翌日、雲が流れる心地よい空。

 天気も上々で清々しかった。

 山の上だった頃に比べるとやはり雲は多く感じる。

 そのうち雨も降ることがあるのだろう。


 昨日作っておいた菜園モドキの場所まで行くと、ある程度育てておいた果物の苗に再度術をかけて成長させ、今日の分の朝食を収穫する。

 清々しい朝の泉の畔で食べるといつもの果物も何だか味が違って感じるようだった。


 朝食を済ませていよいよ術の研究を始める。

 が、その前にやりたい事があった。

 竜になってから自分の顔を一度も見ていないので見てみたかったのだ。

 朝日に輝く水面を揺らさないように静かに泉に近づくと、水面を覗き込む。


(おお。これが竜の自分か)


 水面に映った竜が見える。

 水面が揺れてやや見にくいが母上似の顔立ちだった。

 黒い虹彩が爬虫類のように縦に割れた瞳孔を形作っているが、つぶらな黒い瞳とまだ幼さの残る竜の顔が水面に映っている。


 自分的には怖い顔というよりは愛嬌のある顔のように見えた。

 頭にはたてがみのように何本かの角が生えており、目つきを鋭くして凄めば威厳のある竜の姿になれそうだが、普通にしていると何だか小動物的な愛くるしさを感じる。

 まだ子供だからだろうか。


 そいえば人間に変身しているときはどんな顔だったのだろうか。

 人間だった頃の自分をイメージして術を使っているので、それと同じような顔になっているのだろうと勝手に予想したが実際はどうなんだろう。


 そう思い【転身】で人間の姿になってみる。

 人間に変化したことを確認し、同じように水面に顔を映してみたのだが、予想したのとは違い、日本人とは全く違う顔立ちをした人間になっていた。


 割と中性的な顔立ちである。

 目だけが竜のときと同じで瞳孔が縦に割れていた。

 人間だった頃と同じで黒髪黒目ではあるが、日本人というより西洋人の顔立ちに近い気がする。


 髪を伸ばせば女性と間違われそうだった。

 自分で言うのもなんだが結構イイカンジの顔ではないだろうか。

 少なくても不細工ではない……と思う。

 しかし、今は髪がボサボサで汚らしく、素っ裸なので難民か浮浪者のようだ。


 今まで見る事ができていなかった自分の顔を確認したので、今までできていなかった水浴びもしておくことにした。

 そういえば人間の姿がちょっと汚らしいのは竜の姿が汚いからだろうか。


 確かめるために人間の時の汚れ具合を少し覚えておき、竜の姿で水浴びをしてみることにした。

 竜の姿になるとジャブジャブと泉の深い場所まで入って行き、ザブンと潜る。


 擦って汚れを落とすのは無理なのでとりあえず水中で体を動かして流し落とそうとしてみることにする。

 黒い体でどの程度汚れていて、どの程度汚れが落とせたのかイマイチわからないがそれはどうしようもないので適当に。


 潜っていて気がついたのだが、水中で目を開けていると普通なら水で視界がぼやけてしまうが、竜の目だとそれがなく水中でもクリアにものを見ることができた。

 また結構長く潜っている気がするがあまり息苦しく感じない。

 かなり長く息を止めていることができるようになっているようだ。


 しかしやはり水浴びは気持ちのいいものだ。

 何と言うか気分的にもさっぱりとできる。

 今まで必要に感じなかったから水浴びはしていなかったがこれからは定期的にやろうと思った。


 気の済むまで水浴びをしたところで、岸に上がって【転身】を使ってみる。

 人間の姿になったが、水浸しで寒かった。

 寒さを堪えつつも自分の汚れ具合をチェックする。

 髪もある程度綺麗になりボサボサではなくなったし、皮膚の汚れなども若干落ちているように感じる。


 水に濡れて変身すると人間状態でも濡れていたことや、竜の汚れが落ちると人間でも綺麗になることから、竜の状態がある程度人間の姿に影響を与えると考えてよさそうだ。

