出発

「あ、クロさーん」


「ん? おお、どうしたんだ? 遅かったな」


 風の森亭の前まで来ると既にメリエとアンナが待っていた。

 買い食いをしていたのと、襲撃されたのとで思ったよりも時間が過ぎていたらしい。

 買い物を済ませたアンナ達の方が早かったようだ。


「あ、ごめんね。お腹空きすぎて屋台の誘惑に負けちゃってさ。買い食いしてた」


「そうだったんですか? すいません……。それなら先に夕食にした方が良かったですね」


「いや、気にしないで。買い物の方が大切でしょ。旅先で必要な物が無かったら困るんだから」


「そうだぞ。命に関ることは無いが、物が無いと色々大変だからな」


「じゃあご飯にしようか。メリエも一緒にご飯食べていこうよ。風の森亭のご飯美味しいから」


 風の森亭の食堂は別で料金を払えば宿泊客ではなくても食事をすることができる。

 ポロはどっちにしろ町の中で一緒に食事をすることはできないので三人で食べてもいいだろう。


「そうか。じゃあ相席させてもらうかな」


 早速三人で風の森亭の食堂に向かう。

 食堂の中はやはり宿泊客で混雑していた。

 三人で座れるテーブルを探して腰掛ける。


 普通の食堂とは違い、メニューを選ぶことはできず全てお任せだ。

 それでも十分な味なので自分もアンナも気にしていなかった。

 食事が来るまでの待ち時間で明日のことを決めておくことにする。


「明日は朝一で保存食を受け取りに行って出発がいいだろうな。一応相乗り走車も出ているが、それは使わないだろう?」


「そうだね。ポロもいるし、急ぐ必要も無いから歩きでいいんじゃない?」


 というかあの酷く揺れる走車にはできれば乗りたくない。

 乗り物に弱い訳ではないが、それでも酔いそうだった。


「ふむ。まぁ次の町までギリギリという程でもないだろうしな。では準備が出来次第出発するか」


「うん。アンナもそれでいい?」


「はい。大丈夫です」


「アンナは疲れたりしたら早く言ってね。まだ本調子じゃないだろうし、無理はしないようにしないとね」


 いくら回復してきているとはいえ、まだアンナの体は本調子ではない。

 アスィ村に行く時は殆ど竜の自分に乗っていたので大丈夫だったが、今回の移動では自分も人間の姿で歩く予定なので乗せてあげることはできない。

 最悪自分が背負ってあげるつもりではいるが、無理はしてほしくなかった。


「大丈夫ですよ。結構体力も戻ってきていますし」


「アンナ、長距離の旅は体力管理が重要だぞ? 『まだ大丈夫はもう危険』と言ってな、余裕のあるうちに休息するなりすることが大切だ。動けなくなってからでは遅いからな。それにアンナは食事係という大切な役割があるんだ。体力は残しておいてもらわないとな」


 メリエ……後半が本音だよねソレ。

 まぁわからなくもないが。

 しかし、言っている事は尤もだ。

 何も無い場所で動けなくなったら大変だし、止まっている時間が増えればその分だけ食糧も余分に減っていく。

 一応2~3日分の余裕をもたせてはいるし、まだスイカボチャなどの果物の種もあるが、油断はしない方がいいだろう。


「わかりました。ちゃんと無理な時は無理と言いますね」


 アンナも事の重大さがわかっているようで、無理はしないことを約束してくれた。

 アンナは根が素直でしっかりしているから、こうして約束してくれたのならそこまで心配することもないだろう。


 三人で話していると出来立ての料理が運ばれてくる。

 今夜の献立は白パン、何かの肉がゴロリと入ったビーフシチューのようなもの、瑞々しい野菜のサラダ、チーズ、蜂蜜酒、デザートにオレンジに似た果物だった。

 蜂蜜酒はそんなに強くはなく、酔っ払うほどではない。


「おお。これは美味しそうだな」


「でしょ? 実はこの店、猫のオススメだったんだよ」


「……猫?」


 風の森亭に宿を決めた時の出来事をメリエにかいつまんで話す。

 ここは賑わっているので多少声の音量を落とせば誰かに知られるということもない。


「そんな方法で決めたのか……しかし、忌憚の無い情報を得られるからこれは使える手段だな」


「そうだよね。他人の耳目は気にしても、まさか動物のことまで気にしてる人なんていないだろうし。アンナなんかは動物と仲良くなるのが上手くて色々なことを聞いてきてくれるんだよ」


