移動

「あ、メリエさーん」


 朝靄が漂い夜明けの陽光が差し込む頃、メリエとポロの持っているアーティファクトの気配が近づいてくるのを感じ取ったので、合流のために街道付近まで移動した。


 間もなくメリエを乗せたポロの姿と、そのすぐ後ろにパーラが使っていたのに似た走車が追従しているのをアンナが見つける。

 更にその後ろに鎧をつけた人間が馭者につき、大きな牛のような魔物が引く幌がついた走車が見えた。


 パーラが使っていたものに似た走車の手綱を持っているのは、パーラの護衛を請け負っていたハンターのフェリだった。

 メリエとポロもすぐにこちらに気がついたようで、真っ直ぐに駆けてくる。


「リン、大丈夫だったか?」


「はい。無事攫われた人を救助しました」


 自分の正体を知ったシェリア達には今回の経緯と変装しているということを説明してあるので、フェリ達が来ることも考慮してまた狼の姿と猫耳アンナに変装を済ませてある。

 三人とも今は足に合う靴が無い裸足の状態なので狼に変身した自分の背に乗っている。

 大きな狼の姿なので背に三人が乗っていてもまだ十分に余裕が在った。

 乗ろうと思えば5~6人くらい乗せることができるだろう。


 最初は古竜に乗るなんて畏れ多いと言っていた三人だったが、フワフワモコモコの狼の姿を見ると、さっきまでの遠慮はどこに行ったのかと思うくらいに飛びついてきた。

 さすがに大人のシェリアは飛びつくことはしなかったが、やはり嬉しそうに毛皮をモフっていた。

 竜への畏怖よりもモフモフの魅力が勝った瞬間である。


「(クロも待たせたな。ヒュルですぐさま救援を要請したんだが、都市内で何か事件があったらしくてな。すぐに動ける衛兵も少なくて派遣してくれた人数はそれ程多くなかったんだ。とりあえず救助に当たれる腕のある者と街道に放置されている走車と遺体の回収ができる数人だけ派遣してくれた。後日周辺の魔物の討伐を行なうそうだ。……背に乗せているのが攫われた人達か? 何で裸に……)」


 メリエは【伝想】で説明しながら背に乗るシェリアに目を留めて訝しげに聞いてくる。


「(ああ、うん。全員無事なんだけど、助ける時に竜語魔法で派手にやっちゃって服をダメにしちゃったんだ。一応攫って行った魔物と巣をまとめて潰しておいたから街道方面まで魔物が出て来る事は減ると思う。それから、それとは別にちょっと話しておかないといけないことがあるんだ。長くなるから後で説明するね)」


「(あ、正体のことですか?)」


「(うん。それもなんだけど、昨夜アンナが寝てる間に今後に関わることをシェリアに話されてね)」


 アンナにはまだ昨夜の内容を説明していない。

 メリエとポロにも説明しなければならないし、まとめて話す方が手間が省けていいだろう。


「(ああ、竜語魔法を使ったということは救助の時に知られてしまったのか。……いや、今後に関わる事? ……クロ。もしや背に乗せている裸の美人に手を出してしまったとかではあるまいな?)」


「(!? ……クロさん……?)」


 二人の目が途端に冷たくなる。

 アンナに目が笑っていない御怒りの時の笑顔を向けられ、緊張と説教の恐怖で狼のモコモコ尻尾の毛がモワっと逆立ち、倍くらいの太さになった。


 背に乗っている三人には【伝想】でのやり取りは伝わらないため、三人とも自分達が視線だけ交し合っている様子を不思議そうに見ていた。

 その中でいきなり目付き鋭く睨んできたメリエとアンナの視線が、背に乗る自分達に向けられたのだと勘違いし、スイとレアが何か悪い事をしてしまったのかとやや怯えている。


「(ち、違うから……。シェリアさんは結婚してるし、普通に旦那さんも子供もいるんだから、手なんか出さないよ。もっと違う事)」


「(……ならいいんだ)」


「(……昨夜のうちにシェリアさんに篭絡されたのかと……)」


 メリエからもアンナからもジト目を向けられる。

 え? 何? そこまで信用が無いの?

