夜空
各々が身に着けてちゃんと使えるかを試している間に、こちらも変身の準備をする。
女性陣から距離を取って服を脱ぎ、手早くカバンに仕舞う。
そのまますぐに【元身】で竜の姿に戻った。
「ほ、本物だ……これが伝説に謳われる……古竜種……」
フィズは暗影に浮かび上がる漆黒の竜になった自分を見上げ、震える声で呟いている。
ライカに記憶を送り込まれて知っているはずだが、実際に見るのと送り込まれた記憶では感じ方も違うのだろう。
スイは前にも見ているので驚きはしていなかった。
ライカも特に何も反応していない。
「お待たせー。じゃあ乗る準備してね。カバンに買っておいた革紐があるから、手綱代わりに使って。僕が持ってた荷物は、誰か代わりに持っててくれる?」
カバンを引っ掛けた尻尾を振りながら、のそのそと竜の姿で三人に近寄る。
なるべく静かに近付いたつもりだったが、石の床と手足に生える竜の爪がガチガチと当たり鈍い音を立てた。
声は今までと変わっていないとはいえ、牙の覗かせた厳しい顔の大きな竜が近寄ってくるというのは恐いようで、慣れていないフィズとスイはちょっと後ずさっていた。
仕方ないとは言え、ちょっと悲しい気分になる。
革紐を取り付けやすいように、伏せの姿勢になって頭を下げる。
フィズとスイはおっかなびっくりと首に革紐を回し、手綱になるように取り付けていく。
さすが馬や従魔に乗る事もある騎士のフィズは、こうしたことも手馴れていた。
「これが竜の鱗……うわぁ」
「金属でもないし、石でもない……硬いのに身体を曲げるとちゃんと曲がる、不思議な手触りですね」
「ちと硬いな。長い時間そのまま乗るのは遠慮したいところだ」
紐を取り付けながら、初めて触る自分の体に興味を示す二人。
鱗があってもちゃんと触覚があるので、ペタペタ触られるとこそばゆくなる。
ライカは先に背中に跨って座り心地を確かめていた。
「大丈夫? 外れない?」
「だ、大丈夫だと思います。あの、苦しかったりしませんか?」
「全然平気。鱗があるからきつく絞めても苦しくないよ。本当なら皆の身体と僕の身体を紐で結んでおく方が落ちる心配が無くて安全なんだけど、今回は王女を運んでもらわないといけないからそれは無しで。まぁ落ちないように竜語魔法を使うから心配しなくてもいいよ」
しっかりと手綱を取り付け、ついでに荷物も革紐で背中に固定する。
ちゃんとアーティファクトが使えるかも全員で確認し、これで準備完了である。
騎手として馬や従魔を操った経験のあるフィズが先頭になり、その後ろにスイ、スイの後ろにライカが跨った。
三人乗ってもまだ背中には余裕がある。
乗ろうと思えば七、八人くらいまで乗れそうだ。
ライカも両手が自由になるように、今回は獣人の姿のままで行くようだ。
竜の姿じゃないと使いにくい星術と違って、幻術にはそうした制約は無いのだろうか。
「よーし。じゃあ行くよ」
首を回して背に乗る三人を確認し、翼を広げる。
まぁ翼は使わず術で浮かぶのだが、気分的に。
「ははははい……私、空を飛ぶなんて初めてで、ききき緊張してきました。……でも、竜に乗るなんて一生に一度あるか無いかの経験……もっと楽しめる時が良かったな……」
「私も空を飛ぶのは初めてだから、ちょっと楽しみだ。本当にクロといると退屈しないぞ」
「僕もできればこんな状況でじゃなくて、気楽に飛びたかったと思うよ。空を飛ぶのはスゴイ気持ち良いからねー」
せっかくの機会なのに、戦いに行く為に乗せるというのはちょっと不本意だ。
できることなら空の美しさ、雄大さ、そして気持ちよさをゆっくりと味わわせてあげたい。
だが今はそんな事を言っている場合ではないのも事実。
「ほほほ本当に私が、私が竜に……竜騎士に……」
フィズは違う意味で緊張していた。
ちなみに騎手役のフィズも、指名手配されているスイも、顔を見られないようマフラーのように布を巻いて口と頭を覆っている。
「僕の判断で飛ぶのであんまり緊張しないでいいですから。飛竜を操る演技と攫う時の宣言だけしてくれれば大丈夫……あっ、そうだ忘れてた」
いざ飛び上がろうとしたところで、忘れていた事に気付く。
鱗の色を変えていなかった。
すぐに【転身】を使って色を変える。
「あれ? 鱗の色が……」
「うん。飛竜に見えるように変えたんだ」
「……何でもできるんですね」
「出来ないこともいっぱいあるよ?」
古竜の色のままではまずいので、以前アスィ村に行った時のように飛竜と同じ鉛色の鱗に変化させておく。
これでどこから見ても竜騎士に見える事だろう。
今度こそ全ての準備を終え、【飛翔】の術を起動して浮かび上がった。
「わっ! わっ! 浮かんだ! 何というか……思っていた感じと違うなぁ……」
「ほほほ本当に竜に乗っている! 飛んでいる!」
「ははははは! これは楽しいな!」
背中で三者三様の反応を示している面々に苦笑しつつ、円形の闘技場の中央から空へと舞い上がった。
スイは翼を動かして飛ぶのではなく、星術で浮かび上がったことに違和感を感じているようだ。
実際、翼は動かしているものの、エレベーターのように揺れも少なくスムーズに上昇していくのでそう感じるのも無理は無い。
まずは一気に高度を取って地上から見えにくいようにするため、上昇速度を上げた。
「「ひゃああああ!」」
「はっははははは! 何という爽快感! いい見晴らしだ! 陽が無いのが悔やまれるなぁ!!」
スイとフィズは恐がってしがみ付いているが、ライカは愉快そうに声を上げてはしゃいでいる。
高い所も平気なようだ。
低めの雲と同じくらいの高度を取って大きく翼を広げ、吹き渡る風をその翼で受ける。
空を覆う分厚い雲の層よりもやや下といったところか。
そのまま風の流れに逆らうこと無くゆっくりと旋回しながら王都上空を飛行した。
上空から見下ろした王都の夜景は、今までに見た事の無いものだった。
地球の都市の夜景と違い、夜闇を煌々と照らす電気の無い世界。
そのため眼下に広がる都市には、窓から漏れ出る僅かな明かりと、大きな道に置かれた篝火しかない。
その明かりがまるで夜空に瞬く星の光のようにポツポツと、漆黒の大地を埋め尽くし、広がっている。
頭上には雲によって蓋をされた夜空。
そして眼下には人工の明かりが作り出す偽りの星の海。
まるで天地が逆転したかのような幻想的光景。
その現実離れした美しさに、状況を忘れて思わず息を呑む。
「わぁ……これが、空から見た景色……」
「は、はは……一生……忘れられそうに……ありませんよ……」
上昇速度が落ち着き、少し余裕が出てきたスイとフィズが自分と同じように下を見下ろして感嘆の息を吐いた。
空から見下ろす夜の王都の景色に心を奪われ、自分と同じようにこれから王女を誘拐に行くという現実を忘れているようだった。
「これは、驚嘆に値するな! ははは! 是非とも明るい空を飛んでみたいものだ!」
ライカは相変わらず嬉しそうだ。
背中の上で忙せわしなく雲の様子や景色を楽しんでいる。
「今度明るい時に機会があったら乗せて飛んであげるから、今は作戦の方に集中しよう。もうちょっと高度を上げるよ。そしたらお城の真上あたりまで行くからね」
「そうか、楽しみだ! 約束だぞ!」
ちゃんと防護の膜を作ってあるので体温を奪う冷たい風も無く、【伝想】を使わなくても声のやり取りができる。
空気の心配もしなくて済むので、この膜を作る術はかなり有用だ。
守りも防壁並みの強度を出せるし色々と応用ができる。
頭上に広がる厚い雲の層に近付いて行き、視界がなくなるギリギリの位置につけた。
これだけの高度と雲の影があれば、そうそう地上から見つかることは無い。
「うわっうわわっ! 雲に手が届きそう! 濡れたフワフワの綿みたいなのが浮いてるのかと思ったのに、何だか霧みたい!」
「……まさかこの雲の上に天上の世界があったり、死者の魂が向かうという創生神の座所があったりするんでしょうか……」
「死者の国は知らんが、浮島はあるらしいな。オサキも行ったことが無いそうだが、これなら行くこともできるだろうな。この程度の高さなら天を貫く巨木や大山もあるんだぞ」
「はいはい。お喋りはまた今度ゆっくり空を楽しめる時にしよう。そろそろお城の真上くらいのはずだよ」
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