帰路

 湖の清涼な水の匂いと掘り返された湿った土の匂いが心地良い。

 こう言ってはなんだが、お盆などに山の方にあるお墓参りに来た時のような気分になった。

 周囲を見渡すと苔むした広場の奥の方まで命の樹の林が続いている。


「母上。母上の樹はどれなんですか?」


「私の樹は少し奥にある、あの樹だな」


 そう言うと奥にある高さが40mを超えていそうな大きな樹を指した。

 奥の方にある樹は大きいものがたくさんあるが、それに比例して枯れている樹も多くなっている。母上の樹の左隣の樹は既に枯れていた。


「ここで一番大きい樹が翁の樹だ。ここの番は最も齢を重ねた竜が行うことになっているのでな。翁に比べれば私もまだまだ子どものようなものだ」


 母上の樹でも地球では見たことが無いような巨大な樹だったが、翁の樹はもはや比べるものが無いほどの大樹だった。

 ゲームなどで出てくる天を突く世界樹のようだ。高すぎて遠近感が働かない。


「ワシも長く生きたが、そのうち代替わりするさ」


「よく言う。私が幼竜の頃から同じことを言っているくせに」


 母上が呆れたように言う。

 翁は竜の長老みたいなものかと思ったがそうではなく、全ての竜のおじいちゃんのようなものなのかもしれないと思った。

 母上の言葉からもそんな親しみのようなものを感じた。


「それはそうと、随分幼いがクロ坊はもうすぐ独り立ちか?」


「え?」


「ここまで来たということは基本となる四つの星術は覚えたのだろう? それを使えるようになればいよいよ独り立ちだ。親元を離れ自分で生きていくことになるのだぞ。自分の縄張りを持つもよし、世界を飛び回るのもよし、伴侶を探すのもよし。どうするか決めているのか?」


「翁。クロ坊はまだ【転身】の術は覚えていない。独り立ちまではまだ時が必要だ」


「ほう、そうかそうか。てっきりこのまま独り立ちも済ませるのかと思ったわ」


「ここに来る竜は基本の術を覚えてくるものなんですか?」


「そうさな。多くの竜は覚えてくる。が、大抵はクロ坊よりも立派に成長している。いつでも独り立ちできるほどにな。クロ坊は優秀すぎたから先に来ただけだ。気にすることは無い。ワシの勘違いじゃ。早くに種を植えれば樹の成長も早いからの」


「多くの場合、【飛翔】の術を使えるようになってもここまでの長距離を飛んでくる体力はない。私が生んできた竜もクロ坊よりも大きくなってからここに来ていたのだ。クロ坊は巣の中で毎日のように動き回っても平気なほど体力があったからな。ここまで飛んでくるのも苦ではなかっただろう?」


 確かに風で大変だったのはあったが、体力的にへばってついて行くのがキツイということはなかった。

 というより飛びながら二つ術を使う練習までしていた。

 毎日ヘルシーな果物を食べ、よく眠り、適度に体を動かす健康的な生活を送ったからだろうか。いや、それはないか。


「だが、独り立ちが近いのは事実だ。自分がどうしたいかを考えておくのは必要だぞ。【竜憶】から他の竜がどんな生活をしていたのかを知ってみるのもいいかもしれん。既に決めた道があるならそれに越したことは無いがな」


 ……独り立ちか。

 自分はどうしたいのだろう。


 竜の体になったこと、空が飛べるようになったこと、魔法のような術が使えるようになったこと、自分が大きな世界に生きる小さな生き物だということを実感したことなど、自分の価値観を変える出来事がたくさんあった。


