露天風呂
物を動かす術を使うとボコボコと土と石が動き、川原に程よい深さの穴が出来上がる。
そのまま水を入れると泥水になってしまうので砂利のような石と大きな丸い石を集めて穴の底に敷き詰めておく。
多少隙間があるが大量に泥が滲んでくることはないだろう。
「おお、すごいな……本当に何でもアリなんだな……。一家に一つクロが欲しくなるな」
人を……いや竜を白物家電のように言わないで欲しいが、逆の立場なら自分も同じことを思ったに違いない。
文明の利器がそこまで発達していないこの世界ではこういった便利な道具は無いのだ。
「待ってね。二人のお風呂も作っちゃうから」
「ん? 何でそんな面倒なことをするんだ? 一つあれば十分だろう?」
「え? 一つだと男女で順番に入らないといけないから時間もかかるし、すぐできるから面倒でもないよ?」
「普通は男女で分けることはしないぞ? 水も湯も貴重だし公衆浴場も共同だ。まぁ湯浴み着を着ている者も多いがな。それが嫌な者は風呂付の宿を取ったりするか、貴族などの身分の高い者が使う男女別になっている風呂を探すかだな」
「そうですね。村でも分けているところは見たことありませんね」
なん……だと……?
年若い男女でも混浴が基本なのか。
確かにこの世界の技術水準だと湯を沸かすのも水を引くのもかなりの手間なのは理解できるが、倫理的にそれはどうなんだろうか。
一般人が毎日行くようなものではないのかもしれないし設備投資のことを考えるとそんなものなのか?
しかし二人は気にしないようだったがこっちは気にしてしまう。
二人ともかなり美人だし、竜ではあっても人間だった頃の価値観は残っている。
それにしてもこれはアルデルの公衆浴場を利用しないで正解だったかもしれない。
アンナやメリエの裸をその辺の男共に晒すというのはかなり嫌な気分になる。
別に恋人でもないのに独占欲を持つのはどうかとも思うが、美少女二人を前にするとそんな気持ちになるのも理解してもらいたい。
変なところでカルチャーショックを受けてしまった。
というか混浴が当たり前なら前に自分の裸を晒してアンナがすごい怒っていたのは何故だろうか。
公衆浴場に行ったら裸になるのだろうしそれくらいであそこまで怒らなくていい気もするのだが。
現代風に言うならビキニ水着は平気だけど下着はダメみたいな感じなのだろうか……。
「あー。二人は気にしないかもしれないけど、僕が気になるから……。それに今は竜の姿だけどお風呂入る時は人間の姿だよ?」
竜の姿で入るとなるとそれなりの大きさで用意しなければならないし、鱗を自分で擦って汚れを落としたりもできない。
竜の姿の汚れは人間の姿でも落とせるのは前に実験してわかっているし、それなら人間の姿で入った方が合理的だろう。
それを聞いた二人は後ろを向いて肩を寄せ合った。
「ボソボソ……(アンナアンナ。気になるということは我々をその……意識しているということか?)」
「ボソボソ……(と、思いますけど。しかしクロさんですからね)」
何やら二人で密談している。
何かまずいことでも言ったのだろうか。
普通に考えればごく当たり前のことしか言っていないような気がするのだが。
訝しく思っていたらすぐに振り向いてやや棒読み気味な声音でメリエが言う。
「そうなのか。まぁ私はクロなら気にしないがな。アンナはどうだ?」
「私もクロさんには森で水浴びをした時に裸を見られてますし、クロさんが変身する時には裸を見てますし、今更な気もしますね」
あの時とは全然状況が違うと思いますよアンナさん……。
風呂場で着替え中なのを見られるのと、医者の前で診察のために服を脱ぐというくらい違うと思うのだが……。
まぁ二人がいいと言うならいいか。
郷に入っては郷に従えとも言うし……。
一応体が近くならないように広めに作っておこう。
少し大きく穴を広げると、すぐ隣を流れる日本ではなかなか見ることができないような綺麗な川の水を術で浮かせて流し込む。
一杯になったところで水に手を突っ込み、今度は温める術を使って水をお湯に変えていく。
「あ。ポロも入る? 入るならもっと大きいの作るけど」
「(私はお湯が苦手なので川で水浴びをすれば十分です)」
そうなのか。
気持ちいいのに。
個人の好みなのでそこまで気にしなくてもいいか。
水に濡れることそのものが苦手という生き物もいるのだし、疾竜はお湯より水がいいのかもしれない。
いや、そもそも竜なのにお湯が好きという自分が変わり者という可能性もあるのか。
あれこれと考えながら水を温めていると丁度いい温度になり、湯気が出始める。
即席ではあるがかなり立派な露天風呂の完成だ。
自画自賛かもしれないが普通に料金が取れるくらいの完成度だと思う。
「できたよー」
「……クロがいれば風呂付の高級宿が経営できるな……」
まぁ確かにね……。
身を落ち着けることになったら宿屋の主人も考慮に入れてみるか。
いや、今そんなことを考えても仕方ないだろう。
準備が完了したので人の姿になって入る用意をする。
一応少しは隠れられそうな岩陰を選んで変身したのだが岩が小さすぎて隠れ切れていなかった。
これは怒られるかと思ったが、今回はお風呂に入る前だからか裸を晒してもアンナに怒られることはなかった。
というかアンナも躊躇無く自分の服を脱いでいる。
ここから先は人間の姿でいる予定なので荷物から着替えの服を出しておき、出たらすぐ着られるようにしておく。
バスタオルは無いが術で乾かせるので問題ない。
メリエもここ暫くはお風呂に入っていないようで目を輝かせて準備をしている。
村長の家にはお風呂は無かったのだろうか。
まぁあったとしても緊急時だったし、客の立場で入らせてくれとは言いにくいのかもしれないけど。
メリエとアンナはさっき言った通り男の自分が目の前にいる状況でも服を脱いでいる。
眼福なのかもしれないが、ここまで堂々とされると自分が男と認識されていないというか、自分の方の意識が変というか、嬉しいというよりも微妙な気分になった。
うーん。
それが当たり前だと言われても、やっぱり女性が男の自分の前で躊躇い無く服を脱ぐというのはちょっと目のやり場に困るな。
竜での生活が板についてきていたため、自分が裸になることに感じるものは無くなってきてはいるが、異性に見られたり異性の裸が近くにあるというのはやはり恥ずかしい。
なるべく見ないようにしてさっさと湯船の端っこに体を沈めた。
「ふはー……。疲れが溶け出していくー……お湯が体に染み渡るー……生き返るぅー……」
風呂は魂の洗濯だとはよく言ったものだ。
翌々考えるとちゃんとしたお湯のお風呂に入るのは人間だったとき以来だ。
時間感覚がちょっとあやふやだが、意識できている部分で考えると実に半年以上振りだ。
すぐ傍をさらさらと流れる小川の水音が耳に心地良く、心も体も癒されていくようだった。
自分達の出す音以外には風が吹き抜ける音と水の音しかしない静謐な雰囲気は、山深い場所にある穴場の温泉宿の露天風呂に浸かっている時のようだ。
そういえば人の姿になるのも結構久しぶりに感じた。
人の居ない森や山でなら竜の姿でも別にいいのだが、体が大きいと人の町や村では落ち着かないものだった。
全てが自分より小さいので変に気を遣うというか常に緊張した感じでいた気がする。
それとも人間だった頃の感覚が呼び戻されて人間の方がしっくりすると感じるようになっていたのだろうか。
「ふふ。随分とオヤジ臭いな……。何度思ったかわからないが本当に竜なのか疑いたくなるぞ」
そういいながら薄い布で前を隠したメリエが湯船に入ってくる。
一応見えないようにしてくれているようだが、結構豊かな胸やくびれた腰周り、そして引き締まった太腿などが丸わかりである。
別に布が邪魔で見えずに残念とか思ってはいない。
断じて。
「ふぅ。これはいい湯だな」
普段はポニーテールにまとめている髪を下ろしているので雰囲気もいつもと違っている。
普段は男勝りな感じだが、髪を下ろした姿だけを見るならどこかの貴族令嬢のような可憐な見た目だった。
髪を下ろして服装も町娘のようなものに変えて町中を歩けば、誰もが振り返るようになるのではないだろうか。
更に髪や肌が濡れて艶っぽい色気も合わさり、蟲惑的な魅力が滲み出ている。
「失礼します……。ふわー気持ちいいですぅ」
アンナはそんな布など持っていないのでそのままだ。
ただ今後のことを考えると町で買っておくべきかもしれない。
以前は病的なまでに痩せ細っていたが、今はだいぶふっくらとした身体つきに戻ってきているので、本人は気にしなくてもこちらが気になってしまう。
健康的に肉付いてきた体と肌に濡れた金髪が良く似合う。
やはり普通の村娘だというのが嘘のようだった。
舞踏会で着るようなドレスでも着せたら、高級着せ替え人形をそのまま大きくしたような姿になりそうだ。
女と少女の間という微妙なバランスの上に成り立っている繊細な美しさがアンナにはあった。
「素晴らしいな。移動中に風呂に入れるなど貴族でもできない贅沢だぞ」
「こんなに静かで綺麗なお風呂に入るのは初めてです。……はーぁ、幸せですぅ」
確かに一般家庭に風呂が普及していないのだから公衆浴場などの他人が多い騒がしい場所でしか入浴は出来ないのだろう。
心を落ち着けて入れるお風呂は高級宿や貴族用の風呂くらいなものだろうし。
アンナもメリエも露天風呂を気に入ってくれたようだ。
気持ち良さそうに湯に浸かる二人を見つめていたらメリエに睨まれてしまった。
「クロ。いくら男女一緒に入ることが普通でも、じろじろと見るのはマナー違反だぞ。紳士は知らん顔で堂々と振舞うものだ。まぁ恋人同士ならばその限りでもないがな」
最後だけ照れながら言うメリエ。
というか何それ。
そんな苦行にこの世界の男性は耐えているのか。
最初にこの決まりごとを作った人物に物申したい気分になる。
「クロさん。普通の公衆浴場で相手の同意が無いのに体に触ったりじろじろ見たりすると追い出されますし、酷い時には警邏に突き出されますからね。気をつけて下さいよ。……ボソ(私は気にしませんからいいんですけど)」
同意があれば触っていいとでも言うのかね?