 確かに妙齢の美人を、しかも外套一枚だけの女性を背に乗せてはいるのは事実だけど、それだけで疑われる程メリエ達の心証が悪いのだろうか……。

 今までそんな嫌疑をかけられるようなことなんてしてない……はず……だよね……?


 今までの行いを思い返してみるが、女性に対してそこまでいい加減に対応した記憶は……無いと思うのだが。

 知らず知らずの内に何かしていたのだろうか?


 まぁ今は考えても仕方ないのでそれを考えるのは時間のある時にしよう。

 日も高くなってきたし、人目につく前にまずはシェリアの服を移動できるようにしなければならない。


「(まずメリエの着替えの予備を貸してくれない? 女の子二人はアンナの着替えの予備を貸してるんだけど、シェリアさん……外套一枚の女性はサイズが合う服を持ってなかったからさ)」


「(ああ、いいぞ)」


 小柄のアンナよりもメリエの方が体格が近いので、シェリアでも着ることができるはずだ。

 メリエと軽く情報交換をしていると、走車を止めて馬を落ち着かせていたフェリとコレットが降りてくるのが見えた。

 そのままアンナの方に駆け寄ってくる。


 それとほぼ同時に後ろからついて来ていた衛兵の乗った走車から一人の鎧を着た男性が下りてきて、ポロに持ってもらっているカバンから着替えを取り出しているメリエと一言二言言葉を交わし、すぐ街道に放置されている襲撃されたシェリア達の走車を移動する準備に取り掛かった。


 衛兵の人達も他の人と同様に、影狼に似た自分の姿を見ると怯えた様子を見せていたが、女性を背中に乗せたまま大人しくしているためか、すぐに安全だと思ってくれたようで気にする事もなくなった。


 衛兵の人達はメリエから救助の必要はなくなったということを聞いたのか、街道に放置されている走車と遺体の片づけをして町に戻るようだ。

 衛兵にも指示を出す隊長のような人はいたが、状況を把握しているメリエの指示を優先してくれているのかもしれない。


「リンさん! 怪我とかしてないかい?」


「うわぁ。本当に一人で救助しちゃうとは、ギルド登録していないのがもったいない……救助に来てくれた衛兵さん達は仕事がなくなりましたね」


「フェリさん、コレットさん。大丈夫ですよ。クロが頑張ってくれましたから無事救助できました。シーナさんとユユさんは?」


「ああ、二人はヒュルの総合ギルドと衛兵を派遣してくれた役場に今回の事情説明を頼んでいるよ」


 フェリ達がよかったよかったとアンナの労を労ねぎらっている間に、メリエはポロに持ってもらっている荷物から着替えを取り出してきてくれた。

 そのまま自分に乗るシェリアのところまで来ると、フェリ達に聞こえないように声量を落として話しかける。


「初めまして。私はメリエ。クロとアンナの仲間でハンターをしています。詳しいことは後ほど説明するとして、今はこれを」


 そう言ってシェリアに着替えを差し出す。

 シェリアはそれを笑顔で受け取った。


「ありがとうございます。貴女がクロさん達のお仲間さんですか。クロさんから少しだけお話を窺いました。今回は色々とご助力頂き感謝します」


「いえ、礼には及びません。まずは着替えを。日も高くなってきましたし、街道の人通りも増えてくるはずです」


「わかりました」


 外套の端を持ちながら静かに自分から下りると、受け取った着替えを手に草むらの方に移動する。

 一人だけでは危ないのでメリエとポロもそれに同行した。

 その間にアンナはフェリ達と情報交換をし、衛兵達はシェリア達の走車を町まで牽引する準備を整えていた。


「パーラさんが走車を貸してくれたんですよ。一緒には行けないけどせめて使って下さいって。パーラさんも随分心配していましたから、リンさんも戻ったら会いに行きましょう」


 う、まずい。

 騒ぎにならないようにヒュルに行く前に離脱しようと考えていたんだった。

 町に入るにしても人間の姿に戻ってからにしたい。


 どうしようかと思っていると着替え終わったシェリアとメリエが戻ってくる。

 シェリアは体格の近いメリエの着替えの予備を着られたようなのだが、胸だけはシェリアの方が豊かなのできつそうだ。


 下手に見たり口に出したりしようものなら怖い事が起こってしまうので、チラリと視界に入れてすぐに目を逸らした。

 メリエは話を耳にしていたのか、そのまま近寄ってくるとフェリ達に言った。


「恐らくリンは今のヒュルには入れないぞ」


「え?」


「フェリ達は既に見ているだろう。現在ヒュルは中に入る者も外に出る者も身分証明が必要になっている。普段はそんなものが無くても通行税を払えば出入りできるんだがな。

 何でも都市内で貴人の殺人だか誘拐だかの事件があって都市全体の警備が厳しくなり、身元を証明できない人間が中央門を通ることが規制されているんだ。その影響で都市に入れない人間と出られない人間が中央門付近に溢れていて大変な状況だった。恐らく犯人が捕まったり事件が進展したりしない限りは身分証明のないリンはそこで足止めされるだろう」


 それはもしかしてシェリア達のことだろうか。

 昨夜の話を考慮するとあながち間違っていない気がする。

 しかしここでシェリア達の身元を明かすのはまずい気がした。


 別にフェリ達に知られるだけならいいのだが、昨夜話された内容から考えると一緒についてきている衛兵達に知られるのが問題だ。

 念のため今は言わないでおくべきだろう。

 シェリア達も同じように考えているのか、自分達がその貴族ですと名乗り出る事はしなかった。


 フェリ達はハンター見習いといえども正式にギルド登録しているためギルドが発行している身分証明がある。

 メリエも同様だ。

 パーラは商業ギルドに登録しているし、元々ヒュルにも店舗を持つ商人の子だから市民証もある。


 しかし自分とアンナは市民証もなければギルドに正式登録もしていないのでギルド発行の身分証明も持っていない。

 アルデルで説明してくれたギルドの受付の人の話では、仮登録のものは身分証明としては使えないのだそうだ。


「そっか。メリエさんと一緒だからついリンさんもハンターと思っちゃうんですよね……。じゃあリンさんはどうするんです?」


「まぁ最悪、ヒュルには入らず、そのまま王都に向かう事になるだろうな。中に入れる私が物資の補給を済ませてくればいいし、無理にヒュルに入らなければならない理由も今の所ないし」


「そうですか……じゃあ残念ですけどヒュルで一回お別れですかね。規制が解除されるまで待っているのもいいかもしれませんけど、いつ解除されるのかもわかりませんしね」


「やはり身分証明が無いと不便なこともあるから、王都に到着したら総合ギルドで正式登録をした方がいいかもな」


「そうですよ! クロが一緒にいるリンさんならすぐにBランクくらいまで行けちゃいますって」


「か、考えてみます……」


 アンナとフェリ達が少し離れた場所で話しているのを、背にスイ達を乗せたまま聞く。

 確かに身分証明は今後のことを考えるとあった方がいいのかもしれない。

 試験を受けるのは面倒だが、ハンターか傭兵で登録をするべきか。


 一応総合ギルドには戦闘に関わらない職種での登録もできるのだが、その場合は薬や道具、鍛冶などの製造技術といった別の技能が必要となる。

 ギルドは一応職人集団みたいなものだからだ。


 製造技能や技術、文官として働くための知識はもっていないし身につける予定もないので、登録するならハンターか傭兵になりそうだった。


 ギルド登録以外で身分証明を得るには各都市の役所に申請して市民証を作ってもらう方法があるのだが、それにはアルデルなどのそれなりの規模がある都市に定住しなければならない。

 そして市民証を発行されると納税の義務も発生するのだそうだ。


 今の所一つの都市に定住するつもりもないし、市民証を取得するつもりは無い。

 ちなみにアンナのような村人の場合は、国で認められた村長から王都に申請を出してもらうと国民証を発行してもらえるそうなのだが、その場合も発行された個人に対して一定の納税義務が発生してしまう。


 各村からも村人から集めた作物などの税を国に納めているのでそれに上乗せされる事になるし、村で普通に生活するだけの人間には持っていても恩恵が殆ど無いため取得する人は殆ど居ないのだそうだ。

