お出かけの準備

 間もなく夕暮れが迫ってくるという時間帯に差し掛かる頃、襲ってきた者達との戦いの後始末をする。

 仮とはいえ、住処としている泉の付近に死体を散乱させておくわけにもいかない。

 気分的にもいいものではないし、放っておいて腐敗しようものなら近寄ることもできなくなる。


 自分の成すべきことを成すためには仕方なかったことだが、やはり事が終わると僅かな罪悪感が芽生えた。

 しかし後悔しても何も始まらない。

 後悔するくらいならこれからのことを考えて動くべきだろう。

 初めて人を殺したことに何も感じないわけではないが、それに囚われるわけにもいかないのだ。


 自分には守るべきものがある、そのためには優先順位をつけねばならない。

 何を優先して何を切り捨てるのか。

 それを誤れば大切なものを失うのは自分。

 それは許容できない。


 今回は相手の命を優先するよりも守るべきものの優先順位が高かった。

 それだけの話だ。

 アンナに凄惨な現場を見せてしまったことに申し訳ない気持ちが湧き上がったが、本人はそれ程気にしていないようだった。


 アンナの住む村が戦争に巻き込まれた時は、自分の知人や近隣に住む人々がたくさん殺されたそうだ。

 それに比べたら自分を道具のように扱い殺そうとしてきた者達の死など心を痛める程ではなかったようだった。


 思った以上にこの世界は命が軽いらしい。

 人の死が日本よりも身近にある世界。

 そんな世界に身を置く以上自分も理解しておく必要があるのかもしれない。


 使えそうなものを死体から回収し、死体を森の奥の方まで運ぶ。

 星術を使いやすいように竜の姿になり、物を動かす術でまとめて動かす。

 自分がやったとはいえ無残な死体を見ると気分が悪くなったが、直接触って始末する必要が無かったのが幸いだった。

 余計なことを考えないようになるべく淡々と作業を進める。


 竜の姿でも人の姿でもアンナの態度が変わることは無く、自分を受け入れてくれたのだという事が改めて感じられ嬉しくなる。

 それを実感すると救うことができて良かった、行動して良かったと思えた。


 後始末の作業中に狼親子が様子を見に来た。

 争う気配を察知し、それが収まったので何が起こったのかを確認しに来たようだ。

 人間が襲ってきたこと、それを返り討ちにしたこと、その後始末をしていることを伝えると無事で何よりとこちらを心配してくれた。


 死体を見せたが、草原で狼親子を襲った人間とは違ったようだ。

 ということはまだ他の人間が潜んでいる可能性があるということなので、警戒しておく必要があると気を引き締めなおした。


 狼親子が現れた時に、自身の大きさの倍はあろうかという狼を見たアンナが悲鳴を上げて腰を抜かしていたが、知り合いだと言うと怯えつつも納得してくれた。

 自分は【伝想】のお陰で狼とアンナの双方の言葉や意思がわかるが、アンナと狼は意思疎通ができなかった。


 試しにアンナに【伝想】をかけられないかちょっと実験してみたのだが、【伝想】は体内に星素を集めて行う術なので、星素を集められないアンナに外から術をかけてやることはできなかった。

 これは仕方ないか。必要な時は通訳してあげることにする。


 狼親子も人間のアンナを見ると一気に警戒度を上げ、襲い掛からんばかりの気配を出していたが。自分が助けたということと危険はないということを言うと、警戒を解くことは無かったが自分達に害を成すことはないと理解はしてくれたようだった。


 そんな事がありつつも、泉から離れた場所に大きな深い穴を開け、その中に死体を入れて埋めた。

 かなり深く掘ったので動物に掘り返されることも無いだろうし、腐乱臭がすることも無いと思う。

 別に手を合わせたりすることもなく穴を埋め戻すと、すぐにアンナのいる泉の方に戻った。


 死体から回収できたのは、硬貨のようなものが入った皮袋、何かの入ったビン、アンナ用に小さめのナイフ、干し肉などの携帯食が少し、以前も拾った金属製のプレートのようなものくらいだった。


