巣立ちの時
まだ朝というには早い時間。
いつもより随分早く目が覚めた。
まだ暗く、空気もひんやりとしており、母上もまだ丸くなって眠っている。
今日が独り立ちの日。
これからは全て自分で決めて自分で行動することになる。
昨日の寝る前のこと、今後どうするのかを母上と話し合った。
◆
「母上。母上はずっとここに住んでいるのですか?」
「ん? いや。ここはクロを育てるために用意した巣だ。クロが独り立ちしたらここを離れ、竜の森の近くに行く予定だ。この近辺は大型の獣や敵が少ないからな。子育てには安全だが、逆に言うと食べられる獲物が少ないという欠点がある。森の奥深くまで行けば十分な獲物を獲られるがあまり効率的ではない。多少身の危険は伴っても獲物の多い場所の方が暮らしていくには丁度いい。まぁクロは敵が少なく自分の食べるものも十分確保できるからこの場所の方がいいかもしれんな」
そうか。わざわざ自分のために住みにくい場所を選んでくれていたのか。
母上は自分を一人前と認めてから、坊をつけなくなり、クロと呼んでくれるようになった。
大人として認めてくれたということだろうか。
母上に認められたのだと思うと、ちょっと誇らしくなる。
「クロは世界を見てみたいのだったな。巣立ち後はあちこち飛び回るのか?」
「いえ、まずは色々な術を磨いたりしたいので暫くこの森の中で過ごそうかと思います」
術を覚えはしたがまだわからないことや試しておきたいことも多い。
それに移動するとなると食糧の確保や寝る場所の確保などやる事が増えるため術を練習する時間が減ってしまう。
まだ身を守るための十分な術を身につけたわけでもないし、強力な獣や竜種がいる場所に紛れ込んでしまった場合自分の身を守れるのか不安がある。
そのためにもある程度攻撃的な術などの練習や自分にできることを研究したり、道具なども作れないか試したりしてみたいのだ。
そのためには慣れているこの森が丁度いいのではないかと考えている。
「そうか。では私は一足先に竜の森に戻ることにする。明日で一度お別れだな」
「はい……」
「そんな目をするな。別に二度と会えないわけではないし、会ってはいけないという決まりもない。何かあれば竜の森までくるといい。場所は覚えているだろうし、忘れても【竜憶】で調べることも容易だ」
「わかりました」
そう言って安心させてくれたが、そこで厳しい目つきになり言葉をつけ足した。
「ただし、それは生きていればの話だ。いいか。命を落とせば会うことはできない。何があっても生き延びるのだぞ? 困った事があれば相談にきてもいいし、何かあれば逃げてもいい。命を失うな。私もクロが死ぬことは許し難い。くれぐれも親より先に死んでくれるなよ」
どの世界でも一緒だ。
親より先に逝くほどの親不孝はないという事だ。
「はい。何があっても生き延びます」
「それでいい。そうそう、伴侶を見つけたら必ず一度見せに来るのだぞ?」
「……え?」
真面目な目つきから一転、ちょっと悪戯っぽい目つきと口調で言う母上。
そのギャップに思わず目が点になった。
「実はな、古竜種は同族としか子を生せない訳ではない。【転身】の術は肉体を精巧に他の生物に作り変えることができるため、他種族と子を生すことも可能になる。現に人族を伴侶にして子を生した竜もいたしな。クロは人だった時の記憶があるのだから好意を抱くのも人になるかもしれんだろう? 私はクロが選んだなら他種族でも反対はしない。が、どんな相手でもよく見定めろ。騙されて困るのは自分だ。だから心に決めた者ができたなら見せに来ておくれ。翁も喜ぶだろうしな」
確かに人と古竜が結ばれた記録は残っている。
かなり昔だがそこで生まれた子が子孫を残し、竜人種という新たな種族が生まれたのだ。
今もこの世界にその種族がいるかは調べてみないとわからないが、【竜憶】にはそんな他種族と結ばれた竜の事が結構多く記録されていた。
「わ、わかりました……」
まさかこんな話をするとは思わなかったので少しどもってしまったが、母上に見せることには抵抗はない。もしそんな相手が見つかったら一緒に会いに行こうと思う。
「いいか。自分を守るのも大切な者を守るのも全て自分の力次第だ。独り立ちとはいえクロは大分幼い。他の竜であれば親と同じくらいに成長してから巣立つ者も珍しくないのだ。なるべく危険は避け、鍛錬に励むのだぞ」
「はい!」
