ヒュルの外
ヒュルに近づくと街道もいくつかの道が合流し、夕暮れになるという時間でも人通りが増えてきた。
さすがは交易の要衝となる大きな都市の近くというだけはある。
そして見えてきたヒュルの防壁に近づいていくと、メリエが言っていた通り、異様な光景が広がっていた。
ヒュルはアルデルよりも更に大きな都市で、アルデルのような防壁に加えてその周りには堀があり、出入りする中央門には鎖で吊られた大きな木の跳ね橋がかけられている。
その跳ね橋付近や都市に伸びる街道周辺には、多くの人間が都市に入ることができずに
街道脇の草原にはいくつもの天幕が張られ、身分証明を持たない人間がそこでヒュルに入れるようになるまで時間を潰している。
人が集まっているところに視線を向けると、商人がここぞとばかりに露店を開き食糧などの物資を販売したり、中に入ることのできない商人に代わって都市の中に品物を届けたりと、商売の機に敏い者たちが稼ぎに走っていた。
少し近づいて跳ね橋の奥にある中央門が見えるところまで来ると、数十人もの衛兵が中央門で検問をしており、入る人間や運び込まれる走車の荷物などを念入りに調べているのが見えた。
一回の検査に時間がかかるため順番を待つ人達の列もアルデルの数倍の長さがあり、待っている人達の顔には疲労の色が浮かんでいる。
間もなく夜になるという時間帯なのでそこかしこに篝火が焚かれているほか、あちこちで夕食の準備のために鍋を火にかけたりしているため大規模な軍の野営地のようだ。
薄暗くなったというのもあり、影狼に似た姿をしている自分が歩いていても驚く人は少なかったが、それでも結構な数の人が自分を見て飛び退いたり、後ずさったりしている。
ここまで来てしまったので驚かれるのはもう諦める事にした。
「(何か……すごいことになってるね)」
「(ああ。元々ここは交易の要衝だからな。あちこちからたくさんの人間が集まる場所だ。各村からの買出しもそうだし、他国へ渡るために通る者も多い。王都に行くための補給地点でもあるから年中賑わっている。今回の入市規制が長引けば暴動も起きかねないだろう)」
「(たぶんだけど、その事件の原因は今回救助したシェリアさん達だと思うんだよね)」
「(ん? そういえばまだ詳しい話を聞いていなかったな)」
「(昨夜色々と話をしたんだけど長くなるから細かいことは後で詳しく説明するとして、ざっくり言うと今回のシェリアさん達の誘拐はどうもこの国の政争に関係してのことらしいんだ。政敵に目をつけられて攫われたのを僕達が救助したみたい)」
「(ということは国政に関わるほどの身分の人間という事か。深く関るとろくな事にならないかもしれんぞ?)」
「(それは僕も考えてる。一応一定以上は踏み込まないつもりではいるけど、こっちとしてもちょっと考えたことがあるから、もう少しだけ協力しようかと思ってるんだ)」
あまり疑いたくはないが、今の所は誠意を見せてくれているシェリア達でも成り行き次第では自分達を利用しようとしたり、最悪の場合は敵対することになるかもしれないと思っている。
自分達の安全を考えるなら深入りはせず、一定以上の距離を保っておく方が無難と言える。
「(ふむ。そういうことなら何も言う事はない。しかし、原因がシェリア達にあるのなら無事送り届ければすぐにでも規制は解除されるかもしれないな。どうする? 都市の中に入るか?)」
「(いや、今回は都市には入らないでいようと思ってる。悪いけどメリエに物資の補給を頼んでいい?)」
「(何か考えがあるのか。わかった。じゃあ物資の補給をして、夜が明けたら王都に発つことにしよう。ここまでくれば歩きでも王都まではそんなに時間はかからない。4、5日で到着するだろう)」
都市に入らないようにしたのは理由があった。
誘拐されそうになったシェリア達が無事に戻ってきたとなれば、シェリア達には監視がつくはずだ。
昨夜の話からすると恐らく誘拐した勢力側からも、そして安全のために味方側からも。
そうした連中に都市の中で一緒に居るところを見られ、仲間だと知られると今後に影響が出そうなので、今の所は無関係を装いたいと考えている。
【伝想】でメリエと意見を交わしつつ人で溢れる街道を前を行く走車に続いて歩いていく。
中央門に近づくと衛兵はそのまま進んで門の中にある詰め所へと入っていき、牽引している走車もそこに運ばれるようだ。
隊長と思しき衛兵が走車から降りてメリエにお礼と連絡を済ませると、そのまま衛兵の走車を追いかけて人でごった返す中央門に向かって行った。
「(救援を頼んだ衛兵からはあとでギルドを通じて状況を連絡してくれるそうだ。今回の件についての詳細な調査と街道付近の安全確保は領主に引き継いでもらうことになるだろう。フェリ達が連絡をしてくれているから私達が何かをする必要は今のところは無いはずだし、すぐにでも出発できるぞ)」
直接救助に当たったアンナが事情聴取されるかとも思ったが、それもないようだ。
魔物が出ることは日常茶飯事だし、魔物から救助したという事しか伝えていないはずなので、そこまでする必要はないということなのだろうか。
「(事情説明とかで足止めを食うかと思ったけど、フェリ達に感謝だね)」
「(よし、ここでは人通りも多いから少し移動しよう)」
まずは難民の集落のようになっている天幕の中を歩き、中央門と街道から少し離れた場所に移動する。
移動した先は芝生のような短い草が生えており、中央門からも街道からも距離があるので周囲に人は少ない。
フェリ達の走車に乗っていたアンナとシェリア達は草の上に下り、乗せてくれたフェリとコレットにお礼を言っている。
「じゃああたし達はパーラさんのところに無事を知らせに行きますよ。走車も返さないといけないですし。このまま詰め所の方で事情を説明してるユユとシーナに合流しないといけないので、ここで一度お別れですね。リンさんメリエさん、またどこかで一緒に仕事しましょう」
「はい。今までありがとうございました。パーラさんとユユさんシーナさんにも宜しく伝えておいてください。あ! 怪我をした騎士さんはどこに運ばれたんです?」
「ああ、中央門を入ってすぐにある衛兵の詰め所に警邏隊付きの治癒術師がいたのでそこに運んで治療してもらっていますよ。幸い命に別状は無く、今も治療を受けているはずです」
「わかった。色々とありがとう。ギルドで会ったらまた宜しく頼む」
「はい。メリエさんもありがとうございました」
フェリとコレットは笑顔で丁寧にお礼を述べると、最後に自分に飛びついて毛がぐちゃぐちゃになるまでモフってから手を振りながら中央門の方に向かって行った。
フェリ達の走車が見えなくなったところで、次の動きについて相談し合うことにする。
「さて、ここからどうするかだな」
メリエの言にみなが静かに頷く。
残っているのは自分の正体を知っている人間だけなので声を出しても平気だろう。
周囲には自分達以外に人影は無いので声量に気をつければ会話を聞かれる心配もない。
「まずこの姿は目立つから人間の姿に変身させて」
「そうだな」
今のうちに人間の姿に戻っておくことにし、女性陣からちょっと離れた草むらに移動して人間の姿になっておいた。
それを見たスイとレアが酷く残念そうにしていたのだが、人に見られる危険が増すので先延ばしにするわけにもいかない。
無事着替え終わると女性陣の場所に戻り、作戦会議を再開する。
「まずはヒュルの中に入れるメリエに、シェリアさん達のことを知らせに行ってもらわないとダメかな」
「堂々と中に入らないのは何か理由があるのか?」
このメリエの疑問にはシェリアが答えた。
「はい。まず今の私共三人は身分を証明できる物が一つもありませんから、このまま入ろうとすれば中央門の検問で止められてしまうでしょう」
「先程少しクロから聞きましたが、貴女方は攫われた貴族なのでしょう? それなら捜索のための資料も出回っているはず。中央門に行けば衛兵が気づくのでは?」
まだ知らなかったアンナはそれを聞いて驚いていたが、これもどうせ後で説明するのだし今は話を進めることにした。
「それなんですが、今はまだ信頼の置ける者以外に自分達の無事を知られるのは避けたいのです」
「……その辺にも何か理由があるということですか。都市から救援に来た衛兵に言わなかったのも同じ理由ですか?」
「うん。その辺については僕があとで細かく説明するよ」
「メリエさん。お手数をお掛けしますが、都市内にある軍の詰め所にシラルという責任者がいますので、その人に『地下書庫の3列目、下から2段目の青い本に隠しているのは分かっています。許してあげるからすぐに迎えをお願いします』と伝えて下さい。そのまま伝えてもらえればすぐに来てくれるはずですので」
シェリアさんが口元に手を当てて、意味深なニッコリ笑顔で言う。
どことなく怒気を孕んだその笑顔は、御怒りの時のアンナの笑顔に通ずるものがあった。
「ヒュルの出入りに規制がかかっているということは、つい先日ヒュルで別れた夫のシラルが私共や犯人を探しているという事だと思います。中に入れない現状では直接私共を知っている者に迎えに来てもらうのが一番安全なのです。夫が秘密にしていることを知っているのは私だけですし、こう言えば疑うこともないと思います」
「お母さん? 秘密って?」
「ウフフ。スイがもうちょっと大きくなったらお父さんに教えてもらいなさい。それまではお父さんに聞いたらダメよ? レアもね」
「??」
……何やら旦那さんはシェリアさんに秘密を握られているようだ……。
他人の家庭の事情に首を突っ込むのは宜しくないので、聞くことはできなかったが内容が気になる……。
ヘソクリ……?
