古竜の森の翁
翌朝、母上が持ってきてくれたいつもの果物を丸かじりして腹ごしらえを済ませると、予定通り住処を飛び立つ。
いつもは母上が飛び去るのを眺めているだけだったが今日は違う。
母上に続き自分も飛び上がった。
今日は快晴とまではいかないが雲が少なく風も穏やかだった。
隣の山よりも高い位置まで高度を上げ森の奥地に向かって飛行を開始する。
行き際に草原の方を見ると小さく煙が上がっているところがあった。
火を使う動物がその近辺にいるということだろう。
火を使う動物はここでは人間だけとは限らない。
竜もそうだし、火を起こして身を守る小さな動物や、火を噴いて敵を攻撃したりする獣がいる。
そういうものが争ったりするとたまにああやって煙が見えたり、酷いときは火事になったりするのだそうだ。
ただ枯れた草原ではないし、乾燥した気候でもないので大規模な火事は起こりにくいらしい。
そんな風に住処から離れることに浮かれ、あちこち目移りしていると、
「今度からは森の方にも行けるようになるから、今はしっかりついてきなさい。あまり余所見をしていると迷子になる」
と、注意された。
上空は思いの外迷子になりやすい。
その原因は雲だ。
目的地がわかっているならばまた話は別だが、誰かについていくとなるとこれが結構迷う。
雲があると容易についていく対象を見失ってしまうのだ。
現代の飛行機にあるようなレーダーなんてないから一度はぐれてしまうと探すのに苦労することになる。
いや、探せば似たような術があるのかもしれないし、無くても創り出せるような気もする。
これもあとで調べてみよう。
確かに母上の言う通りなのだが、溢れ出る好奇心には逆らえない。
余所見を程々に我慢しつつ、母上の後ろを離されないようについていく。
母上も自分に合わせてくれているのか、速度を抑え気味にして時折こちらを気にかけてくれている。
まるで親子連れのカルガモのようだなぁと思ってしまう。
ヨチヨチと親についていく雛鳥を思い浮かべてしまった。
あながち間違いでもないのかもしれないが。
暫く飛行していると、最初こそ周囲の様子に目移りしていたが延々と続く代わり映えの無い森の景色にだんだん飽きてきた。
そこで母上の飛ぶ様子を観察してみることにした。
飛び始めてまだ一ヶ月かそこらの自分よりも、安定した飛行をしているので何か学べることはないかと思ったのだ。
やはり術を使って飛んでいるので殆ど翼は動かさず大きく水平に広げたままだ。
時折風に煽られたり大きな雲を避けるときなどにバランスをとるために動かしているがそれ以外はグライダーが滑空するように伸ばしている。
一つ気がついたのが、母上は向かい風などで顔に強風が当たってもバランスを崩したりすることも無く平然としている。
自分だと強い風が吹くと目を開いていられず顔をしかめたり首を逸らしたり、強風に煽られてバランスを崩しヨタヨタとしてしまうことが多い。
体が大きいから安定しているのだろうか。
飛行機も小型より大型の方が安定した飛行ができるとか聞いたような気もするが、全くといっていいほど風を気にしていない様子を見るとどうも違うような気がした。
「母上は体に強い風が当たっても平気なんですか?」
「ん? そうか。クロ坊はまだ壁を作っていないのだな。飛ぶ時には自分の体の前方に壁を作り出すイメージで星術を使い、風を避けているのだ。別に無くても飛べるが、長距離を移動する時はあると便利だぞ。余裕があったら試してみるといい。集める星素の量はそれ程多くなくていいしな」
ああ、なるほど。
術で風除けを作っていたのか。
【伝想】のおかげで風が強かろうが高速で飛んでいようが意思疎通は問題なく行える。便利である。
だけど今まで意識して二つの術を同時に使ったことはない。
【伝想】は殆ど無意識的に使っているため術を使っていると感じなくなっていたが、飛ぶことは大分慣れてきたとはいえ集中していないわけじゃないからそうはいかない。
「術を複数同時に使えるんですか?」
「クロ坊も飛びながら【伝想】を使えているじゃないか。たくさんの星素を制御する術を使う場合は難しいが、そうでない場合は使える。試してみて無理そうであれば私の後ろについて風が当たらないようにするといい」
「わかりました」
試しに飛びながら術を使ってみる。
自分の前方にガラスやアクリル板のような透明な壁をイメージする。
星素を集めていくと壁が作られ若干風が弱くなるが、飛行の集中が途切れガクンと一気に高度が落ちる。
「おわったたた!」
慌てて飛ぶことに集中し直し、高度を上げる。
「ふふ。物覚えが良いクロ坊でも練習がいるようだな」
仕方ない。
落ち着いたらこれも練習しよう。
今は母上の後ろで風を避けさせてもらう。
飛びながらも何とか自分で壁を作ろうと練習していくことにする。
長い空の旅にやる事ができたのでちょっと嬉しい。
雲や森が流れる様子を見ながら練習できるので楽しかった。
飛び続けてどれくらい経っただろうか。
相変わらず二つの術を同時にこなすのは成功していないが着実に目的地には近づいているようだ。
住処から遥か遠くに見えていた森の向こうの山脈を越えると、その先は
大きな岩がゴロゴロしており、岩の無い場所は草だらけだ。
木は殆ど見られないし、生き物の姿も見られなかった。
まぁ竜の気配があれば隠れてしまうのだし、生き物は仕方がないか……。
その草原を更に飛び、また山を越えると背の高い木が生い茂る森が見えてくる。
「あそこが目的地だ。我々古竜の大切な場所で他の生物は滅多に近寄らない。近寄れば森の竜に襲われるからな」
背の高い木を眼下に見ながら森の上空を飛ぶと、その先には更に巨大な木が何本か見えてきた。雲を突き抜けていて天辺が見えない。
巨大な木の近くまで来ると
巨木の近くにはこんもりとした緑の丘がありその近くに母上が着地する。
自分も母上の近くに着地した。
広場にはいくつもの倒木が転がっており、どれも苔で覆われている。
動物の気配もなく、静かな場所だった。
地面は苔でふっかふかだ。
よく見ると竜の足跡であちこち凹んでいる。
見上げれば巨大な木の枝葉の間から陽光が苔むした地に落ち、何とも幻想的な光景だった。
「翁。連れてきたぞ」
母上がそう言うと、緑の丘がもぞもぞと動きだす。
「ん? おお。よく来たな。新たな同胞よ」
思わず固まってしまった。
丘だと思っていたのは巨大な竜が丸まっていたものだった。
背中には苔やら草やらが生え、じっとしていると完全に周囲の景色に同化していた。
ギリースーツだコレ。某有名スナイパーも真っ青である。
母上も大きいが、母上の倍近くありそうな巨大な緑の竜だった。
「深緑の。昨日話した我が子だ。クロ坊、そこな竜はこの森の守護をしているものだ。同胞は皆、翁と呼んでいる」
「ほっほ。初めまして。新たな同胞。皆からは深緑、翁などと呼ばれておる。他の竜よりもちっとばかし長く生きている爺じゃよ」
「は、はじめまして。母上からはクロと呼ばれています。よろしくお願いします」
母上以外で初めて見る竜がこんな巨大で圧倒的な存在感を持つ竜だったため、あんぐりと口を開けて目を見開いて見ていたところ自己紹介をされ、慌てて自分も自己紹介をする。
大きな緑色の瞳に見据えられると緊張してしまう。
「ふむ。珍しい鱗の色だのぉ。ワシも今まで見たことがないな。おまえの母から聞いているよ。とても物覚えがいいそうだな」
昨日母上がここを訪れていたはずだからその時に自分のことも話していたのだろう。
「えーと、その、あの……」
「ほっほ。そんなに緊張することはない。お前の母の話では自分がどんな術に適正があるのかわからず悩んでいたそうじゃな。気にすることは無い。例え星術が無くとも、賢しいお前さんならどこでも暮らしていけるだろう」
まぁ確かにと考えながらも、やはりせっかくの超常の技。
使えるなら使いたいし、得意分野があるなら知りたいとも思う。
そんな想いが伝わったのか、翁は優しい目で見続けていた。
「まあ術については追々試していけばよかろう。どれ、まずはやるべきことを済ませようか」
そう言うと体を起こし、ずるずると巨木の方に歩いていく。
さすがにこのサイズの竜、歩くと地響きがする。
足跡の大きさも自分とは桁違いだ。
体がすっぽりと入りそう……。
翁は木の根元にある岩場から大きな実を取り出してきた。
見た目はヤシの実を少し小さくした感じだろうか。
それを手渡される。
巨竜が持つとまるで大豆のようだが実際はそんなに小さくはない。
「ここはな、新たな同胞の誕生を祝う場であり、古き同胞の死を悼む場でもある。新たに生まれた古竜の子は飛べるようになると初めにここに連れてこられる。ここでその命の実を地に植えることで新たに一族に連ねられるのだ」
逆に言えばここに無事こられるようになるまではまだ同胞ではないということだ。
人間でも確かそんな考え方があった。
昔は子供が生まれても無事に一週間を生き延びられないことが多かった。
そのため人は生まれてから一週間はまだ神様の子とされ、一週間以内に死んでしまうと神様の国に戻ったとか、手放したくない神様が連れいったのだと言ったらしい。
名前も一週間を過ぎるまではつけず、無事一週間生きられたらお祝いとして名前をつけるのだ。確かお七夜といったかな。
竜もそれと同じように無事にこの竜の森まで来ることができるようになるまで同胞とはしていないのかもしれない。
野生で生きる以上子供が命を落とすことは日常茶飯事のはずだ。
そんな風に自分なりに考えた。
「では上を見てごらん」
そういうと翁は首を上に向ける。
自分も釣られて見上げた。
「大きな樹だろう。この樹は竜の命を司る樹じゃ。種を植えた竜と共に成長し、竜が死ぬと一緒に枯れ落ちる。ああ、安心するといい。仮に何かの原因で樹が先に枯れたり倒れたりしても竜も一緒に死んでしまうことは無い。あくまで竜がどれ程の時間を生きてきたのかの指標となるだけだ。人間という種は暦こよみという時間の区切りを示す単位を使っているそうだが、我々にはそれがないのでな。樹の成長をそれの代わりにしているというわけだ。今度は下を見てみなさい」
そういうと寂しげな眼差しで下の方にあるまだ枯れて間もない樹を示す。
高さ的には10mくらいだろうか。
立ち枯れており葉はついていない。
「その枯れ樹は若くして命を落とした同胞の樹だ。命を落とした理由まではわからんが、我々古竜であっても命を落とす生き物であることを忘れてはならないということだ。この場に朽ちている多くの樹はかつて我々の祖としてこの世界に生きた竜達の樹だ。クロ坊も自分の樹を植え、途中で枯れることのないよう大きな樹に育てていかなければならんぞ」
そう言うと、また優しげな瞳でこちらを見つめてくる。
「わかりました。頑張ります」
よし。枯らさないように世話をしよう。
昔は植物とか動物とかの世話が好きでマメにやっていたしちょっと気合が入る。
「ほっほ。頑張る必要はないぞ。樹は坊と共に勝手に成長していくからな。放っておいて問題ないぞ」
あれま。
気合を入れたのに残念。
ここを訪れて世話をする必要はないようだ。
「普段はワシがここで樹を見守っておる。たまにどれくらい成長しているかを見に来る者もおるが、大抵はこうした機会にしかここを訪れる者はおらんよ。それぞれ自分の生活や縄張り、あるいは護るべき者たちがいるからな」
ちょっと物悲しそうに樹を見つめながら翁が言った。
静かな森に一人か……寂しいのかもしれない。
たまには様子を見に来よう。
「クロ坊が種を植える場所はここだ。穴は自分で掘るのだぞ。これから自分の分身となる樹だ。心を込めて植えてやりなさい」
そう言うと母上は整然と並ぶ樹の列の一番左端を指し示す。
隣の樹はまだ3mほどの小さな樹だ。
4つ隣の樹は5mくらいで既に枯れていた。
こんな若い竜も命を落としているのかと、ちょっと不安が過ぎった。
いや、自然の世界は弱い者から死んでいくのだ。
子供は弱い。
自然界に生きる多くの生き物は子供のうちに死んでいく。
人間でも少し昔はそうだったのだ。
血が絶えないように多くの子を産み、その中の一人でも大人になれればいいという考え方だった。
現代日本は今でこそ死の危険が減り生まれる子の数が少なくても問題なく子孫を残せるようになってきたが、それでも毎年多くの赤ん坊が命を落としている。
1960年代ではおよそ4割の乳幼児が死んでいっていたのだ。
ここは危険な世界。
比較的安全とされ、大抵の子供が大人になることができた日本とは違うのだ。
手でザックザックと苔むした土を掘り返し、穴を開けて種を入れる。
上に土を被せ、元気に育つよう念を込めておいた。
元気に育つということは自分も命を落とすことなく生きていくということだし、ちゃんと祈っておこう。
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