「はい。動物大好きですから。他にも色々仲良くなったんですよ」


 にこにこ笑顔で食事をしながら、仲良くなった動物たちのことをマシンガントークで話し出すアンナ。

 メリエも動物が好きなのかそんなアンナの話を興味深そうに聞いていた。

 鳥達の歌から、ネズミの愚痴まで話していると、大分食事が進みデザートに差し掛かる。


「メリエも渡したヤツを使えばポロ以外とも話せるんだよ。今度試してみたら?」


「そうだな。これは楽しみだ」


 デザートのみかんモドキを食べ終えると紅茶のようなものを飲みながら少し休憩する。


「ふぅ。少し食べ過ぎたかな。しかし美味い料理だったな」


「これが食べられなくなると思うと少し寂しいね」


「私も負けないくらい美味しい料理を作れるようにしないと……!」


 アンナは密かに闘争心を燃やしている。

 それはそうと忘れない内にメリエに伝えておかなければ。


「メリエ。このあとちょっと話があるんだけどいい?」


「ん? ここでは話せないのか?」


 毒のことがあるのでできればアンナに聞かせない方がいいのではないかと思っている。

 アンナは森でハンター達に毒を飲まされたことがある。

 それを思い出してしまうだろう。

 トラウマになっているかはわからないが、辛いことはできれば思い出させたくは無かった。


「大切なことだから、できれば二人で。すぐに終わるよ」


「わかった」


 それを聞いたアンナは複雑な表情で交互に自分とメリエを見ていた。

 やがて悲しそうに目を伏せる。


「私には話せないことなんですか?」


 そんな不倫を隠している夫に秘密を問い詰める時のような目をしないでアンナさん……。


「もう少し時間が経ったら話そうと思ってるから、今は我慢してくれない? アンナのためでもあるんだよ」


 泣きそうなアンナを見ると隠し事をすることに酷い罪悪感を感じてしまうが、もう少し時間をおいてからにしてあげたい。

 辛い記憶は時間が癒してくれると言うし、衝撃が和らぐのを待った方がいいだろう。


「……わかりました。その代わり必ず話して下さいね?」


「うん。約束するよ」


 食事休憩を終え食堂を後にする。


「じゃあちょっと行ってくるね。すぐ戻る予定だけど先に寝ててもいいよ」


「メリエさん! ちょっとこっちに!」


「え!? おお!?」


 アンナと一時別れメリエと宿を出ようとしたところで、アンナがメリエの腕を取って驚くメリエを気にすることなく廊下の端まで引っ張っていった。


「ボソボソ……(いくら二人きりでいい雰囲気になっても抜け駆けはダメですからね?)」


「ボソボソ……(な、何を言ってるんだ! 私だってまだ心の準備が……。いや、そうじゃなく! そんなことはしないぞ!)」


 露天風呂の時のようにまた何か密談しているようだ……。

 聴覚を強化すれば聞こえると思うが、女性の会話の盗み聞きなどやってはいけないことだし、大人しく終わるのを待つことにする。

 やがてちょっと怒ったようなアンナと、なぜか耳まで真っ赤になったメリエが戻ってきた。

 何を話したのか……。


 アンナには先に部屋に行ってもらい、夜の通りを歩いてメリエの泊まる宿に向かう。

 静まってきた町の様子は昼とはまた違い、静かで落ち着いた雰囲気を醸し出していて新鮮だった。

 建物の黒いシルエット越しに見る満点の星空を楽しみながら静かな夜道を散歩する。


 メリエは下を向いたまま時折意味深な視線を向けてくるが言葉を発することはなかった。

 こちらも道中で話せることではないので今は黙っておくことにする。

 メリエの泊まっている宿に着くと、部屋には行かずに明かりを持ってポロのいる小屋に向かった。


「(これはクロ殿。どうかされましたか?)」


 メリエとポロの小屋に入ると、ポロは既に食事を終え寝る準備に入っているところだった。

 藁のような枯れ草を敷き詰めた寝床に丸くなっている。


「ちょっとメリエとポロに伝えておきたいことがあったんだ」


 やや固い表情で前置きすると、メリエと別れた後のことを説明する。

 メリエとポロは神妙な面持ちで、口を挟むことなく最後まで話を聞いてくれた。


「───ってことがあってね。一応もう二度と馬鹿な真似はしないように痛めつけておいたんだけど、ごめんね。勝手なことしちゃって」


 自分より二人の方が報復をしたかっただろう。

 痛めつけて逃げられないようにしてからメリエ達のところに引き摺ってくるべきだったかもしれないと少し後悔していた。

 ただボロボロにした男三人を引き摺って来れば町の人間に見られてしまい、いらぬ問題を招くことは明白だ。

 事後承諾になってしまったが、二人に代わって報復はしておいたので納得してもらうしかない。


「(いえ、私は十分です。人間の世界ではどうかわかりませんが、自然の中で生きていると理不尽に命を奪われることなど日常茶飯事です。命が助り代わりに報復までしてもらったのなら言うことはありません)」


 ポロはそう言って感謝の言葉をかけてくれた。

 こう言ってはいるが恐らく内心は納得していないだろう。

 知能が高い竜種は自我も人間並みにしっかりしているし、復讐心や怒りは抱くものだ。


 確かに自然の中では突然に何の意味も無く命を奪われることも珍しくない。

 しかし理解できることと納得できることは必ずしも一致するわけではないのだ。

 そしてメリエは、やはり納得できないのか怒りに唇を噛んでいた。


「許せんな。確かにクロの言うように犯罪として立証することは難しいが、ギルドマスターに上申して登録を抹消してもらうくらいはしないと気が済まない。緊急依頼の件で借りも作ってあるし調査くらいはしてくれるだろう。ちょっと行ってくる」