 ということはもしかしたら逆も考えておく必要があるかもしれない。

 人間状態での体の変化は竜の体にも変化を与えることを考えた方がよさそうだ。

 今度実験してみよう。


 それにしても寒い。

 竜のときは気にならなかったが人間の姿では寒さも暑さも人間と同じように感じるようだ。

 竜が風邪をひくのかはわからないが寒いままでは嫌なので星術を使って温風を自分に吹きかけて乾かしておく。


 風を起こす術を使ったところで違和感を感じたが、なんだったのかよくわからなかったのですぐに記憶から消えていった。

 水浴びも済んだところで今度は術の練習に入る。


 まずは【転身】で調べておきたい事があったのでそのまま人間の姿で実験を行う。

 調べておきたいのは人間の姿の状態はどの程度のスペックがあるのかということだ。

 今後生活する上で何かと人間の姿になって行動することもありそうなのだが、普通の人間と同じような能力なのかそうではないのかを確かめておきたかった。

 そういうことで人間の姿のまま色々と体を動かしてみた。


 結果、まず筋肉や骨などは竜並みの強度や力がありそうだということがわかった。

 本気でジャンプすれば数mも飛び上がることができたし、骨折するようなこともなかった。

 また石を握り潰すほどの力も出せた。


 しかし皮膚はそれなりで鱗のような強度はなく、竜の力で物を殴ったりすると皮膚が裂け、血が出てしまうし痛みも人間だった頃と同じように感じた。

 石を握り潰してみた時は割れた石の破片で掌が血まみれになり、かなり痛い。

 ちなみに人間の状態では血の色は普通に赤である。


 体力も竜並みでかなり動き回ってみたが息が切れるということもなかった。

 ただ、裸足で動き回りすぎて足の裏がボロボロになってしまい、こちらも血塗れになってしまう。変なところで靴の大切さが良くわかった。


 最後に人間の姿で星術が使えるかどうかを試してみる。

 結論、一応使えはするが、どうも竜の時に比べると星術の制御が難しい気がする。

 単純な術ならば問題無さそうだが、星術を大量に使うような術や制御が難しい術を使う時は訓練するか、竜の姿に戻った方がいい。


 さっき温風で自分の体を乾かしたときに感じた違和感はこれだった。

 温めた弱い風を起こすだけだったので人間の姿でも使うことはできたが、竜の時に比べ星素の制御が難しかったから違和感を感じたようだ。


 そんなこんなで人間の姿で調べたいことは一通り調べ終えたところで一度食事にする。

 やはり物を食べる時は竜の方がよかった。

 あまり汚れを気にする必要もないし、鋭い牙で硬い物もムシャムシャといける。


 竜になった当初は困惑し、体に慣れずに四苦八苦していたものだったが、自分も竜の姿に慣れたものだなぁとしみじみ感じた。


 食後、今度は【転身】を応用した姿になれないか試してみる。

 具体的には、竜と人間の中間のような姿だ。

 竜の体は強靭で頑丈、空も自在に飛べるし攻撃用の爪や牙もあり星素の扱いも十分に行えるが大きすぎて不便な点も多い。


 逆に人間の体は小回りが利き、通常の人間よりは高い身体能力を備えているが星素の扱いが難しく攻撃を防げるような鱗もないし爪や牙もなくなってしまう。

 武器を持てばいいのかもしれないが自分は武術の経験も無ければ剣を振ったこともない。

 仮に武器を持ったとしてもまともな運用はできないだろう。


 母上との話の中に出てきた竜と人の子供、いわゆる竜人というものの存在を思い出し、竜と人の中間の姿もイメージ次第で変身できるのではないだろうかと思ったのだ。

 そう考え実際試してみることにした。


 基本の体格は人間で爪や鱗など竜の特徴をイメージに組み込む。

 ある程度イメージが固まったところで【転身】を行ってみる。


(おお!)


