうが、同じというものは多いはずだ。
これらに注意していなければ安全に走行する事はできない。
だが、実際は他の様々な情報も脳に送られてきている。
自転車で走行しながら、擦れ違った車のナンバーを記憶しているだろうか?
横切った鳥の群れの数や色を記憶しているだろうか?
通り過ぎた地面に落ちていたものを記憶しているだろうか?
歩行者の服装や持ち物を記憶しているだろうか?
これらのことは恐らく、自転車を運転している人の視界に入っているはずだ。
でも記憶に残る事はあまり無い。
安全に運転するためには様々な情報に注意を向けるだけではなく、それらの情報に対して並行あるいは選択的に注意を向け続けながらも、リアルタイムに変化する新しい情報にも注意を向けなければならない。
反対に必要が無い余計な情報は除外して、記憶から消去する必要がある。
そんな判断を脳は一瞬一瞬、絶え間なく行なっている。
ライカの言う幻術は、周囲の人間から〝必要の無い情報〟と思われるようにしているということのようだ。
姿が視界に入っていても、声が聞こえていても、自分達は〝必要の無い情報〟と判断され、削除されて記憶に残らない。
結果的に自分達の存在に気がつかなくなるということらしい。
「凄い、というかよく研究されている術だね……」
実際、この世界で脳の構造や記憶、情報処理のメカニズムを調べるというのは難しいはずだ。
それを分析し、幻術に応用するというのは余程の知識と智慧が無ければ無理だろう。
この幻術を作り出したというライカの父親オサキは、こちらが考えている以上に博識のようだ。
「だがな、さっきも言った通りこの術には欠点がある。大して意識していなければ背景として記憶から削除されるが、警戒慣れした実力者にはすぐに気付かれてしまったり、竜の姿のクロのように強い存在感を持っている者は一定以上近付くと気付かれたりもする。
さっきの花の話の時に、花の後ろに見える建物の明かりが点いたり消えたりして窓の存在感が強かったら、背景でも意識を向けてしまうだろう? それと同じだ。
まぁ鍛えていない人間なら問題ないだろうが、城にいる実力者たちが相手となるとあまり信用しない方がいいかもしれない。また極稀にだが、普通の人間の中にも気付ける者がいたりすることもあるな」
様々なことに注意を向けている人もいるということか。
先天的にそうしたことが得意だったり、発達障害を持つ人の中には不必要な情報を削除できず色々な情報に意識を向けてしまうというものがあった気がする。
そうした人達のことだろう。
「……でもライカが城に行った時は、それで気付かれなかったんでしょ?」
「私が侵入した時のように小さな動物などの興味を引き難い姿になり、気配も殺していれば隠蔽率も上がるが、そうでない場合は気付かれる危険性が上がる。私はともかく、クロや他の者達は気配を消したり姿を変えたりはできないのだろう?
人間は同じ人間に注意を向けている。となれば、同じ人型だと潜り込んだそこの人間達の意識には残りやすくなる。
あとは一回気付かれてしまうと完全に視界や意識から消え、認識をリセットしない限り酷く効果が薄くなる。一度でも〝そこにいる〟と認識されてしまうと、記憶から削除する事が難しくなるんだ。だから、気付かれたらこの幻術は効果が無くなると思った方がいい。
それから、竜のクロのように恐怖心などと一緒に圧倒的印象を与えてしまうと記憶に焼きついてしまい、この場合も記憶から削除されず効果が無くなる」
さすがに透明人間になるようなそこまで都合のいい術ではないということか。
使いこなすライカがこう言うのだから無理なのだろう。
「わかった。じゃあもう一つの方の幻術は使えない?」
「二つ目は私とクロが戦った時に使っていた術だ。こちらは一つ目の幻術と趣きが異なるため、使い勝手が悪い。
一つ目の術は個々の存在に使用し認識に介入するものだが、クロと戦った時に使っていたものは個々の存在に使用するものではなく、その場所に仕掛けるものだ。幻術というよりは結界に近いものだと考えた方がいい。
一定範囲に限定され、一度術を使うとその場所から効果範囲を動かす事はできなくなるが、界面の内側で起こった事を外にいる存在が知覚できないようにする。一つ目よりも隠蔽率は高く戦闘時などには向いているが、移動できないし今回のような潜入では使えないだろう」
「先にお城の周辺に仕掛けておく事とかはできないの?」
「無理だ。掛けたい幻術にも依るが、一つ仕掛けるのに色々と面倒な手順を踏む必要がある。今回のように外から気付かれないようにする場合は術を起動した時に、その中に人間が入っていない状況を用意しなければならない。界面の内側に物理的に入れなくするといったものでもないから、動き回っている者は簡単に出入りもできてしまう。
私とクロが戦った場所は人気が無くて好都合だったが、城の中には大量の人間がいるし、見回りが歩き廻っているから効果的ではない」
隠蔽は強力だが、固定でしか使えないということか。
そうなるとこっそり近づいて目的を果たし、そして離脱という流れの作戦では使えない。
となると当初考えていたライカの幻術で正面から堂々と入り、その場で王女を治療してしまうという作戦は使えないということだ。
◆◆◆
「……わかってる。ある程度近寄ってみて様子を伺うから、危険なところまで行ったら教えて」
「よし、できるだけゆっくり下りてくれ。速い速度で動くと目立つからな」
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