町までの道程

「きゃぁぁぁぁ!」


 空に吸い込まれ、溶けていくアンナの絶叫。


「クロさぁぁぁぁぁん!」


 空気を裂いて響き渡る、普段なら出すことが無いような大声。


「気持ち良いですねぇぇぇぇぇ!」


 現在、竜の姿でアンナを背に乗せ雲の上を飛行しているところだ。


「うひゃあぁぁぁぁ! きれぇぇい!」


 普通なら見ることのできない雲の上に広がる神秘的な空の景色を見て、アンナのテンションメーターが振り切れてしまっている……。

 どうしてアンナを乗せて上空を飛行しているのかというと、話は少し時間を遡る。





 アンナが森に来て数日。

 今後のことについて話し合った日から何日か過ぎ、果物だけの食事だったがアンナの体力も大分回復してきているようだった。

 心なしかこけていた頬もいくらか健康的になり、顔色も以前に比べれば見違えた。

 当初の予定通り、町までの移動にアンナが耐えられるようになる頃、いよいよ移動のための準備を始めた。


 泉を訪れた狼親子に今後暫くはこの森を離れることを告げると、別れを惜しまれた。

 子供の狼も大分懐いてくれていたため、自分も寂しい気持ちが湧き上がる。

 というか一匹お持ち帰りしたいくらい可愛い。

 最初は怯えていたが人懐っこく、アンナにも慣れてくれた。


 アンナも最初は狼親子を怖がっていたが、何度か顔を合わせるうちに恐怖心も薄れ、今では子供狼と草っ原を転げまわって遊んだり、一緒に昼寝したりと仲良しである。

 アンナも暫くは会えなくなると思うと感じるものがあるようで、別れ際に目を潤ませていた。

 この泉周辺は好きに使っていいと言うと感謝され、次に戻ってきたらまた挨拶に来ると言って別れを告げる。


 出発の日、仮の住処の下に埋めておいた自分の脱皮した時の鱗や爪、牙などを掘り出し、食糧の果物と一緒に大きい方のリュックに入れた。

 お金やナイフ、薬瓶、携帯用食糧などは嵩張らないので小さい肩掛けカバンの方にしまい込む。


 大きい方のリュックを抱っこするようにお腹側に持ち、背中に肩掛けカバンを持ったアンナを背負って森の中を草原に向けて移動していった。

 水筒は無いが飲み水程度なら術で出せるし、食糧の果物も水分を多く含んでるので脱水の心配は無いだろう。


 ザックザックと落ち葉や草葉を踏みしめ、ゆっくりと森の中を歩く。

 障害物の多い森の中では速度を出して移動することは難しいし、急ぎすぎると周囲の状況把握が疎かになり危険の察知が遅れてしまう。

 またアンナを背負っている状態で高速移動すると揺れや上下動でアンナが酔ってしまうだろうという配慮のためだ。


 アンナは乗り物に酔ったことはないから速度を出して大丈夫だと言ってはいたが、危険や今後のことを考え、ゆっくり移動することにしたのだった。

 そんなこんなで殆ど丸一日かけて森を歩き、草原の境目まで到達する。

 双子山を左手に見つつ草原に踏み込むと予想外のことが起こってしまった。


「えっと……どっちから来たんでしたっけ……」


 見渡す限り草原で目印になるようなものがないためアンナがどっちの方角からここまできたのかわからなくなったようだ。

 この草原や森の先には人の集落などはないらしく、普段人が訪れることも稀な場所であるため、人が通った道のようなものは無い。


 この森に入ってきた男達のベースキャンプのようなものでもあればと森と草原の境界付近を歩き回ってみたものの、それらしいものは発見できなかった。

 結局その日は森と草原の境目あたりで一晩過ごすことになった。


 竜の姿にはならなかったが、竜の気配と匂いのお陰で獣などが近寄ってくることもなく、静かな夜を過ごすことができた。

 ただ布団代わりにする落ち葉などが少ないため、気温の下がる夜や明け方は周囲の空気を暖める術を使って暖をとらなければならなかった。


 翌日になっても状況は好転せず、どっちに向かって進むべきかの判断をつけられずにいた。

 適当に進めば何れは道などにぶつかるかもしれないがそれはリスクが大きすぎる。

 食糧に余裕があるわけでもないし、どこまで行っても道や目印が見つけられないことも考えられる。

 更に草原では森のように身を隠す場所が少ないため、人間や獣に襲われたときに対応が難しい。


「すみません……。こんなことならしっかり来た道を覚えておけばよかった……」


 自分のせいだとアンナはしょぼくれていたが、これはどう考えても予想できることではないだろう。

 奴隷として連れてこられ、竜のエサにされそうになった挙句、その竜と広大な草原を歩いて町を目指すことになるなんて誰が予想できるのか。

 予知でも使えない限り無理な話である。


「どうしようかねぇ。このまま闇雲に進むわけにも行かないしね……」


 そういって雲に覆われた空を見上げ、二人で考え込んでいると、あることを思いついた。


「曇り……か……。ねえアンナ」


「はい。なんでしょう」


 落ち込んでいたアンナだったが、名を呼ばれ何かできることがあるのかと顔を上げた。


「アンナは高いところ平気?」


「えと……よく家の屋根の上に登って遊んだりはしてましたけど……」


質問の意図がよくわからないようで、首を傾げながらだったが答えてくれた。


「ううん。もっともっと高いところ」


「うーん……。どうでしょう。そんなに高い場所に行った経験がないので何とも……」


 まぁそうだよね。

 とりあえず屋根の上で遊べるくらいだから高所恐怖症ではなさそうかな。


「このまま歩いて草原を進むのは諦めて、アンナを背中に乗せて空飛んで行こうかと思うんだけど、それでもいい?」


「ええ!? でも確か人間の姿では空は飛べないと言ってませんでしたっけ? 竜の姿だとクロさんを捕まえに来た人間にまた見つかっちゃいますよ?」


 前に術の練習を雑談しながらしていたので、その流れで人間の姿で空を飛ぶのは難しいのだということを話していたのを覚えていたようだ。

 確かに竜の姿で草原の上空を飛び回れば見つかって追い回されることになるだろう。


 でも今日は曇り。

 雲の上を飛べば姿を見られることは無い。

 人目に触れないように雲の上まで行くことができればかなりの距離を飛行で移動することができる。


 人間達も竜を目撃したこの山や森の近辺に潜んでいるだろうし、距離を取れば見られることなく草原に降りる事もできるだろうと思う。


「ここで竜になって飛び上がるとバレちゃうだろうけど、人に見られないようにして雲の上まで昇れれば飛んで一気に移動できると思うんだよね。空の上からなら目印や道とかも見つけやすいだろうし」


「なるほど。でも竜の姿を見られずに雲の上まで飛び上がるなんて無理じゃないですかね。たぶん捕まえにきた人たちも飛び上がる竜を見落とすようなことはしないんじゃないでしょうか」


「うん。だから姿を見られてもいいようにして飛び上がるんだよ」


「ええ?」


 詳しい説明は後にして、ある程度森の奥まで戻ることにする。

 減った分の食糧を補充し、ついでにアンナが落ちないように体を固定するためのロープになりそうな植物を探してみる。

 以前食糧を探す時に見つけた木に巻きついた蔓のような植物で、頑丈そうなものを選んでロープ代わりにした。これを竜の自分とアンナに巻きつければ大丈夫だろう。


 問題は上空の低温からアンナを守らなければならないことだ。

 今は二人ともローブのような服一枚しか着ていない。

 自分は竜の姿の時は服を脱ぐので実質アンナに二枚着せることができるが、とてもじゃないが上空の低温には耐えられない。

 対策は念入りにしておかなければ、下手をすると凍死してしまう。


 なので今回は新たに用意した術を使うことにした。

 幸い何度も練習して飛びながら別の術を使うこともある程度できるようになっている。

 集中力が必要なのであまり長時間はキツイのだが、今回のようにある程度飛んで地上に降りればいいなら何とかなるはずだ。


 使うのは以前母上に教えてもらった壁を作る術ではなく、体全体を覆う膜を作る術だ。

 壁では低温の空気を防げないし、自分が高高度の空に昇る時にも役立つだろうと研究した術である。

 この術を自分の周囲数m程度の距離に使って膜で覆えば、アンナもその中に入れることができる。こうすれば低温だけではなく強風や低酸素からもアンナを守れるだろう。


 念のためこの術を使って泉の中に潜り、膜がちゃんとできているかを確認したところ、水を通すことなく膜ができていたので上空でも大丈夫なはずだ。

 定期的に空気を入れ替え、酸素を供給しなければならないが、気圧を維持しながら空気の入れ替えは大変で難しいのだができなくはない。

 まあいざとなれば一度【飛翔】の術を切って落下する前に空気を入れなおしてまた飛び上がればいい。


 ちなみにこの膜を作る術を応用して、体の周囲に壁を作り出す防御用の術も開発しておいた。

 竜の鱗で身を守れる状態ならいいが、人間の姿の時や、アンナを守ってあげる時は攻撃を防ぐ術が欲しい。

 やはり攻撃をガードするような術は用意しておきたかった。


 強度を確保するため多くの星素を使わなければいけないが、その辺の岩が激突しても岩を砕くくらいの強度を出せるようになっている。

 人間の姿では絶対の防壁ほどの強度は出せないが余程のことが無ければこれで十分身を守れるだろう。

 強度は星素の量に比例するので竜の姿ならかなり頑強な壁を作れると思う。


 森の中、一応注意してあたりを確認してみたが人間のようなものが近くにいる様子はない。

 尤も相手に気取られないようにするプロであればこちらが気付くことはできないのかもしれないが、今回の作戦ならば仮に近くに人間がいて見られていても大丈夫だと思う。

 というわけで、服を脱いで竜の姿になる準備をする。


「ひゃあ! クロさん見えてますからっ! 見えないようにして下さいよ!」


 悲鳴を上げつつ顔を真っ赤にして手で見ないように顔を覆うアンナを見てやっと気付く。

 そうだった。

 女の子の前で躊躇い無く全裸になるなんてちょっと失礼すぎる。


 アンナが来る前は普通に全裸で動き回ってたから感覚が麻痺してきていたのかもしれない。

 慣れてしまわないように注意しようと思っていたはずなのに、これはまずい。


「あ、ごめん。今度から気をつけます……」


 アンナは怒りつつ手で顔を隠しているけど……。

 アンナさん。

 指の隙間からガン見してるじゃないですか。


「空の上は寒いから僕の着てた服も上から着ておいて。一応術で寒さ避けを作るけど念には念を入れておこう」


「ク、クロさんが今まで着てた服……? 素肌に着てた服を私が……」


 アンナが首まで真っ赤になる。

 まぁ男が着てた服を着るのは色々思うところがあるのだろうけど他に服はないししょうがない。

 ここはガマンしてもらおう。


「他に方法が無いから今だけはガマンしてね……」


 竜の姿に戻り、アンナを背中に乗せる準備をしていく。


「うわぁ。竜の鱗って初めて触りました。ひんやりしてるのかと思ったら人肌みたいに温かいんですね。クロさんは顔も怖くないから竜って感じしませんね。普通に人の背中に乗ってる気分になります」


 そうなのか。

 自分ではよくわからないんだよね。

 それにしてもやはり自分の顔は竜らしくないようだ。

 これは悲しめばいいのか喜べばいいのかよくわからない。

 人に嫌われるくらいなら優しい顔の方がいいのかな。


 自分の胴体と首にロープ代わりの蔓を巻きつけ、更にアンナの腰周りに反対側を結びつけて外れないようにする。

 竜の姿ではリュックを背負えないので、肩掛けカバンと一緒にアンナに持ってもらう。


「ク、クロさん……大丈夫でしょうか……落ちたりしませんよね?」


 やはりかなり不安なようだ。

 空なんて普通に考えれば飛ぶものじゃないしね。

 ここは安心させてあげなければ。


「きっとたぶん大丈夫じゃない? もしアンナが落ちても助けられると……思うし?」


「何でそんなあやしい疑問形ばっかりなんですかぁ!?」


 アンナ、涙目で必死だ……。

 そりゃそうだよね。

 ちょっとからかい過ぎたか。


「じょ、冗談だから。大丈夫だってば」


 アンナをしっかりと背中に固定し、いよいよ空に飛び上がる。

 向かうのは草原ではなく、山脈が見える森の奥の方角だ。

 まず森の奥に向かって飛びながら上昇し、雲の上まで行く。

 その後180度反転して雲の上を飛んで草原の方に向かうのだ。


 こうすれば地上から誰かが見ていても山脈の方に向かったと思うだろう。

 姿が見えなくなってから方向を変えればいいのだ。

 曇り空を見て思いついた作戦だ。


「じゃあ行くよ。落ちないと思うけどしっかりつかまっててね」


「は、はい!」


 術でしっかりと膜を張り、外気を遮断する。

 念のため温かい空気を身の回りに作っておいた。

 蔓が問題ないことを確認し、【飛翔】を使う。


「ふわっ! と、飛んでる! 私飛んでますよクロさん!」


 そりゃそうでしょう。

 乗せて飛んでますから。

 自分以外の人間を乗せて飛ぶのは初めてのことなのでいつもより慎重に浮かび上がる。

 バランスを取り難くなるかとも思ったが、一人で飛ぶときと大して変わらない。


 重量が増えたり、高速飛行をしたりする場合は大変かもしれないが普通に飛ぶだけならそれほど気を張る必要は無さそうだった。

 地上からアンナが見えないよう、なるべく水平になるようにし、徐々に高度を上げていく。

 安全を確認しつつ上昇する速度を上げていくと、やがて頭上に広がる曇天の天井が近づいてくる。


「クロさんクロさん! 雲! あんなに近くに雲が! ぶつかっちゃいますよっ!」


 だんだんと近づいてくる灰色の雲の壁にアンナが慌てている。

 初めて間近に見る雲に驚きと恐怖と好奇心がごちゃ混ぜになっているようだ。

 今回は雲を避けるのではなく、突っ切って雲の上に出なければならない。

 雲の中では方向がわからないし、万一山などがあれば激突してしまう危険もある。


 上空3000mくらいだろうか。

 近づいてきた雲の壁に頭から突っ込む。


「ほわぁぁぁ! 真っ白! クロさん雲の中ですよっ!」


 わかってる、わかってるからアンナ。

 興奮しすぎて落ちないでね……。

 気分は生まれて初めて乗る飛行機のようなんだろうな……。


 当初はアンナが怯えてしまうのではないかと思っていたが杞憂だったようだ。

 そして分厚い雲の層を抜け、見渡す限り一面の青の世界に飛び出した。


「う……わぁ……。これが……空の世界……。凄い……」


 初めて見る雲の上の世界を目の当たりにし、感動の面持ちで打ち震えるアンナ。

 やはりこの果てしない空の景色は心の琴線に触れるもののようだ。

 自分が初めて空を飛んだ時の事を思い出し、きっとアンナもあんな気持ちなのだろうと感慨に耽った。


 何度来てもこの雲の上の世界は飽きないものだ。

 いつまでもどこまでも飛びたいという想いが込み上げてくる。

 自分が夢にまで見た世界をアンナに見せてあげることができて、何だか自分も嬉しくなった。


 無事に雲の上に出たので進行方向を180度反転する。

 これで地上から監視していたとしても移動先がバレることはないだろうと思う。

 暫くはこの景色を楽しみながら空の旅を続けることにしよう。


 そして数分後、アンナのテンションメーターが吹っ飛び、冒頭の状態になるのである。

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