「ん。わかった。でも殴り込むとかはやめてね。リーダー格の男は無傷だし、かなりの実力があるのは本当だった。メリエに怪我はして欲しくないし、どうしてもというなら僕が止めることになる」


 さすがに半強制的にではあったが二度とやらないという約束を取り付けて間もないのに、自分が更に追い討ちをかけにいくのは気が引ける。

 約束を破ったのなら容赦する気は無いが今は放っておいてもいいだろうと思う。


 ただメリエの気持ちも理解できる。

 家族を奪われる憎しみはいかほどのものか自分にはわからないが、少なくとも誰かが代わりにやってくれたからと言って納得できるものではないだろう。


 自分が人間だった頃の現代社会で、家族が殺された事件などはよく目にしていた。

 犯人が捕まり有罪が確定して罪を裁かれても、被害者遺族がそれに納得して怒りを収めるなんてことはまず無い。


 恐らくメリエもそんな気持ちなのだろう。

 今回は幸いポロは無事だし、ポロ自身ももう十分と言ってはいるが、内心穏やかではないはずだ。

 一応釘を刺してはおくが、ギルドに上申に行くくらいはいいだろう。

 それで少しは心が軽くなってくれればいいのだが……。


「……わかっている。自分の実力と相手の力量を天秤にかけることも大切だしな。クロとポロの想いを無駄にするつもりもないからそこは安心してくれ」


「(ご主人、クロ殿、ありがとうございます)」


「仲間なんだからこれくらい当たり前だよ。じゃあ僕はこれで戻るね。一応もう何かされるってことは無いと思うけど念のために警戒はしておいてね」


「わかった。色々済まなかったな。私もギルドに行ったら早めに休むことにする。明日は朝から忙しくなるしな」


 メリエとポロと別れると、アンナの待つ風の森亭に向かう。

 メリエも後先考えずに復讐に走ることは無いと思うが、念のためアーティファクトの気配を探ってメリエの位置を把握しておくことにした。


 風の森亭に着く頃にはメリエの持つアーティファクトの気配はギルドに到着しているようだった。

 その後、真っ直ぐ宿の方に戻っていったので自分も安心してアンナのいる部屋へと戻った。


 部屋に入ると待っていたと言わんばかりのアンナに何をしてきたのか、メリエとは何かあったのかなどをしつこく聞かれ、眠れたのは大分遅くになってしまった……。



 翌朝、若干眠そうなアンナと共に食堂に行き、昨日言っていた通りオマケをしてもらった朝食を堪能した。

 何をおまけしてくれたのかというと、コロネさんの手料理の卵焼きのようなものを一品追加してくれたのだった。


 コロネさん曰く、家族以外に手料理を出すことは滅多に無いし、家族にも好評なのだそうだ。

 ちなみにいつも食べている食堂の料理はコロネさんのお父さんが作っているらしい。

 アンナと食べてみたが確かに美味しかった。

 いつもの食堂の料理も美味しいのだが、コロネさんの料理は温かみがあると言うか、人間だった頃の母親の料理を思い出すような味だった。


 食事を終え、コロネさんにそのことを伝えると母から学んだ料理であるということを話してくれた。

 やはりこの世界にも母親の味というものがあるようで、自分が人間の母親の料理を思い出したのはそんな繋がりがあったからなのだろう。


 料理を褒めたらまた作ってあげるから泊まりに来るようにと言われ、この町に来たらまた泊まりにくることをアンナと二人で約束しておいた。

 朝食後にお弁当を三人分頼み、宿を出る準備をする。

 初めて来た人間の町で初めて泊まったこの宿には、少なくない愛着が湧いていたので少し寂しい気持ちになる。

 また泊まりに来ようと思った。


「じゃあ行こうか。メリエも待ってると思うし」


「はい。お弁当楽しみですね」


「まだ朝ごはん食べたばかりじゃない。気が早いよ」


 早速受付で受け取ったお弁当に期待を寄せるアンナに苦笑しつつ、宿を出てメリエの泊まっている宿に向かう。

 この後は予約していた食糧を受け取り、水を汲んだら出発する予定だ。

 まだ人通りの少ない早朝の通りを澄んだ空気を楽しみつつアンナと歩く。

 メリエの泊まっている宿の前まで行くとポロの手綱を引いたメリエが既に待っていた。


「おはよう二人とも。準備はいいか?」


「(おはようございます、お二方)」


「おはようございます」


「おはよう。じゃあ行こうか」


 メリエとポロはいつも通りの雰囲気だった。

 昨日のことで少し心配していたのだが、どうやら大丈夫そうだ。

 全員で予約していた食糧を受け取り、リュックに仕舞うと中央門に向かう。


 中央門を出ると、この世界で初めて訪れ色々なことがあったこの町とも暫くお別れだ。

 また少しセンチメンタルな気分になりつつも、新たな目的地を目指して街道を歩き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る