公衆の面前で?
それはそれでどうかと思うよアンナ君。
「し、しないから。というかアンナだって前に僕が裸になった時見てたじゃ……」
「見ていません」
「えぇ? でも怒りながらもこっちをじっと……」
「見・て・ま・せ・ん!」
うっ……これは危険だ。
笑顔なのに目が笑っていないアンナのこの表情……。
これ以上は地雷だ。
そう囁いている、私の、ゴーストが。
「アッハイ……ソウデスネ」
アンナの爆弾が起爆する前に身を引いておく。
理不尽に思わなくも無かったが、あの恐怖のお説教は御免である。
なるべく二人の方を見ないように湯に浸かっていたら、川で水浴びという名の水泳を楽しんでいたポロがスイーっと泳ぎながら寄ってくる。
「(クロ殿。ご主人はどうですか? 御覧になってみて関心を惹かれたのなら是非クロ殿の群に迎えてあげて頂きたい。ご主人も成体となって時間が経ちますし、そろそろ行き遅れの心配が……)」
「ポロ……? ご飯抜きと鞭打ち、どちらが好みかな……?」
「(ご、ご主人! 私はご主人が幸せになれるようにと……! 決して貶めるつもりは)」
メリエが青筋を浮かべた笑顔でポロを睨む。
魔物と戦ってる時でも見せたことが無い鬼気迫る表情だ。
まだ17,18くらいだし行き遅れを気にする年でもないような気もするが、この世界だとそんなものなのだろうか。
ポロのような野生動物の視点からすると子供を産める体になった時点で相手を探すというのが普通だから、そういう意味では行き遅れになるのか……?
しかし生活形態の違う人間種の価値観と野生動物の価値観をごっちゃに考えるのはまずいだろう。
メリエもその辺を考えれば気にすることはないと気付きそうだけど。
そういえば竜の自分はいつから成体という扱いになるのだろうか。
「ポ、ポロ……恋人は何れは欲しいと思ってはいるんだけど、僕まだ生後一年経ってないしね……。というか前々から思ってたけど、人間じゃない自分と人間が恋人になるってどうなの?」
竜の肉体年齢は1歳に満たないが、精神年齢は十分なのでいいのだろうか。
今まで何となくしか考えていなかった。
そんな部分もあって自分の倫理的な面が誰かに恋愛感情を持つことにストップをかけていたが、【転身】は肉体年齢をその生物の成長具合に合わせているから人間での肉体年齢は今の見た目の16~18歳くらいなはずだ。
ということは肉体的にも精神的にも既に問題ないということになる。
ただ、性欲は全く無いということはないのだが、まだそれ程強く顕れていないので性的に成熟しきっているということはなさそうだ。
それに自分だって恋人が欲しいとは思うけど、やはり種族の壁というのは高いという意識がある。
国際結婚とかそういうレベルではないだろうし、自分が良くても相手に何か不利益がありそうな気がしてしまう。
「クロさん! ほ、本人達が納得していれば種族の違いも年も関係ないんですよ! 現に昔竜と結ばれた人が竜人種を産んでいるんですから!」
ザバァッと勢い良く水しぶきを上げながらアンナが立ち上がって熱弁する。
「ア、アンナ。丸見えになっているぞ。落ち着け」
「えっ……? ふぎゃぁぁぁぁ!!」
ザバァッと勢いよく水しぶきを上げながらアンナが潜水する。
今更遅いぞアンナ君。
丸見えだったよ。
まぁ森で前にも見ているけども。
しかし、既に裸で一緒の風呂に入っているのに見られたらダメなのだろうか。
どこから恥ずかしいのか、どこから恥ずかしくないのかよくわからない……。
「オッホン。クロ、貴族でもない限り婚姻は本人同士の問題だ。他種族同士で結ばれる者も珍しくないしな。だから種族などは気にする必要はないし周りもとやかく言うことは無いぞ。というかクロの、こ、好みはどうなんだ? やはり同族がいいのか?」
半分お湯に顔を浸して照れながら言うメリエに少しドキリとしてしまった。
美人がそういう仕草をするとぐっとくるものがある。
