父親

 メリエが人で溢れる中央門に消えて2時間ほどが経っただろうか。

 夜も大分更けてきたため、徐々に明かりや人の声も少なくなっていく。


 しかし、鎧を来た人間が歩き回る金属音は一定の間隔をおきつつも途切れることなく聞こえてきた。

 これだけの人が無防備に町の外にいるのだ。魔物に襲われないためや、人間同士のトラブル防止のために多くの衛兵や警邏の人間が天幕の間を歩き廻っている。


 今の所はメリエに渡してあるアーティファクトなどの気配に異常は感じない。

 明日の移動の事もあるのでそこまで気を張り詰めないようにし、適度に休息しながらメリエの帰りを待った。

 仕事の無いポロは一足先に休み、草の上で丸くなって寝息を立てている。


 揺らめく篝火を見つめて更に1時間程時間が過ぎた頃、ガチャガチャという鎧を着た人間が駆ける音が近づいてくるのに皆が気付いた。

 自分とアンナは視線だけをそちらに動かし、眠っていたポロも目を覚まして起き上がり警戒感を露わにする。

 シェリアは立ち上がり、眠っていたスイとレアも目を擦りながら体を起こしている。


「あ、メリエさん戻ってきたみたいですよ」


 アンナが指差す先に、メリエを先頭にして目立たない茶色のローブとフードで顔を隠した人間が五人、こちらに向かってきているのが周囲の篝火の明かりに照らされている。

 メリエも居るし怪しい雰囲気は感じなかったが、万が一のため身体強化を使っておく。

 メリエが魔法で操られたり、人質にされたりした場合のためだ。


「おお! シェリア! スイ! レア! 無事だったか!」


「あなた、ご心配をお掛けしました」


 フードを被っていた一人が、シェリア達を視界に捉えると喜びの声を上げて駆けてきた。

 走りながらフードを脱ぎ、喜びに染まった顔を露わにする。


 金髪を短髪に切り揃えた頭に精悍な顔立ち、髭は無くすっきりとした美丈夫だ。

 シェリアの様子からこの人が旦那のシラルさんらしい。

 スイとレアの顔立ちは美人の母親似のようだが、金髪は父親譲りのようだ。

 年は30台後半くらいだろうか。

 少し疲労が見える顔が印象的だ。


 シェリアの話では将軍ということだったが、少しイメージしていたのと違った。

 何というか、思ったより若く見えるし、厳いかめしい感じも無く、どちらかというと武人というよりは苦労人っぽい印象を受ける。


 このくたびれた様な顔は昨夜のシェリアの話からすると、シェリア達家族の誘拐騒動や軍上層部でのゴタゴタに奔走していたからかもしれない。


 人の目を気にすることなくシェリア達と抱き合い、無事を喜ぶ姿をアンナと眺めた。

 人前にも関わらず親の顔を見せているシラルの様子から、シェリア達をどれだけ大切に想っているのかは伝わってくる。


 そんなシェリア達を見るアンナはどこと無く悲しそうな、羨ましそうな表情をしていた。

 きっと離れ離れになってしまった家族の事を思い出しているのだろう。


 スイ達が笑顔で抱き合う様子を寂しそうに眺めるアンナの横に立つと、そっとアンナの手を握った。

 それに驚いた様子のアンナがハッとして自分の方を見る。

 少し潤んだアンナの瞳を見つめながら笑顔を返した。


 一人じゃない。

 今は自分やメリエ、ポロも傍に居るから。

 声に出すことはなかったが、代わりに少し強くその手を握る。

 驚いた顔をしていたアンナにその意思が伝わったかはわからなかったが、アンナの目から悲しそうな色が消え、小さく笑みを返してくれた。


「お父さん! 会いたかった!」


「ああ、良かった! レアもスイも怪我は無いか? ……レア……? その目はどうした!?」


「あなた、少し声を落として。どこに耳目があるかわかりませんよ。それと、まず何よりも助けてくれた皆さんにお礼を。詳しいことは追々お話しますから」


「え? ああ、そうであったな」


 そこで蚊帳の外だった自分達に向き直る。


「失礼した。メリエ殿から少し聞いている。そなた等が妻達を救ってくれたのだな。私はシラル・ヴェルウォード。この度は私の家族を救出してくれた事、心より感謝する。こんな場所ではなんだ、何れ屋敷に招いて正式にお礼をさせて頂こう」


 そう言うと身分の低い自分達に対して躊躇うことなく丁寧に頭を下げてくれた。

 権力を笠に着て傲慢に振舞う貴族とは違う人のようだ。

 まぁ子供であるレアとスイの人格からそこまで悪い人間ではないだろうとは思っていたのだが。


「僕はクロです。隣のアンナ、連絡に行ってもらったメリエと一緒に旅をしています」


「は、初めまして。アンナです」


 アンナは緊張した面持ちで頭を下げる。

 名前が出たメリエも自分の隣に来ると静かに頭を下げた。

 恐らくメリエは連絡に行った際に自己紹介を済ませているのだろう。


「ところでシェリア。その……レアの目は一体どうしたのだ?」


 こちらへのお礼と自己紹介もそこそこに、娘の目のことを質問している。

 やはり父親として娘の目が元に戻っているのはかなり気になったのだろう。


「お父さん! 聞いて! あのね───」


「お待ちなさい、スイ。あなたも、詳しいことは落ち着いた場所でお話します」


 レアの目がどうして元に戻っているのかを聞こうとしたシラルに、スイが嬉しそうに話そうとしたのだが、それをシェリアが咎めた。

 ここで自分のことを話されてはまずいので、もしシェリアが止めなければ自分が止めることになっていただろう。


 昨夜の話の中で、どうしても夫であり公爵であるシラルには自分の正体を話さなければならないだろうと言われていたので、シラルに知られる分にはいいと思っている。

 しかし、後ろに控えた護衛と思われる四人の騎士や、近くには居ないとはいえヒュルの規制解除を待っている人間が居る状況で話されてはまずいのだ。


 シラルにはレアの目が戻った理由や、そうなった経緯を知らせる過程で自分のことを説明しなければならない。

 レアの目が無事元通りになったという事実から、自分が王女を癒すことで戦争を回避できる可能性があることを知ってもらう必要もある。


 現段階ではまだ確実に王女の治療を行なうと決めたわけではないが、今後王都に赴いてバレないよう動くためには公爵であるシラルの力添えはほぼ間違いなく必要になるだろう。

 そのためには予め自分の存在や治療するすべについてを知っておいてもらわなければならないのだ。


 なのでシラルに自分のことを知らせたいというシェリアの希望には了承している。

 しかしその代わり、それ以外の人間にシェリア達に話したり見せたりしたことを知られた場合、協力は拒否すると伝えてある。


 また、シェリア達の過失によって自分や仲間にちょっかいをかけてくる人間が出た場合は、町や城を破壊してでも排除するということも言っておいた。

 まぁ恐らくそこまではしないと思うがそれくらいの脅しは必要だ。


「あ、その。ごめんなさい」


 スイも嬉しさのあまりまずいことを口にしてしまうところだったと気付いたようで、シェリアに謝罪している。

 その後、申し訳無さそうに自分を見ると無言で頭を下げた。

 昨日、しつこいくらいに自分の正体について漏らしてはならないと言っておいたのを思い出したのだろう。


「……そうだな。では誰かに知られる前に戻るとしよう。私の管轄である軍の建物なら大丈夫だろう。恩人にも今夜はそこに泊まって頂こう。後日ゆっくり話をさせて頂きたい」


「いいえ。事情によりクロ様方はヒュルには入りません」


「何? しかし、こんな時間だ。何かをするにしても、旅を続けるにしても、夜間では無理だろう? 入市規制の解除は間もなく行なわれるはずだが、夜も更けた今から宿を探すよりこちらで持て成した方がいいのではないか?」


 疑問を呈したシラルに、シェリアが静かに近寄って耳打ちをする。

 シェリアはここで自分達がシェリア達と共にヒュルに入ることの危険性を理解しているので、適当に誤魔化してくれているのだろう。

 何事かを囁かれたシラルは表情を強張らせ、自分の方に向き直った。


「そうであったか。そちらの事情も鑑みずに、失礼した。妻のシェリアと礼に関することは話し終えているということで間違いは無いか?」


「はい。後日正式にというお話を受けています」


「わかった」


 そう言うとまたフードを被り直し、後ろに控えていた騎士からシェリア達のローブなどを受け取ってスイとレアに渡していく。

 傍はたから見ると淡白なやり取りだが、誰かに見聞きされる可能性があるこんな場所で時間をかけているわけにもいかない。

 シラルもシェリアもそれはわかっているだろう。


「クロさん。では先日お話した通りに。夫の予定を繰り上げてでも、早めに王都の屋敷に戻ります。それと、これをお持ち下さい」


 そう言うとシェリアはシラルの腰に下げてあった短剣を取り外すと、こちらに差し出してくる。


「! シェ、シェリアよ。それは……」


「あなた、後で説明しますから今は私に任せて下さい。クロさん、この短剣にはヴェルウォード家の家紋が入っております。お話した通り、王都の屋敷にお越しになる際はこれを門番に見せて下さい。他人に知られることが無いように案内させます。私共が王都に到着するのは恐らくクロさん達よりも後になるかと思いますが、到着次第、例の場所に使いを出します」


「わかりました。お借りします」


 そう言いながら短剣を受け取る。

 短剣には鞘と柄の部分にそれぞれ幾何学的な模様が入っており、刀身部分に女性の横顔のような彫り物がしてあった。

 実用的な武器というよりは礼装の類に近い物のようだ。


「シェリア、その紋が入った短剣は軽々しく人に渡していいものではない。公爵家ゆかりの人間であると証明する物だ。もし悪用されれば……」


 シェリアの行動を咎めようとしたシラルだったが、すぐさまシェリアに睨みつけられて口を噤んだ。


「あなた、恩人である皆さんに失礼ですよ。クロさん達には私からお願いして来て頂くのです。それにスイやレアの命を救って頂いた恩人に対してその物言いは何ですか。礼には礼で返すのが貴族としての在り方だと仰ったのはあなたですよ」


「う、わかったわかった。そう睨まないでくれ」


「クロさん、申し訳在りませんでした。事情説明の際には厳しく言っておきますので」


「あ、気にしませんからそんなに畏まらないで下さい」


「いや、シェリアの言う通りだ。失礼な発言を許して欲しい。屋敷を訪れた際には最大限の持て成しを約束しよう。重ね重ね我が家族の窮地を救ってくれたこと、感謝する」


「アンナさん、メリエさんも、ありがとうございました。それと……お借りしている服なのですが……」


「大丈夫です。まだ予備はありますし、王都までなら問題ありませんから」


「ええ。私も着替えの予備はまだありますので、そのまま持って行ってもらって問題ありません」


 まさかこの場で脱げというわけにもいかないだろうし、わざわざ取りに行って戻ってきてもらうのも悪い。

 アンナの着替えの予備はまだあるし、メリエも何着かは着替えを持っていたので無くなってもそれ程困らない。

 王都に着いたらまた服屋を探せばいいのだ。

 お金はたくさんあるし。


「では今夜は失礼させて頂こう。正式な場で改めて感謝を述べさせて頂く。スイ、レア、お前達ももう一度しっかりお礼を言いなさい」


「あ、クロさん、アンナさん。その……ありがとうございました」


「クロさん、こうしてまた皆に会わせてくれてありがとうございます」


 スイとレアはピシリとした姿勢で立つと、綺麗なお辞儀を見せてくれた。

 貴族令嬢として身につけた所作なのかもしれない。

 レアは直接は言わなかったが、目のことについてのお礼でもあるようだった。


「スイもレアも気を付けてね。また王都で」


「今度はもっとゆっくりお話しましょう」


「はい! あ、クロさん。また今度抱きしめさせて下さいね! 最高の抱き心地でした!」


「あ! お姉ちゃんずるい! 私も是非お願いします!」


「な、何だと!? スイ! レア! それはどういうことだ?! まさか……!」


 恐らく狼の姿のことを言っているのだろう。

 それを聞いたシラルが悲鳴に近い声を上げた。

 その後、さっきまでの感謝の笑顔ではなく、娘を取られるかもしれないという鬼気迫る父親の顔でこちらを睨んでくる。

 苦笑いをしながらどうしようかと思っていたところで、シェリアが止めに入ってくれた。


「あなた。見苦しいですよ。この子達も年頃なんですから好いた人の一人や二人いて当然です。いつまでも子離れできないなんて恥ずかしい……」


「な、なんと! ということはやはり!!」


 いや、これは止めに入っているんじゃない。

 火に油を注いでいるのだ。

 そしてシラルと同じく油を注がれた人間が自分の隣にもいた。


「クロさん……まさかシェリアさんじゃなくてスイさん達に……!」


「……クロ、どういうことかな?」


 いや、二人はわかってるでしょう!?

 どう考えても狼の姿の時の毛皮の触り心地についてのことを言ってるじゃないの。


「(アンナもメリエも落ち着いて……、別に何もないってば。また毛皮をモフらせてってことだよ)」


 自分で言ってちょっと虚しくなったが、そう【伝想】で伝えるとようやく二人も勘違いだと気付いてくれたようで、ちょっと恥ずかしそうに無言で視線を逸らした。

 シェリアの言に火を点けられたシラルの視線を浴びながらしどろもどろになっていると、今度こそシェリアが止めに入ってくれた。


「あなた、まず落ち着いて下さい。スイとレアは助けてもらった時のことについてを言っているのです。これも後でちゃんと説明しますから」


「ぐぬ……そ、そうなのか? 二人とも」


「え!? あ、あの……エヘヘ」


 ……シェリアはシラルをいじるためにわざとあんな言い方をしたのだろうということは想像に難くない。

 やはりシラルはシェリアの尻に敷かれているようだ。

 またしても親近感が湧いてしまった。


 シラルに聞かれたレアとスイは明確に否定する事もなく、曖昧に作り笑いを浮かべるだけだった。

 これでちゃんと誤解が解けるのか……?


「クロさん、申し訳有りませんでした。この人は娘の色恋のこととなると周りが見えなくなるもので、気を悪く為さらないで下さい。では、私達は人目につく前に移動します。あなた、行きましょう」


「あ、うぬ、そ、そうだな」


 典型的な『娘は嫁にやらん!』と言うお父さんのようだ。

 誤解が解けた……かどうかはわからないが、とりあえずシラルの怒りが収まったところでシェリア達はフードを目深に被り、護衛の騎士と共に中央門の方へと歩き出した。


「……さて、これで誘拐騒動については一段落だが、クロ。話していたことについての説明はしてもらえるのか?」


 メリエの言葉にアンナも同じ気持ちのようでこちらに視線を向けてくる。


「うん、説明はするけど長くなるから王都まで行く移動の時でいい? 夜も大分更けたし今夜は休んで明日からの移動に備えた方がいいよ」


「ふむ。まぁ旅の間は時間もたっぷり有るし、その方が合理的か。じゃあこのままここで休むとしよう。明日朝一で食糧と消耗品の調達をしてくる。必要な物があったらあとで教えてくれ。ギルドへの連絡はもう済ませてあるから夜明けと共に出発できるだろう」


 買出しに必要となるお金をメリエに預け、必要な物をリストアップした所で今日の話し合いは終わりにした。

 眠る時間が減ってしまうことを懸念し、話は移動しながらという事にして今夜は眠ることにする。


 その後間もなく中央門で動きがあり、シラルの言っていた通り入市規制が解除されたようだった。

 今まで町に入れなかった人間が、我先にと中央門に詰めかけ、夜の闇の中でありながら昼間以上に人が動いていた。


 自分達はそんな騒ぎの音を遠巻きに聞きながら眠りにつく。

 周囲には自分達と同じように規制が解除されてもすぐには動かずに休んでいる人達もちらほらいた。

 そんな人達がまだいるため、今夜一杯は警邏や衛兵が門の周辺を警備してくれるようなので、今夜は見張りの必要もなく皆で眠ることができたのだった。

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