いや、貴族でも上位の身分であるならお金はあるだろうしヘソクリを隠す必要は無いか。
ということは不倫相手からの手紙とか?
もしくは恥ずかしいポエム集?
ううむ……気になる。
最近、アンナに頭が上がらなくなってきた自分のように、シェリアの尻に敷かれているらしいまだ見ぬ夫のシラルさんに妙な親近感を持ってしまった。
「シラル……もしやシラル将軍のことですか? ということは公爵の……」
「あ、畏まる必要はありません。クロさんのお仲間さんにそんな無礼なことはできませんし、命の恩人でもあります。どうか今まで通りにして下さい。
……それと、恐らくですが私のことを口にすると事情を知らない末端の人間からはメリエさんにも余計な疑いが掛けられるかと思います。ですが、今このような事を頼めるのはクロさんのお仲間であるメリエさんだけなのです。不愉快な思いをするかとは思いますが、どうかよろしくお願いします」
「いえ、問題ありません。私もハンターで生計を立てている身、荒事には慣れていますので。ではすぐに行ってきます。入場の順番待ちがあるので暫く時間がかかるとは思いますが……」
「はい。宜しくお願いします」
「あ、メリエちょっと待って。アンナ、カバンに黒い玉が入ってるから、それ取ってくれない?」
「はい。わかりました」
アンナが持ってくれていた荷物から黒色のビー玉よりも少し大きいくらいの玉を取り出してもらう。
何だかわからないアンナは取り出した玉を不思議そうに観察している。
「クロさん、これですか? これ、何ですか?」
「後で教えてあげる。メリエ、これを持って行って」
「ん。わかった」
メリエはアンナから渡された黒いビー玉のようなものを指でつまみながら繁々と眺める。
アンナと同じように、何だこれは? と思っているのだろう。
「(新しく作ったアーティファクトで、何かあった時に僕にすぐ知らせられる物だよ。使い方は何でもいいから強い衝撃を与えればいいよ。壁とかに投げてもいいし、叩いてもいい。口に入れて思いっきり噛んでも使えるかな。身の危険を感じたりしたらすぐに使って。助けに行くから)」
「(ふむ。言わなかったという事はシェリア達には知られないようにしたということか)」
「(まだアーティファクトのことは教えていないからね)」
まだシェリア達を全面的に信頼しているわけではないし、隠せるものは隠しておいた方がいいだろう。
メリエに渡したものは緊急事態を知らせるためのものだ。
衝撃や力を加えることで周囲の星素を一気に集め、周囲に星素を放射する。
離れていて他のことに気が向いていたとしても自分が感知できるほどの気配を放つようにしてある。
危急の事態を知らせる以外には何の効果も無いアーティファクトで、自分以外には価値のないものだ。
このアーティファクトの強い気配を感じた時は緊急の時ということなので、形振り構わず救助に向かうつもりでいる。
一応防壁のアーティファクトなどは持ったままでいてもらっているが、単純に力で攻めてくる魔物などとは違う、それこそ戦争で人間を食い物にし、欲望を満たすためなら味方を騙り笑顔で殺しに来るような者達が犇く貴族連中や政治の中枢に入り込むことになるのだ。
これくらいの用心は必要だろう。
メリエは黒い玉を懐に入れるとポロに預けてあるカバンを下ろした。
「では行ってくる。ポロは目立つから、ここで皆と待っていてくれ」
「(ご主人、お気を付けて)」
「(深夜までに戻らなかったら何かあったと思って助けに行くからね)」
「お手数をお掛けしますが、宜しくお願いします」
全員でメリエを見送り、見えなくなったところで草の上に座ってのんびりと待つことにする。
レアとスイは走車での移動で疲れたのか、草の上で転寝うたたねをはじめる。
アンナとシェリアは夕食の準備をするために草の上に石を並べて木をくべ、火を熾していた。
すぐに空は真っ暗になり、星の海に変わる。
夜になっても人の多い中央門に目を向け、アンナとシェリアの用意してくれたスープを啜りながらメリエが戻ってくるのを待った。
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