◆
そんなやりとりを寝る前にしたのだった。
朝食を済ませるといよいよ独り立ちだ。
母上はそのまま竜の森に向かうそうだ。
卒業式のような気分で嬉しくもあり、寂しくもあった。
「ではな。次の再会を楽しみにしている」
「はい。母上、色々ありがとうございました」
「言っただろう、それが親の務めだ。感謝してくれることは嬉しいが恩に感じることはない。もし恩に感じるなら今度は自分の子に同じようにしてやることだ」
「う……はい」
思わず涙が出そうになったが、今はぐっと堪える。
母上とは笑って別れたかった。
様々な想いが胸の内を巡る。
それでも泣いて別れるのは嫌だった。
そう言うと母上は優しい眼差しでこちらを暫く見つめ、その後住処を飛び立っていった。
母上は自分以外にも子を産んで育てた事があるそうで、別れも何度も経験しているらしい。
自分も人間だった頃は既に独り立ちしていた身だ。
寂しくはあるが、耐えられないわけではない。
でもやっぱり胸が苦しくなった。
母上が飛び立った方向を、母上が見えなくなっても暫く眺め続けた。
山の上の住処をそのまま使ってもいいと言われたが、一応巣立ちなわけだし自分も住処を離れることに決めていた。
行こうと思っているのは森の中にあったあの泉の場所だ。
あそこならいつでも種から実を育てられるから便利だし、竜を恐れて獣なども現れないので身を隠すものが少なくても暫くの間は大丈夫だろう。
何より試したい術もあったので多少獣などが出てきて欲しいとも考えていた。
母上を見送ったあと、いよいよ自分も住処を離れる。
住処の上まで飛び上がると、下の住処を見下ろす。
ここで新たな命をもらい、様々なことを学んだのだ。
当初は大きな穴だと思ったが今では少し小さく見えた。
色々な思い出が脳裏を過ぎる。
やはり寂しさもあったが、いよいよ世界を見にいけるという好奇心というか期待も膨らんだ。
母上に言われたことや、学んだことを思い返しつつ、自分も自分なりに自分の信じる自分を貫いていこうと心に決め、住処を後にする。
山の上空から泉のあった方に体を向け、そのまま真上に上昇し、翼を広げて飛行の術を切る。
そうすると高いところから手を離した紙飛行機のようにスイーっと滑空していくことができる。
別に普通に飛んでいってもいいのだが、お遊び気分で色々な飛び方を試したくなってしまう。
風を体中で感じながら翼と尻尾、体だけでうまくバランスをとって目的の方向へ向かう。
ちょっと違うかもしれないがスキーやパラグライダーをしているような気分になれてこれはこれで楽しい。
そのまま泉のある場所まで飛びぐるりと一度上空を旋回し、獣などがいないかを確かめると静かに着地する。
泉の周辺は相変わらず静かで、綺麗な水を湛えている。
動くものの姿はなく、凛とした清涼な空気が辺りに満ちており、ここにいるだけで体中が掃除されてスッキリしたような気分になれる。
暫くの間はここで色々な術を試したり、研究しようと決めている。
まず自分が寝られるような場所を用意したい。
如何に獣が恐れて近寄ってこないといってもそのまま無防備に寝るのもどうかと思ったので、近くに転がっている大きな岩を術で転がしてきて並べる。
かなり巨大な岩だったが星素の量を多くし、一気に動かす勢いをイメージしてゴロリゴロリと転がしていく。
その後、泉の近くの森に生えている小さな苗木を何本か掘り起こして運び、並べた岩の周りに植えると植物を成長させる術で苗木を一気に成長させて視界を遮るようにし、岩と木で周囲を囲んだ即席の寝床を作った。
雑だが暫くの間だけなのでこの程度でいいだろう。
暫定の住処を用意してちょっと休憩すると、お腹が減ってくる。
丁度いいので森を散策し果物を取ってきて腹ごしらえをしつつ、種を集めて泉の近くにまとめて植えておく。
ちょっとした菜園のようなものを作っておけば、いつでも食べることが出来るだろう。
すぐに収穫できるようにある程度成長させたところで日が暮れてきた。
初日なので術の練習は後日にし、まずは生活環境を整えることに集中した。
さすがに疲れたので今夜は早めに眠ることにしたが、寝る場所が変わったせいか疲れているはずなのになかなか眠りにつけず遅くまでモゾモゾとして時間が過ぎていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます