心
一瞬前まで自分の足が乗っていた地面を陥没させ、言葉と同時に飛び掛る。
距離は10m以上は離れていたが竜の力なら一足で十分な距離。
目標は一番自分に近いリーダー格の男。
狙うは攻撃の起点、剣に伸ばした腕。
一秒にも満たない、男に飛び掛るまでの時間で、自分の人の影は巨大な竜の姿へと変貌する。
男は呆けた顔で立ち尽くし、動かない。
驚きと圧倒的強者の威圧感。
場数を踏んでいたとしても所詮は竜と人。
大型の獣ですら身を竦ませる、竜が発する攻撃的な意思による圧力。
竜と同格の怪物か、常にそんな生死の境に身を置いた者でもない限り、必然の結果。
鋭い爪のついた腕で、男の剣を抜こうとしている丸太のように筋肉が発達した上腕を掴み、握り潰す。
骨が砕ける感触と肉が潰れる感触が伝わってくるが、嫌悪感は感じない。
男が苦悶の表情で口を開ける。
悲鳴を上げようとしているのだろう。
だがそれすら許さない。
男の上腕を掴んだ手とは反対側の手で、男の顔面を掴む。
声を上げようとしていたが、万力のようにきつく顔面を掴みあげられ、それすらできなくなる。
隣にいる男達が呆然とリーダー格の男の方に振り向こうとする。
振り向き終わる前に、着地の勢いを利用して掴んだ男の頭を地面に叩きつける。
土を抉り地面を砕く感触と共に、何かが潰れる感触。
確認はしない。
そのまま隣にいる弓を持つ男に視線を向ける。
「ひっ」
歪んだ表情。
自分が狩る側だと思い込んでいたが、いつの間にか狩られる側になっていたと悟った、絶望の表情。
関係ない。
ここは野生だ。
命のやり取りが常であるこの場に、この男達は命を奪うつもりで来ている。
単純に、それが逆転しただけの話。
弓を持った男に合わせた視線を不意に切る。
別に見逃そうと思ったわけではない。
そのまま体を半回転させ、遠心力の乗った尻尾を男に叩きつける。
「ごぇっ!?」
薄い金属の胸当てのようなものをつけていたが、硬い竜鱗に覆われた尾と激突した瞬間、小さな火花を見せその下にある男の胴体ごと大きく陥没する。
激突の勢いで数m後ろの木まで飛ばされ、木と衝突して潰れたトマトのようになり、動かなくなった。
二人仕留めた。
ここまで5秒も経っていない。
残るは四人。
「くっ! くそぁっ!」
弓を構えた男が苦し紛れといった感じで矢をつがえ、こちらに放ってくる。
が、竜の鱗は貫けない。
胸の辺りに当たり、ガキンという小さな衝撃と共に矢が地に落ちる。
咄嗟に目を狙うほどの技量はないようだ。
筋肉を
「────っ」
背後で魔法使い風の男が何かを叫んでいる。
が、今は標的の男に集中する。
男に手が届く直前、何か壁のようなものに手が当たったが、気にせず手に力を込めて竜爪の先を男に向けたまま、貫かんと伸ばす。
透明な膜のようなものを突き破る感触が伝わるが、そのままの勢いで男の胸を服や装備ごと爪で切り裂く。
男はそのまま仰向けにくずおれ、動かなくなる。
残りは三人。
「くそっ! 何でだ!? シールドがっ───」
そう言ったのは杖をこちらに向けた魔法使い風の男だった。
どうやら魔法で弓の男にシールドのようなものを出したようだった。
それをあっさり突破され悪態をついている。
魔法使い風の男に気を取られそうになったが、バックパックを捨てて逃げ出そうとする男とそれを追いかけようとする盾をもった男が視界の隅に映った。
逃がさない。
逃がすわけにはいかない。
ここで見逃せばアンナのような犠牲者を増やすことになるだろう。
こういった手合いは喉元を過ぎれば熱さを忘れるのと同じで、この恐怖を忘れればまた同じ事を繰り返す事が多い。
星素を集めイメージする。
生み出すのは斬撃。
大木を両断する程の強さで放つ。
だが、予想外な事が起こる。
男達の背中に向かって飛ばした斬撃は、周囲の大きな木は軽く切り倒しているのに、男たちが身につけた金属製の鎧のような防具は切り裂けなかった。
しかし衝撃は伝わったようで、逃げようとした二人はもんどりうって転がり、倒れこんだ。
その上に切り倒された大木が折り重なるように倒れ二人は下敷きになって押し潰される。
これで残るは一人。
「ま、さか……りゅ、竜語魔法……?」
魔法使い風の男は既に戦意を喪失したのか杖を落とし呆然としている。
視線を向けると「ひっ」という悲鳴をあげ、懐に手を突っ込む。
何かしてくる。
そう判断し、そうはさせないと男に飛び掛かった。
男が取り出したのは小さな白い石。
それをこちらに投げつけた。
自分に当たる直前、石が光を放ち視界を奪う。
(目潰し!?)
強烈な光に目を焼かれ、視界が白く塗りつぶされる。
視覚で男を捉えるのを諦め、他の感覚で気配を探る。
何かが走って離れていく音。
逃がすものか。
音の方向に向かって飛び出す。
「あ、ああああああああ!!」
聞こえてくるのは絶望の叫び。
……捉えた。
大木をも薙ぎ倒す竜の頑丈な体で繰り出される体当たりをまともに受けた男は数mは転がり、大きな木に激突して動かなくなった。
暫くすると視界と静寂が戻ってくる。
周囲に他に誰かいないかと気配を探るが何も感じることはなかった。
緊張を解き、静かにアンナのところまで戻る。
予想も覚悟もできていた。
「あ……あ……」
アンナは竜の姿でいる自分を見て恐怖に濁った視線を向け座り込んでいる。
わかっていた。
正体がバレればこうなるであろうことは。
わかっていても、悲しかった。
助けたいと思った相手にこんな目を向けられるのが。
静かに【転身】の術を使って人間の姿に戻る。
「服、持っててくれてありがとう。大丈夫?」
そう言って震える手に持っていた服を取り、袖を通す。
その言葉への返事はなかった。
「ごめんね。隠してて。明日になったらどこかの村か町まで連れて行くよ……」
涙が込み上げてきた。
悲しい気持ちを堪え、俯いて震える声でどうにかそう伝える。
「あ、あの!」
大きな声に驚き、顔を上げてアンナを見ると、何かを決意した顔でこちらを見据えている。
「助けてくれて有難うございます! クロさんは命の恩人です。怖がってしまってごめんなさい!」
そういうとバッと頭を下げる。
「最初はびっくりしましたけど、私を助けてくれたのは事実です。傷を癒してくれた時、食べ物をくれた時、話を聞いてくれた時、クロさんの優しい気持ちが伝わってきました。今も怖い人から私を庇ってくれました。とても嬉しかったです!」
その言葉を聞いて、自分の心の中に何か暖かいものが灯るのを感じた。
「私の気持ちは変わりません。一緒にいさせて下さい。お願いします!」
そういって金色の髪を振り乱してもう一度頭を下げるアンナ。
でもどうして?
「どうして……。僕竜だよ。一緒にいたら怖いでしょ……」
「関係ないです! あの温かさは、お父さんやお母さんがくれた温かさと同じでした。どんな姿でも関係ありません! クロさんの優しさはお父さんお母さんと一緒です。だから怖くありません!」
アンナは息を荒げ、涙を流しながら必死にまくし立てた。
ああ、伝わった。
今はもう人間じゃない自分だけど、人間の少女に届いたのだ。
同じ。
母上の言っていたことと同じ。
人も竜も関係ない。
相手を想う気持ちは同じ。
そう思っていたこと。
しかし、不安だった。
伝わるのか疑問だった。
でも、そんなことはなかった。
ちゃんと伝わっていた。
自分は竜だからと半ば諦めていた自分が可笑しくなった。
思いは届かないだろうと思っていた自分が滑稽に思えた。
「……ありがとう。アンナ。これからもよろしくね」
「はい!」
二人で笑い合った。
自分は救えたのだろうか。
救えるのだろうか。
この温もりを守れるのだろうか。
自分を守ってくれたこの温もりを、自分の心を満たしてくれたこの少女を。
その問いに答える者はなく、強い風が森の中を木々を揺らしながら吹き抜けていった。
※※※
「報告を聞こう」
「はい。放っていた諜報部の〝草〟が戻りました。大型の竜は詳しく調査できる前に山を飛び立ち、その後戻ってくる様子はありません。よって大型の竜が飛竜だったのか亜竜だったのか判断できませんでした」
「まぁあの大きさの竜だ。飛竜でも亜竜でも手を出すのは危険極まりない。逆に山を離れてくれて良かったと思うべきでしょうな」
「ですな。万一怒らせてしまえば周辺の被害も甚大なものになったでしょう」
「ふむ。して?」
「はい。小型の竜はその後、森の中に居を移したようで山に戻る様子はありませんでしたが、森に下りたことで少ないですがいくつか新たな情報を得る事ができました」
「確かギルドの調査隊も森に潜伏していたのではなかったか?」
「はい。そのことも含めて報告いたします。まず森に下りた竜は大きさが5m程。色は当初の報告通り黒色。定期的に森や草原の上空を飛びまわっていましたが、ギルドと諜報部双方の偵察隊には気がつかなかったようです。その後数日は森の中にいたようですが、〝草〟の者も住処としている場所まではまだ特定できていません」
「確かにデルノの森はかなり広大だ。深域ではないとしても派遣した人数では全てを監視することは不可能でしょうな」
「ええ。森には大型の獣や魔物も潜んでいますからな。手馴れた者達でも長期間潜り続けるのは難しいでしょう」
「はい。ただ、ギルドから興味深い情報が上がってきました」
「ほう。それは?」
「ギルドの調査隊の一隊が全滅したそうです。ギルド独自の調査では原因が、どうも例の竜によるものではないかという情報がきています」
「なんと。竜に手を出したのか」
「竜と事を構えられるほどの使い手だったのか?」
「ギルドに登録されている情報では中堅程度の実力者のようです。六人構成のパーティでバランスは取れており、なかなかの実績も上げていました。素行はあまり良くなかったようですが実力は調査隊に選ばれるだけはあったようです。しかし飛竜相手に真っ向から挑めるほどの者達ではありませんね」
「どういう経緯で竜と事を構えたのだ?」
「……我々が放った〝草〟がかなり遠方から遠見の魔法でその様子を観察していただけで、はっきりとしたことは申せないのですが……」
「それでもよい。わかる限りのことを話せ」
「わかりました。確認できたのは人間の姿をした何者かが、森の奥に入り込んだ調査隊といくつか言葉を交わしたあと、突然黒い竜に変貌して調査隊に襲い掛かり、瞬く間に六人を殺したということです。会話の内容はわかりませんし、遠見の魔法なので戦闘の詳しい様子や容貌などは確認できていないとのことです。が、本人は確かに黒い竜だったと証言しています」
「なんと人が竜に?」
「この報告を正しいものとして考えると、新しい可能性が浮かび上がってきました」
「それは?」
「まず飛竜や亜竜である可能性はなくなります。が、新たな可能性として、竜魔法を使うことのできる古竜か、【竜化】を使える竜人種である可能性が出てきます」
「古竜種だと……もしそうなら国家存亡にかかわる一大事ではないか。それに竜人種は消された種ではなかったかね?」
「まだ、あくまで可能性ですが……。
竜人に関しては表向きは既に絶滅したものとなっていますが、実際はそうではありません。森の民であるエルフ同様、エルフ共の守る森の奥地で集落をかまえているという話があります。また隣国のいくつかで竜人を捕獲し【呪縛】によって軍に組み込んでいるという情報が未確認ながら出ています」
「竜人を軍に……。竜人は一人であっても軽く魔法部隊一隊分の実力を持っているという話ではなかったか?」
「ええ。私どもも実際に目にした事がないので過去の文献の情報になりますが、【竜化】していない状態でも強靭な体を持ち、かなり強力な魔法を扱えるためなかなかの戦力を有していたようです」
「これは、更に詳しい調査が必要ですかな」
「ええ。許可を頂けるなら〝影〟をつけたいと思うのですが、如何致しますか?」
「しかし、まだ住処や容貌も特定できていないのだろう? 〝影〟をつけるには些か情報が足りなさ過ぎるのではないか?」
「確かに。暫くは〝草〟に調査をさせておく方がよいかもしれませんな」
「ふむ。新たな情報が出るまでは諜報部に任せよう。念のため暗部に〝影〟の準備もさせておけ。竜人なら捕獲を試みる。それから、古竜だった時のことも考え周辺の都市に軍の配備もしておく。幼体だとしても危険度は変わらない。対策を怠るわけにはいかん。軍からは討伐隊を編成しておけ。必要ならば討伐も視野に入れておかねばならん。ギルドにもその旨を伝えておけ」
「はっ」
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