 なぜこの世界に、人間の記憶を持ったまま生まれ落ちたのか。

 なぜ自分なのか。

 なぜ竜としてなのか。

 疑問もたくさんあるが、答えは何一つ見当たらない。


 この状況で、正直どんな風に生きていけばいいのかなんてわからない。

 けど、やりたいことはあった。


 世界を見てみたい。

 空だけじゃなくこの新しい世界を。

 独り立ちしたらこの広い世界を見て回りたい。


 人間だった頃はインドアな性格でそんな考えを少しも抱かなかった。

 わざわざ外に行かなくても本やテレビ、インターネットなどで知りたいことは簡単に知る事ができる。


 無論実際に見るのと、そういう媒体を介して見るのとでは違うこともあるのだろうが、そういうものなのかということが知れるだけでも十分だった。

 でもここは違った。

 未知が溢れ、外への好奇心は尽きない。


「独り立ちしたら世界を見に行きたいです」


「ほう。いいことじゃ。小さな殻に閉じこもって一生を終える者も少なくないが、それではつまらんからな。様々なことを経験してくるといい。大地に根を張るのはワシのようになってからでも遅くはないからの」


 翁が笑うように口元を動かす。

 母上も嬉しそうにしてくれていた。


「ただ、忘れるんじゃないぞ。枯れた樹を見たじゃろう。この世界は命を落とすような危険で溢れている。身を守る術をしっかり身につけ、自分も、あるいは自分の大切なものも守れるようにしておくことじゃ。クロ坊は優秀かもしれんがそれにおごってはならぬぞ」


 そう言うときびしい目を向けてくる。


「わかりました」


 話を聞いて考えさせられることがたくさんあった。

 これからのこと、世界のこと、竜の生き方、新たな術などなど。

 特に気になったのは伴侶のこと。

 伴侶、つまり結婚相手だ。


 自分には人間だった頃の記憶と人格がある。

 体は竜になっているがそれは変わらない……と思う。

 自分が伴侶に選ぶ、即ち好きになるのは体に合わせて竜になるのか。

 それとも人格に合わせて人間になるのか。

 どちらなのだろうか。


 仮に体に合わせて竜に好意を寄せるようになると……ダメだ。

 自分が竜相手に恋するなんて想像もできない。

 じゃあ人格に合わせて人間を好きになると……。

 うーん、自分が好きになっても相手が困るだろうし恋愛とかは無理な気がする。

 好きですなんて言っても逃げられるか気絶されるかしか予想できない……。


 子孫を残すこともできないし。

 ということはこのままずっと独身か……。

 人間だったときも結婚はしていなかった。好きな人はいたけど。

 考え込んでいたらあの寂しさが蘇りちょっとションボリとしてしまった。


「さて。これでやることは済ませた。長居すると戻る頃には日が暮れてしまう。そろそろ帰るとしよう」


(え! もう帰るの!?)


 ちょっと話をして樹の種を植えただけなのに。

 さすがに淡白すぎじゃないかと思ってしまったが、良く考えたら夜の飛行は危険なのだ。

 それは何度も聞かされた。

 夜目の術を覚えていないと方向もわからなくなる。

 月明かりや星明りもあるが過信するのも危ない。


「そうか。クロ坊が大きくなれば時間を気にすることもなくなる。そうしたらまた来るといい。道中気をつけてな」


 翁はそう言うとニッと笑うように口を動かした。

 母上が静かに飛び上がる。

 忘れないように場所を覚えつつ、自分も後に続いた。


 後ろを見ると翁が見送っている。

 何だろう。人間だった頃祖父母の家に遊びに行き、時間が来て帰るときのようだ。

 ちょっと寂しい気持ち……また来ようと思った。


 ぐんぐんと高度を上げ雲の高さを越える。

 飛ぶときはなるべく高く飛ぶように言われた。

 特に自分の縄張りや巣に帰るときは。

 雲の高さで飛ぶことで身を隠し、自分の巣や縄張りの位置がばれないようにするのだそうだ。


 天敵と呼べる生き物はいないが襲ってくる生き物はいる。

 警戒しておくに越したことはないらしい。

 帰りの道中も二つの術の練習をした。


 が、やっぱりまだできない。

 帰りも母上の後ろで風を避けさせてもらう。

 はぐれる心配もなくなるからこの方がいいか。


 帰る途中で晩御飯になる果物を探したのだが、自分では何も見つけることができなかった。

 母上は果物を探しつつ、自分で食べる動物の獲物も探していて、見つけると持って帰らずその場で食べてしまう。


 母上と違い自分はまだ食べるのに時間がかかるので、母上が見つけてくれた果物は持ち帰ることにする。丸呑みだと味わえないし。


 今度から山の外に行くことも許可されたため、食べ物も自分で探すようにと言われた。

 何が食べられて何が食べられないかはその都度【竜憶】で調べればいいから不可能ではない。

 いよいよ独り立ちが近づいてきているのだなぁと感じてしまう。


 不安と寂しさが半分、好奇心が半分といった気持ちだ。

 そんな気持ちになりながら取れた果物を口と手に抱えて住処に戻った。

 住処に戻る頃には夕暮れになり、青空とはまた違った空の景色を楽しんだ。


 黄昏時の赤く染まった空は綺麗だった。

 徐々に空の赤さが減り、高い位置から濃い闇色の夜の帳とばりが降りてくる。

 やがて星が見え始め空は埋め尽くされていく。


 そういえば竜になって夕暮れをのんびり眺めるのは初めてだ。

 そんな空を見ながら食事をして、眠りについた。

 今日は人間だった頃の祖父母の夢を見た。



  ※※※



「間違いないのだな」


「は。ギルドからの報告を全面的に信用するならば……ですが」


「ギルドが我々に虚偽の報告をする利点はないだろう。持ちつ持たれつの関係だ。この国が傾けば彼らの損害も計り知れないものになる」


「目撃したのはハンターギルドのパーティ二組。どちらも同じ証言をしています。デルノの森の境界にある双子山の山頂付近から、竜と思しき影がダレーグ山脈方面に向けて飛び立ったということです」


「ダレーグか。あの山脈には飛竜の巣があったな。巣に戻ったのか、あるいはその先に向かったのか」


「ダレーグ山脈一帯、及びその向こうは未開の地でしたな。山脈が危険で越えられずまだどこの国も手を出していません。一部の亜人や獣人種が行き来したり、ギルドが高位探索者に依頼を出すことはあるそうですが国が土地を拓くにはリスクとリターンが釣り合わない」


「目撃された影は、前例のない大型の竜が一匹と小型の竜が一匹。恐らく小さい方は子供ではないかと。色は遠目ではっきりとしなかったそうですが大型の方が銅のような土色、小型の方が黒だそうです」


「やはり飛竜種ではないのか?」


「その可能性も否定できませんが、飛竜で確認されている体色は鉛色のようなものと空色のようなものだけです。また飛竜であればほぼ間違いなくむれで行動します。二匹だけで行動することは考えられません。連れていたのが子供であるのならば尚のこと。

 飛竜は群で子育てをします。弱い子供を群で守るため、移動するなら何十匹という大規模な集団になるはずです。それ程の数の群を養うだけの食料は双子山や近辺の森や草原にはないでしょう」


「確かにあの辺は教会の神殿騎士団が定期的に間引きを行っていますからな。大型の獣種も魔物も少ないはずです」


「であるならば考えられるのは……」


「ええ。考えられる可能性はふたつ。何らかの理由で群からはぐれた飛竜の亜種か、古竜種かです」


「ばかな……。過去に王国近辺で古竜が目撃された事例は両手の指で数えるほどしか報告されていない。たまたま大型のはぐれ飛竜ではないのか?」


「他国がもし古竜の目撃報告を受ければ余程の危機的事態でもない限り報告そのものを隠蔽いんぺいするでしょう。将軍殿もご存知ではありませんか。古竜種から得られる素材の希少価値と有用性が」


「そういえばかつて古竜が討伐された記録があったな」


「はい。約650年前に一回と約400年前に一回。どちらも国が主導で討伐したと記録されています」


「それは存じていますが、どちらの事例も竜一匹に対し、竜同士のいさかいや戦いで弱ったところを襲撃したにも関らず、甚大な損害を出してようやく倒したのではなかったか?」


「ええ。650年前のものはカーデルス王国が民間と軍を合わせて8万の死傷者を出し、400年前のものでもデルダリア皇国が軍に5万の被害を出したとされています。もっとおおやけの記録に残していないだけで更に多くの死者を出していたものと思われますが」


「触らぬ竜になんとやら……か。ここは下手な手出しはせず監視するだけに留めるのが得策ですかな」


「いや。もし古竜の幼体ならば千載一遇の好機かもしれませんぞ。討伐することができれば他国に先んじてアーティファクトの開発や研究、国宝級の武具の作成ができるやもしれません。我が国の国力も先の戦乱で他国に比べかなり疲弊した。それにダンジョンから掘り出される以外で現存するアーティファクトの半数以上が古竜の素材や竜語魔法の産物によるものだ。他国の牽制けんせいのためにも国威増強のためにも古竜は魅力的だ」


「なりません! 過去に残る記録の殆どが古竜に手を出して滅ぼされた国のものであることをお忘れか! 下手をすれば我が国も地図から消されることになるやもしれませんぞ!」


「まあお待ち下さい。まだ古竜と決まったわけではありません。それにどちらにせよ監視と準備は必要でしょう。はぐれ飛竜であっても都市に飛来すれば甚大な被害が出る。竜の動き次第では軍に動いてもらうことも必要である以上、監視と準備は必要な事と思いますが」


「そうだな。ギルドにはこちらから監視の依頼を出しておこう。ギルドにはギルドの情報網がある。仮に情報統制を強いても噂は止められまい。あとで放置したなどと難癖をつけられるよりはマシだ」


「将軍。念のため二個師団の待機を。こちらも諜報部から偵察を放っておく」


「なっ! 国境はどうするのです!? 二個師団も動かせば他国が不穏な動きをするかもしれません!」


「ふむ、では一個師団に魔法部隊を二隊を出してはいかがでしょう。兵の損耗が心配なら戦奴せんどを使うのも手かと。如何に正規兵といえど竜相手では数で押すことも難しい。戦奴を囮にしつつ精鋭の魔法部隊を向かわせれば十分応戦できるかと」


「なるほど。ではそれでいこう」


「ギルドの動向はどうします? 規制をかけますか? 放っておけば逸はやった連中に手を出されるかもしれません」


「いや。放っておけばいいのでは? どの道情報は既に広まっています」


「そうですな。竜種の素材は貴重です。報奨金を弾めば各国から腕の立つハンターも集まるでしょう。竜種専門のハンターもいると聞きます。餅は餅屋。専門家に任せれば危険も減るはず。もし討伐されれば物品の輸出規制を掛けると同時に素材を買い上げればいい」


「仮に古竜でなくてもはぐれ飛竜を討伐できればよし。古竜であったならば動向に注意し万が一に備えておくというわけですな」


「ええ。運が良ければ古竜を討伐できるかもしれません。古竜討伐に成功した国は大きな損害を被っていても僅か数年で飛躍的に国力を伸ばしています。好機を逃さずにおくためにはできることはしておくべきかと」


「では、そのように取り計らえ」



───



「……宜しかったのですか?」


「何が、でしょうか?」


「国境に燻る火種が再び燃え広がろうとしている今、飛竜討伐で兵を無駄に損耗させるようなことになれば……」


「ご心配には及びません。くだんの失敗で大幅な遅れが生じましたが、今回は都合が良かった。

 会議で将軍が発言したように、竜骨が手に入ればエルフ共にアーティファクトの作成を依頼できる。竜骨製のアーティファクト一つで千の兵に匹敵する戦力となるのは知っておられるでしょう? 万の兵を失っても丸々一匹分の竜骨が手に入れば、それで十分に補えます」


「……損害だけ受けて取り逃がしたら……とは考えないのですか?」


「それも問題ありません。今は詳しく申せませんが、そうなったらそうなったで手はあります。

 賢しい王女は我々の動向に目を光らせていましたが、今はその目も閉じられた。この好機を逃す手はない。遅れが生じた分を補うためにも、出来る限りの準備はして臨まねばなりませんしね。

 では、陛下には私から進言しておきます」


「……」

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