 必要となるのは他国に出向くような場合だけで、それを聞いたらパスポートのようなものかと思った。


 身分証明のことを考えていると移動の準備が完了する。

 さすがに馬の死体を都市まで運ぶということはしないようで、馬だけは街道脇の地面に穴を掘って埋めていた。

 走車の中に放置していた騎士の遺体は布に包まれ、衛兵の幌馬車に運び込まれた。

 シェリア達の乗っていた走車も衛兵の幌馬車から伸ばされた縄につながれ、牽引される。


「よし。じゃあ移動しよう。あー、シェリア殿達はフェリ達の乗ってきた走車に移って下さい。衛兵の走車は男性ばかりですし、こちらの方がいいでしょう」


 このメリエの言葉に、スイとレアが難色を示す。


「えー! 私達……このままクロの背中に乗って行きたいな……」


「うん。フワフワモコモコで気持ちいいし……」


 降りたくないと背中の上で毛皮にしがみ付くスイとレアを、メリエとアンナが厳しい目で注意する。

 しがみつくのはいいけど強く引っ張って毛を抜かないでおくれよ……。


「それはダメだ」


「はい。ダメなんです」


「ど、どうしてですか?」


「私達もクロに乗りたいからだ」


「(え? いやその……えぇ?)」


 メリエは腰に手を当てて胸を張り、堂々と言い切った。

 何その脱力する理由……。


 自分はその言葉に呆れてメリエに何を言っているんだという視線を向けたのだが、メリエもアンナも、そして走車に乗り込んでいたフェリもコレットも真剣な顔である。

 本気でそう考えているということか。

 その言葉にスイ達は唖然としていたが、続いたメリエの言葉に納得してくれた。


「とまぁ冗談は置いておき、クロにはいざという時には戦いに参加してもらわなければならない。なるべく身軽な方がいいんだ」


 尤もな事を言ってはいるが、本心は冗談と言って訂正したさっきの言葉の方ではないだろうか。

 今まで移動してきてそんなことは言わなかったし、移動中でも二人や三人で自分の背中に乗って毛皮をモフっていたではないか。


 自分なら多少人間が乗っていても動く事に障りは無い。

 咄嗟の時には落としてしまうかもしれないが、その前に魔物や野盗程度なら気づくことができるだろう。


「(でも、今までの旅じゃ移動の時も普通に乗って……)」


「(クロさん、少し静かにしてて下さいね。私達の問題ですから)」


「(アッハイ)」


 アンナの有無を言わさぬ笑顔で圧力をかけられ、余計な事を言うのを諦める。

 乗せるのは自分のはずなのに、その問題とやらに関われないとは……。


 フェリ達も本気で残念がっているし、メリエの顔にも『私も乗りたいのにずるい』とでかでかと書いてあるように見える。

 メリエの言葉に同意していたアンナも同じようだった。

 今何か言うのは無謀だ。


 そんな少女達のやり取りをよそに、着替えから戻ったシェリアは特に何も言うことなく先にフェリ達の走車に乗り込んでいる。

 やはり大人だなぁとシェリアに感心してしまった。


「むぅ……そういうことなら……」


「我慢します……」


 しょんぼりとして心底残念そうに背から降り、フェリ達の走車に移動するスイとレアの背中は随分ともの悲しそうに見えた。


 衛兵の人達と最終確認を済ませると移動を開始する。

 土の街道をガタゴトと音を立てながら動き出した走車の後に続いてポロと自分が歩き出した。


 日がまだ地平線近くに位置する早い時間のうちに無事ヒュルに向けて出発することができたので、今日中にヒュルまで行けるはずだ。

 先頭は衛兵の乗った走車、続いてフェリ達の乗った走車、最後に荷物だけ乗せた自分とメリエの乗ったポロが追従する。


 今はアンナもフェリ達の走車に乗っておしゃべりに興じているようだった。

 戦いがあった場合の事を考えて、自分に乗らないようにすべきだということをメリエに言われてしまったので、アンナも自分に乗るのを我慢することになったのだ。


 その後、特に何か起こることも無く順調に進み、日が暮れる少し前にヒュルの外壁が見えるところまでやってきた。

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