 できた。

 体格は人間のまま、指の数や関節なども人間と同じ。

 しかし皮膚は関節などの動きを阻害しない程度に鱗に覆われ、竜の爪も生えている。


 牙も一応生えているようだが口の形は人間のままなので噛み付きなどには向かないように思う。

 頭はそのまま髪の毛だったが、顔には頬の辺りまで鱗が出ている。

 背中側には翼が生えて折りたたまれており竜と同じように動かせるようだった。

 尾てい骨の辺りからやや細めだが2mくらいの竜の尾が生え、これまた竜の時と同じように自在に動かせる。


 しかし翼はあったが空を飛ぶのは無理だった。

 星素の制御が難しく、翼が自由に動いても浮かび上がる事ができない。

 そうなるとこの翼は邪魔になる。


 攻撃手段などで何かに使えないか今度研究しておこう。

 いや、翼が無いイメージでもう一度【転身】をすれば消えるだろうか。

 どちらにしても今度試してみよう。


 半竜半人の姿はどこぞの変身ヒーローになったような気分だったが、よくよく観察すると翼と尻尾が見えない正面から見た感じは竜人というより魚人のような感じに見えるかもしれない。

 魚人間……深き者……クトゥルフ……うっ頭が……。


 鱗などの耐久性も竜のものに近く、これなら人間の姿で戦ったり身を守ったりできそうだった。

 試しに半竜の姿で岩を相手に格闘してみる。


 ガヅンと竜の力で岩を殴っても痛みはそれ程感じず、岩をカチ割ることができた。

 爪を使って切りかかると硬い岩をザックリと切り裂けるし、体を回転させる要領で遠心力をかけ、尻尾を横薙ぎに叩きつけると岩をバラバラに砕く事ができた。


 我ながら恐ろしい……下手なことをすると熊でも軽く殺せてしまいそうだ。

 余程の事がない限りはこの姿になることはないかもしれないけど、いざという時のために力加減は覚えておこうと思った。


 そんなこんなで太陽も中天を過ぎ、結構な時間が過ぎる。

 時間的には午後2時頃くらいだろうか。

 色々やって疲れてきたので休憩がてら今日はもうのんびりしようと思い、竜の姿に戻る。


 前々からこの綺麗な泉のほとりで昼寝でもしたら気持ちよさそうだと考えていたので、のんびり日向ぼっこでもしようと考えた。

 泉の近くの草っ原で、脱力した猫のようにでろんと寝そべってウトウトしながら日向ぼっこをしていると不意に声をかけられた。


「もし。竜殿」


 突然声をかけられガバっと飛び起き、思わず身構えてしまう。

 視線を向けると、泉の広場の境目あたりの木の陰に生き物がいてこちらを伺っていた。

 声の主は大きな狼のような獣だった。

 体長は3mを越えるほどもあり、綺麗な灰色の毛並みをしている。

 目は鋭く水色の瞳が竜に怯む色を見せずこちらを見つめている。


くつろいでいるところを申し訳ない。宜しければ水場を使わせてはくれませんか。この近辺には他に使えそうな水場がないのです」


 少し緊張を孕んではいたがはっきりと意思を伝えてくる。

 少し高いが男性の声音だった。イケメンボイスである。


「えと……。どうぞどうぞ」


 初めて【伝想】で竜以外の生き物と意思疎通を行った。

 ある程度意思がはっきりとある生き物とは意思疎通ができることはわかっていたが、実際体験するとなんとも不思議な感覚だ。


 別にここを縄張りにしているわけでもないし独り占めする気も全くないので逆匍匐前進をしてズルズルと移動し、水場近くの場所を空けて譲ってあげた。

 ふと思ったが、竜以外で初めて言葉を交わす相手は狼になったのだ。

 ちょっと感慨深いものがあった。


「感謝致します」


 そう言うと狼の後ろから柴犬くらいの子供の狼が2匹と、話をした狼より少し小さい大人の狼が出てきた。

 どうやら家族連れのようだ。

 話をしてきたのは父親の狼だろう。

 声も男性のものだったし。


 普通ならよっぽどのことがなければ襲われる危険を冒してまで竜と関ろうとする獣などいないし、仮に関ろうとしても目には恐怖や警戒の色が表れる。

 この親狼の目には警戒の色はあっても恐怖の色はなかったように感じる。


 恐怖よりも水を確保して家族を守ろうとする意思が強かったのか、そこまで切羽詰った事情があったのか判断はできなかった。

 歩いて泉に近づいてくるところを眺めていたが、よく見るとあちこち傷だらけだった。

 他の獣と争ったのかとも思ったが父親狼の後ろ足の付け根あたりに矢が刺さっているのを見て違うとわかった。


 ……人間と争ったのだろうか。

 余程のどが渇いていたのか、子供の狼はむせるほど慌てて水を飲んでいた。

 よく見ると子供の狼も背中や手足に血が滲んでいるところがある。


「その怪我はどうしたんですか?」


 そう声をかけると、親狼がこちらに視線を向けて、一瞬怪訝そうな目をしたが答えてくれた。


「山向こうの草原を移動している際に、人間の群と遭遇して攻撃されました。追いかけてはこなかったのですが家族の安全のため森まで逃げてきたのです」


 やはり人間だった。ゲームなどでよく登場するゴブリンのような道具を使う人型の獣かとも一瞬考えたが違ったようだ。


「なるほど。人間ですか」


「はい。元々は草原で狩りをして生きていたのですが、ここ最近人間がよく現れるようになりまして、草原を逃げ回るより暫くは森にいようかと思ったのです。しかし森に入ってみたものの水場がなかなか見つからず困り果てていたところです」


 確かにこの森はかなり奥の方まで入らないと川はないし、山の近くではここ以外の水場はまだ見かけていない。

 小さな湧き水程度ならありそうだが、大型の獣が使えるような場所はここくらいかもしれない。


「別にここは縄張りではないので自由に使ってどうぞ。それとその怪我は放っておくと病気になるかもしれないので治しますよ」


 そう提案すると驚きに目を見開いた。

 親が怪我をしていては狩りもままならないだろうという思いと、矢が刺さったままでは気の毒に思ったのだ。


 日本で生きていた頃も矢が刺さった野鳥などが見つかる事件が稀にニュースになっていて、とても可哀想に思ったことがある。

 食べるためではなく悪戯の類で傷つけられる動物を見ると心が痛んだ。


「なんと……貴方は古竜様でしたか。御心遣い感謝致します。ですが、宜しいのですか?」


「気にしなくて大丈夫です。痛みは我慢して下さいね」


 そう言うとまず物を動かす術で矢を抜いてやる。

 一瞬だが痛みで顔をしかめていた。

 抜いた矢は三分の一程が刺さっていたようだ。


 やじりは金属のようだったが詳しくはわからない。矢はその辺に捨てておく。

 その後、子供も親もまとめて癒しの術をかけてやると毛に血は残ったが傷は塞がったようだった。

 子供の狼は何が起こったのかと体を見て慌てている。


「有難うございます。助かりました」


 そうお礼を言ってくれた。

 その甲斐もあってか当初よりも警戒の色が薄れた気がした。

 どんな相手でもお礼を言ってくれるのは嬉しかった。

 自分が役に立てたのだという満足感が沸いてくる。


「こう言うと失礼ですが、竜の方々は皆気性が荒く恐ろしいものだと思っておりましたが、そうではないのですね。水がなければと思う一心で決死の覚悟で声をかけたのですが……」


 やっぱり他の生き物から見た竜はそういう感じのようだ。

 今まで殆ど動物とかに出会わなかったことからも避けられているというのは判っていたから今更ではあるが、ちゃんと言葉で伝えられると改めて実感する事ができる。


「どうでしょう。自分が特殊なだけなのかもしれないので他の竜ではどうなのかわかりません。ただ自分は他者を無闇に攻撃しようとは思わないのです」


「そうですか。重ね重ね有難うございます。先程の御言葉に甘え、暫くはこの近くに居させて頂こうかと思います」


 その後暫くは泉の近くで寛いでいたが日が暮れる前になると再度お礼を言い、泉を離れて行った。

 竜の近くは安全だが逆に獲物になる動物も近寄らないので肉食の獣だと離れないと生活できないのだろう。


 それにしても人間が近くにいるのか。

 一度見に行ってみるのもいいかもしれない。

 どんな生活様式なのかも装備や服装などを見れば判断できるかもしれないのだ。

 明日は警戒しつつも草原の方に行ってみようかと考えながらその日は眠りについた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る