 どこかにベースキャンプがあるのかあまり道具を持ち込んではいなかったようだ。

 服などはサイズも違うし死体が着ていたものを着たくはなかったから放置。

 武器類も自分やアンナには必要ない。


 ただ実験用に剣を2本だけ残しておいく。

 バックパックは狩った獲物などを入れる用だったのか何も入っていなかった。

 カバン自体は以前回収したものがあるのでこれもいらないと判断し、処分する。


 一通りの作業を終えると、その日は早めに休むことにする。

 狼親子も水を飲むとまた森の中に戻っていった。

 帰り際に人間の姿に変身して見せ、今後はこの姿でこの辺にいるかもしれないということを伝えておいたし、今後間違われることも無いだろう。


 一応竜の匂いや気配は出していると思うが、見かけない人間がいるということでアンナの時のように襲われそうになるのは避けたい。

 肉体的な疲れは無かったが、初めての戦闘と死体の後始末というかなり堪える作業をしたため精神的な疲労感がどっと押し寄せてくる。


 昨日は見張りのために起きていたが、さすがに今日は眠りたかった。

 しかし、アンナをそのままにしておくのも問題かなと思い、どうしようか思案する。

 アンナは代わりに起きて見張りますと息巻いていたが、まだ体調が回復しきっていないし、何より女の子に一晩見張らせるのは良心が許さないので却下である。


 結局、竜の姿で寝ることにしてアンナには自分のすぐ横で寝てもらうことにした。

 アンナにはもう正体もバレているし、人間の姿で寝るよりは竜の姿の方が襲撃者に警戒心を与えられるだろうという判断だ。


 ……寝返りを打って押し潰しましたはシャレにならないのでそこだけは注意せねば。

 念のため姿が見えないようにアンナは落ち葉で頭まですっぽり埋まって寝てもらった。




 目が覚めると既に日が高く昇っていた。

 いつもは明るくなると自然に目が覚めていたが今日は寝坊してしまったらしい。

 横を見るとアンナもまだ眠っている。


 やはり昨日の精神的疲労はかなり大きいものだったようだ。

 幸いなことに森を吹き抜ける気持ちのいい風と、泉で顔を洗ってすっきりしたことで気分も上向き、いつもの調子が戻ってきた。


 アンナを起こして朝食を済ませると、アンナにはゆっくりしているように言っておく。

 まだ体力的にはとても動き回れる状態ではないし、回復を優先させなければならないだろう。


「クロさんは今日はどうするんですか?」


「今日は術の研究や練習をしようかと思ってるよ」


「術って、魔法のことですか?」


「うん。僕たちの使ってるのは魔法じゃなくて星術っていうんだ。人間とかは竜魔法とか竜語魔法って呼んでるらしいよ」


「へぇ……、良かったら見学してていいですか?」


「うん。どうぞー。見てて面白いかはわからないけどね」


「ありがとうございます」


 アンナは特にやることもないし、術を使うところを見ていたいようだ。

 確かに体を休めるだけというのは暇である。

 人間だった頃病気で寝てるときはとても暇だった。


 夜寝てるから日中はあんまり眠れないし、かといって動き回るのも回復が遅くなるから好ましくないしで、布団の中で時間を持て余していた記憶が蘇る。

 アンナが物珍しそうに見ている中、術の実験をして今後何かあった際に対応できるように準備をしておく。


 強力な術を使うとアンナがびっくりしていた。

 やはり星術は人間の魔法よりも大分強力なもののようだ。

 尤もアンナがあまり魔法を見たことが無いだけかもしれないが。


 なかなか便利そうな術もこの機会に創っておくことができたので暫くは問題ないだろう。

 必要になればその都度術を増やしていけばいい。

 その日はそんな感じでゆっくりした時間を過ごし、英気を養った。

 一応人間がまた来るかもしれないということで警戒もしていたがそんな気配を感じることは無かった。



 翌日、今日は人間から回収した物品を調べることにする。

 自分はこの世界の人間の文化を知らないので前に拾った物も何だかわからないものが多い。

 しかし、今はアンナがいる。

 アンナはこの世界で今まで生きてきたので、知っているものがあるかもしれないと思ったのだ。


 人間の姿になると以前回収したリュックを掘り返し、今回回収したものとあわせて並べる。

 アンナと一緒に並べた物の前に座り込み、わかるものが無いか見てみることにした。


「これ、お金だと思うんだけどアンナ知ってる?」


「えと、お金ですね。ただ私はお金を扱ったことが無いので価値がわからないです」


 なるほど。

 確かにアンナの生活だとお金を管理するのは親の仕事だろうし、子供にお金を持たせるようなことも無かったのだろう。

 それとも、単純に貧しい家庭でお金に触れる機会が無かっただけなのだろうか。


「そっか。じゃあこれは何だろうね」


 そう言って金属のプレートを手に取る。


「うーん。私も見たことがないですね。もしかすると市民証とかでしょうか」


「市民証?」


「はい。大きな都市ではたくさんの人が毎日出入りするので、住んでいる人と外から来る人を区別するために住んでいる人には市民証を作って渡すそうです。私は村から出たことがないのでお父さんに聞いただけなんですけど」


「へー」


 ふむふむ。

 ということは持っていると後々役立つ場面があるかもしれないということか。

 しかし普通に考えれば持っている個人を特定するためのものであるはずなので、他人である自分やアンナが使えるとは思えない。

 でも集めた金属プレートは全部何も書いていなかった。

 これで何を区別するのだろう。


「じゃあ一応捨てないで持っておこうか。使えるのかわからないけど何かの役に立つかもしれないし」


 あとは以前にも拾った何かの入ったビンか。


「このビンは何だろうね。アンナは見たことある?」


「これは、もしかしたら傷薬でしょうか」


 傷薬か。ゲームなどではおなじみのアレかな。


「私は使ったことがないんですけど、村から大きな町に買出しに行く時に、商隊に同行する人が持たされていたものと同じだと思います。確か、怪我をした時に飲むんだったかな? いや、傷口にかけるんだったかな……」


 首をひねって思い出しながらアンナが教えてくれた。


「なるほど。じゃあこれも一応とっておこう。僕がいる時は癒しの術が使えるから使わないと思うけどね」


「そういえばクロさんは竜なのに魔法が使えるんですよね。竜はみんな魔法が使えるんですか?」


「ううん。僕は古竜っていう種族で、この術が使えるのは古竜だけって教わったよ。だから他の種類の竜が同じ術を使うことは無いと思う」



「古竜!? ……って、御伽噺や伝説に出てくるあの!?」


「あー……、僕はそういうの知らないからアンナが言ってる古竜と同じかどうかはわからないなぁ」


「あ、そ、そうですよね。すいませんびっくりしちゃって。古い伝説や御伽噺で語られる竜が古竜と呼ばれる種族でとっても強かったそうなんです」


 語り継がれるほどの強さか……確か母上も古竜種の強さは他の生物の追随を許さない程だとか言ってたっけ。

 どんな強さがあろうと結局はそれを扱う者の匙加減一つだ。

 必要であれば使うし、必要なければ使いたくはない。

 その見極めをしっかりすれば力に溺れることもないだろうと思う。


「まぁ、昔の話だろうから脚色されてる部分もあると思うよ。結局は古竜も他の生き物と同じで死ぬときは死ぬからね」


「そ、そうなんですか。何と言うかイメージと違いますね。伝説の生き物っていうから無敵の存在かと思っていました」


「僕も母上の話を聞いたときはそんな感じだったよ。でも結局は自分の気持ち一つだからね。ひっそりと暮らす竜もいれば暴れまわる竜もいるだろうし、竜も色々だから物語を鵜呑みにしちゃうのはよくないかもね」


「そうですね。クロさんみたいな竜もいますもんね」


「ちょっと話が逸れちゃったけど、拾った道具の整理も一段落したしこの後のことを決めておこうか」


「この後のこと……ですか?」


「うん。アンナが動けるようになったら一度人間の町に行こうと思ってるんだ」


「えと、危ないんじゃないですか? クロさんを狙って人が集まってるんですよね?」


「こうやって人の姿になってれば大丈夫だと思う。自分で解除しなければ竜の姿に戻ることもないしね」


「なるほど」


「一度町に行って人間の生活とかを見てみたいのと、アンナや僕の日用品とか食糧とかを買いたいんだ。服も今はこれしかないし。あと、できれば色々と情報収集もしたいかな」


 ここには何もないので、日用品や着替え、靴などを用意する必要がある。

 自分は竜の姿ならそんなもの無くてもどうとでもなるのだが、アンナはそうはいかないだろう。

 女の子に下着もなしの服一枚だけでは可哀想だ。


 食べ物も果物だけでは栄養が偏ってしまうので買出しにいかねばならない。

 竜の自分は半年近く果物だけでも特に体調がおかしくなるといったことはないため必要ないかもしれないが、やはり果物以外の食べ物も食べたくなる。


 それに情報も欲しかった。

 自分を狙っている者のことも勿論だが、この世界の人間がどんな生活をしているのか、どんなものがあるのか、どんな場所があるのかなど知りたいことは山ほどある。


 もし正体がバレてもアンナ一人を守りながら逃げるくらいはできるだろうし、人間の状態でもそれなりに力を出すこともできる。

 便利な星術で使えた方がいいだろうというものは昨日の実験のついでに人間の姿でも使えるように練習もしておいた。

 さすがに軍隊や城を吹き飛すとかは人間の姿では無理だが、その辺の獣や人間相手程度なら竜の姿や半竜の姿にならなくても十分対応できるだろう。


 これらのことを踏まえて、今後のことを考えるとやはり一度人間の都市に行くことは必須のように思える。

 早いうちに行くべきだろう。


「わかりました。何ができるかわからないけど頑張ってお手伝いします!」


 正直この世界の人間のことについてはアンナに期待している部分もある。

 しかし頼りきりになるわけにもいかない。

 アンナも人間について何でも知っているわけではないし、無理をさせたくはない。


「ありがとう。頼りにしてるけど、無理はしないでね」


「はい。大丈夫です!」


 ……そこはかとなく心配な気もするけど、本人がやる気を出してるのに水を差すのも悪いか。


「そういえばアンナがここに来る前にいた町ってどれくらい離れてるの?」


「うーん。走車に乗って三日くらいだったと思うんですけど、あんまり覚えてません……」


 ここに来た時の状態を考えるとそれもそうか。

 そういえば走車とはなんだろう。


「走車って僕知らないんだけどどんなもの?」


 話の流れから乗り物というのは何となくわかるのだが、馬車のようなものだろうか。


「ああ、走車は荷車などを色々な動物に引かせて走る乗り物ですね。地域によって引かせる動物の種類が色々いるんです。走牛や馬が一般的ですけど、貴族様とか高名な冒険者様は疾竜とか捕獲した魔物に引かせたり、珍しいものだと小型の飛竜に引かせて高速で走れるものなんかもあるそうですよ。この森の入り口まで来る時に乗ったのは馬が引いてましたね」


 ふむふむ。

 とりあえず馬車のような移動手段と考えていいだろう。

 馬の足で三日か……土地の様子や地面の状態、天候、馬の調子などにも因るだろうが徒歩だと3倍くらいはかかると見込んだ方がいいだろうか。


 さすがにそれだけの距離を移動できるほどの物資は持てないし、アンナも体力が続かないだろう。

 どうするか……。

 竜の姿で飛べればすぐだろうが、先日の人間のように潜んでいる連中がまだいるだろうしそれはできない。

 かといって歩くのは無理がある。

 となると残るのは……。


「じゃあ町の近くまで僕がアンナを背負って走るしかないかなー」


「え!?」


「だって歩いたら何日もかかるでしょ? そんな物資は無いし、あっても持てないし、アンナはまだ体が弱ってるからそんなに無理はさせられない」


「えと、そうですよね。うーん……」


 そんなに背負われるのは嫌なのかな……まぁ年頃の女の子だし男に引っ付くのは嫌か……。


「ごめんね。男に背負われるのは嫌だろうけど、他にいい方法が……」


「全然! 全っ然嫌じゃないです! というか私重いだろうしクロさんに重い私を背負わせるなんてちょっと申し訳ないというか何と言うか(ゴニョゴニョ)」


 自分の状態を見てから言いなさいアンナさん。

 あなたやせっぽちですよ。

 気の毒になるくらい細いんですよ。


 竜の力が出せる自分なら仮にアンナが太ってても全く問題にならないのよ。

 というかそんなことを気にしてたのか。

 背負われるのは嫌じゃないのね。

 年頃の女の子はよくわからないな……。


「あ、あのね。僕は人間の状態でも竜の力が出せるから、アンナ一人くらい全然平気だよ。アンナが良ければ背負って行く方が早いからそれで行こうよ」


「う……はい。お願いします……」


 顔を赤くしつつ聞き取れないほど小さな声でだったが何とか了承を得られた。

 とりあえず今後の方針は決まった。

 他の人間がここに来る前に動く方がいいだろうし、アンナの回復を待って早めに動くことにしよう。

 あ、狼親子にもお別れしておきたいな……都合よく会えたらいいけど。

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