こういうことで魅力を感じるのは感性が竜よりも人間に近いということか。
「うーん。どうなんだろう……今のところ同族を好きになったことはないね。アンナやメリエみたいな人間種と居る時間の方が長いし、好みも人間種になりそうな気がするなぁ」
やはり人間だった頃の意識や価値観がそうさせるのか、好意を抱くのは人間のような気がする。
現に今もメリエやアンナの艶っぽい姿に魅力を感じているわけだし。
少なくともポロのような竜種に対して恋愛感情が芽生えるということはなさそうだった。
やはり竜を見ても動物を愛でるといった感じの想いしか湧いてこない。
以前伴侶の件で森の翁に言われてから頭の片隅で考えてはいたが、多くの事で人間の意志や価値観の方が優先されているし好みは人間寄りになるだろうと思っている。
「ほ! 本当ですね!? 嘘じゃありませんね!?」
「う、うん。古竜がどんな風にして伴侶を見つけているのかは調べたことがないからわからないけど、今の時点ではわざわざ古竜の同族を探すよりも人間種で相手を探したいと思う、かな」
もしかすると同族に出会った瞬間、問答無用で心奪われるということが起こらないとも限らないが、今の時点でそれを確かめる術はない。
少なくとも現状では人間種の方が魅力的に感じているのは事実だ。
それを聞いたアンナがくるりと背中を向けて何やらガッツポーズのようなことをしている。
メリエも顔を半分湯に沈めたままブクブクしながら微妙に艶のある視線を向けてくる。
そういう仕草をするといらぬ誤解を招くから不用意にするべきではないと思うよ……。
二人にどぎまぎしながらも、人間だった時の記憶がある特殊な竜である自分と違って、普通の人間種の二人から見て古竜の自分はどう見えているのかと考えていたら、ポロがまたズイッと体を寄せてきた。
「(クロ殿。我々竜種はクロ殿くらいになればもう子を成す事ができるようになっています。そして古竜種は昔から一匹の強い雄に様々な雌が集まって群を作るのが普通です。数あるどの竜種でも古竜の雄に見初められ、古竜の群に迎えられたいと願うものです。ですから主人を是非クロ殿の群にお願いしますよ)」
古竜はサラブレットのような扱いなのか。
確かに強い子孫を残したいと思うのは野生では普通のことだ。
様々に系統分岐した竜種でも、古竜の強い遺伝子は魅力的に映るものなのかもしれない。
ポロがやたらメリエを押してくるのはそうした本能的な感情があるからだろうか。
母上はどうだったんだろう。
父親に当たる竜は見たことがないが、きっとどこかにはいるのだろう。
別に会いたいとも思わないし、母上に聞こうとも思わないが、少し気になった。
「ブクブク(子供……クロさんと……そんな……)」
「さ、さぁ! あまり長湯すると当たるぞ! そろそろ体を洗って上がろう」
「え? あ、うん。待ってね。出たら乾かす術をかけるから」
アンナが顔を真っ赤にしてブクブクとしている横で、メリエが慌ててまくし立てる。
アンナも茹ってきているようだし、メリエの言う通り長湯すると湯当たりを起こすので程々にしておこう。
普通はマナー違反かもしれないのだが、シャワーなども無いので湯船の中でジャブジャブと頭と体を擦って汚れを落とし、二人よりも先に出て体を乾かし、久しぶりに着る服に袖を通した。
相変わらずの寝巻きっぽい服だが愛着が湧いてきたかもしれない。
アンナとメリエも自分と同じように湯船の中でそれぞれ体を洗っている。
その後、なるべく二人を見ないようにしながら温風の術で一気に乾かし、ついでにポロにも風を送る。
湯上りでぽかぽかなので暫くは草原の風に身を任せて火照った体を冷ましつつ、川の音を聞きながらのんびりと休憩した。
まだ日は高いがここからアルデルの町まではまだ距離があるので、のんびり気分も程々に移動の準備をしていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます