大空、解禁


 何度か脱皮を繰り返し、自分の体も着実に大きくなってきていた。

 まだまだ母上には遠く及ばないが、生まれた当初は1mくらいだった体長も今は尻尾まで入れれば3mを越えた気がする。


 脱皮した時の鱗と生え替わった爪や牙は、今も住処の端っこの穴に集めている。

 初めは鱗だけ脱皮で剥がれていたが何度目かの脱皮から牙も、更に何度目かの脱皮から爪も生え変わるようになった。


 段々と鱗や爪、牙の量が多くなったので穴の数を増やすことにした。

 集めてはいるけど何かの役に立つのかは不明だが……。


 竜の鱗や骨なんかはゲームとかだと高価な素材になったりするけど、ここではどうなんだろうか。

 仮に高価な素材になるのだとしても自分の爪や鱗だしなぁ……。

 役立ててくれるならいい気もするが、想像すると皮膚移植や献血のような気分になった。

 そんな感じで色々と無駄な思考もしつつ、いつも通りの日常を繰り返していたある朝。


「飛ぶことにも大分慣れてきたな。今まで巣穴から出ないように言ってきたが、そろそろ外に行くことを許可しよう」


 朝の食事をしている時にそんなことを言われて、思わず飛び上がって喜んだ。

 初めの暴走以来、【飛翔】の術も失敗することなく順調に飛べるようになってきていた。

 今では狭い住処の中をグルグルと思い通りに飛ぶことができるようになっている。


 まるで洞窟を飛び回るコウモリのようにバサバサと住処の中を飛び回り、練習をしていた。

 急旋回や急停止、小回りの良さを生かしてブーンブーンと飛び回る。

 きっと母上からしたら巨大な蠅が飛んでいるようで鬱陶うっとおしいことこの上ないのだろう。

 母上、ごめんなさい。


 そう内心で思いつつも練習は続けている。

 自分の翼もかじを切ったりバランスをとったりという複雑な細かい動作ができるくらい動かせるようになった。

 尾もスタビライザーのように重心を移動し、バランスをとるために役立っている。

 やっとその成果が出たということだ。


「ただし、今はまだこの山から出ないように。特にまだふもとに広がる森に下りてはダメだぞ。山の中と山の上空なら自由に飛びまわるといい。広い場所の方が飛ぶ練習にはいいだろうしな。今日は今度クロ坊が行かねばならない場所にいる古い馴染みに会ってこなければならない。夕暮れ前には戻る。浮かれすぎて失敗しないようにな」


 そう言うと飛び上がり大空に吸い込まれるように飛び去っていった。

 結構遠い場所なのかもしれない。

 いよいよ待ちに待った外出許可が下りた。

 逸る気持ちを抑えきれず思わず笑みがこぼれてしまう。

 竜なのであまり表情には出ないがきっと鏡を見たら嬉しそうな目をしていることだろう。


 ……そういえば鏡を見てない。

 竜になって未だに自分の顔が見れていない。

 どんな顔なんだろう。

 目つきが怖いのだろうか。


 ……いや、それも気にはなったが、やはり今は外のことだ!

 自分の姿に意識が移りかけたが気持ちを戻し、早々に残っていた果物を食べ終え、術を使って住処の外に飛び上がる準備をする。

 正直気持ちが逸って食べたものの味なんてわからなかった。


 初めて飛んだ時の暴走で一度だけ外の景色を見たが、やはりワクワクが止まらない。

 一度失敗している手前、いつも以上に集中し浮かび上がる。

 普段なら住処の入り口手前の高さで止まり旋回したりしていたが、今日は違う。


 住処の出入口を超え、高く高く浮かんでいく。

 ある程度周囲を見渡せる高さにまで上がると一度その場で止まってホバリングする。

 翼をバサバサと動かすでもなく座ったような姿勢で空中に止まっているのは何とも不自然な感じがしたが、術で飛んでいるだけなら翼を動かす必要もないので無駄な体力を使う必要も無い。


 以前はゆっくりと見られなかった周囲の様子をじっくりと観察する。

 住処のある山の高さは見た感じ2000mは超えていそうだった。

 となりにある同じような岩だらけの山は更に高く2500mくらいだろうか。


 山頂のやや下の方に薄く雲がかかっている。

 綿のように浮かぶ雲の波は自分が高い場所にいるのだと教えてくれる。

 麓に広がる森は広大で、地平線の向こうまで続いていた。

 母上が飛んでいった方向から察するとどうやら森の奥地に向かっていったようだ。


 母上が飛んで行った森の地平線の先には山脈が見える。

 360度のうち180度はそんな光景だった。

 残りの180度は隣の山に遮られていて見渡す事ができない。


 更に更に高く上昇する。

 山の範囲から出ていなければ高さの制限は言われていないから大丈夫だろうと都合よく解釈した。

 高度を上げ、隣の山よりも高い位置まで上昇すると、その山の先は見渡す限りの草原だった。

 ちょうど今いる二つの山のあたりで森が切れ、先には草原が続いている。


 ところどころ起伏があるものの殆ど平坦で人工物も何もない。

 草原の先に小さく灰色の山のようなものが見えるが遠すぎてはっきりとわからない。

 ぽつりぽつりと木が生えていてサバンナのような感じだ。


 周囲の様子を眺め、自分が空を飛んでいるということを改めて認識する。

 ああ、まさかこんな形で夢が叶うとは思わなかった。

 晴天の空、白い雲の波、穏やかな風、夢にまで見た空の世界。


 暴走した時と違いゆっくりと眺められ感動が心に染み渡る。

 思う存分景色を堪能すると、今度は更に上空に意識を向ける。

 どこまで昇れるのだろうか。

 試してみたい。


 更に上昇を開始する。

 高く高く。

 気球で上昇するようにどんどん高度を上げていく。


 雲を遥か眼下に上昇を続けてくとやがて空の青が濃さが増してくる。

 青から深い群青に。

 宇宙が近づいてくるようだった。

 飛行機の窓から見るようなものとは全然違う。

 視界全てが空。強い風の音が耳朶を打つ。


 通常こんな高さに来たら生身の人間は生きられない。

 空気が薄く気圧も低い。

 竜の体は多少息苦しさを感じるもののまだガマンできる範囲だった。

 しかしそれはある場所で一転した。


「!! いったたたたっ! うわっ! さぶい!」


 体の異変を感じたのはもう空と大地の境目が曲線で見えるほどの高高度だった。

 星が平坦ではなく、丸いのだと認識できるほどの高さ。

 突き刺さるような冷気で体中が痛い。

 首を回してみると、翼の皮膜の一部が凍り付いている。


 竜になって寒さや熱さに強くなっていたがそれでも-70℃近くにもなる低温下はこたえた。

 広大な空の景色に吸い込まれるように上昇した結果、地上から遥か上空、対流圏から成層圏の世界に踏み入ってしまったようだ。


 これはまずいと術を切り、自然落下を開始し、錐揉みしながら一気に高度を下げていく。

 普通の生物なら気圧の急激な変化でおかしくなる所だが竜の体はそこまで体調の変化はなかった。

 せいぜい耳が少し痛いくらいだ。

 まぁ耳と呼べるようなものはなく、こめかみに穴が開いているだけなのだが。


 フリーフォールにより高層雲、中層雲の波を突きぬけ徐々に大地の緑色が近づいてくる。

 住処の山が近づくと翼を広げ術を起動しブレーキをかけていく。

 落下速度が緩やかになりやっと一息つくことができた。


 やがて巣穴の入り口を捉え、ゆっくりと着地する。

 慌てて翼を見てみると凍り付いて変色している部分があった。

 これは……凍傷だろうか。

 痺れるような疼くような感覚がある。


 癒しの術で凍傷は治るのかと疑問に思ったが、ほっとくわけにもいかないということで術を使う。

 体の細胞を活性化し、壊れた細胞と置き換えるイメージ。

 ほんわりとした温かさが患部に灯る。


 徐々に変色していた翼膜が元の色に戻っていく。

 感じていた疼きなどもなくなり動かしても何も感じないいつも通りに戻った。


(ふう。よかった、ちゃんと治った……)


 思わず安堵のため息が出た。

 凍傷は悪化したまま放置すれば周囲が壊疽えそを起こし、場合によっては患部を切断しなければならなくなることもある危険な症状だ。

 せっかく空を自在に飛べるようになったというのに、早々に翼を失うなんて冗談にならない。


 癒しの術で凍傷を治し、他に異常はないかと体中チェックする。

 鱗は霜が降りていたが大丈夫なようだ。さすが竜の体。

 痛い目を見たが、あの吸い込まれるような空の世界は魅力的だった。


 自分が巨大なものの一部になったかのような感覚。

 人間だった頃に感じた部品のような寂しく空虚な感覚じゃない。

 まるで空と溶け合ったかのような、風になったかのような、そんな感覚。


 また行きたい。

 もう一度。

 そう思ってしまった。


 しかし、そう思いはするが命を危険に晒してまで行くわけにはいかない。

 今度から高高度に上がるときは何か対策が必要そうだ。

 体の回りにシールドを張るような術が無いか調べておこうと考える。


 空の上で痛い目を見たので、その後は住処すみかの中で術の練習をしてから夕方になるまで山肌近くを飛んでどんな様子かを見て回った。

 山は岩ばかりだったがところどころ草木が生えている。

 川や湧き水などはなく、荒涼としていた。


 そういえば母上以外にまともな動物の姿を見た記憶が無い。

 岩肌に小動物でもいないかと目を凝らしてみるも見つけられなかった。

 竜の住処すみかであるこんな山に住んでいる命知らずの生き物はいないのか、それとも竜が獲物を探しに来たと思い身を潜めているのか。


 何だか自分が嫌われ者の暴君のようになった気分だ……。

 寂しい……。怖がらなくてもいいのに。

 どうせ肉を食べられないフルーツドラゴンだし……。

 血の匂いとかもしないと思うのだが……。


 しかし、よくよく考えると自分でも竜を見たら恐怖して身を隠すだろうと思う。

 そう考えれば動物が見つからないのも仕方ないかと思った。

 麓の森には近づかないようにして周囲を飛び回ってみたが、結局小動物はおろかめぼしい昆虫すら見つけられなかった。

 ちょっとしょんぼりしてしまった。


 そうしていると大分日が傾いてきたので、暗くなる前に住処に戻った。

 戻って暫くすると母上も戻ってきた。


「母上おかえりなさい」


「ただいま。翁と話をつけてきた。クロ坊、明日竜の森まで一緒に出かけるぞ」


「竜の森?」


「行けばわかる。我々古竜たちにとって大切な場所だ。少し遠いからな。朝食を済ませたらすぐに出かけよう」


 飛べるようになって初の長距離の移動のようだ。

 住処の中でコウモリよろしくぐるぐると長時間飛び回っていたことはあるが、やはり実際に長い距離を飛ぶのは楽しみだった。


 初めて住処の外に出た嬉しさ、広大な森とその向こうの山脈、草原の向こうに見えた小さな灰色の山のことを話し、そして明日のことを教えてもらう。

 明日行く予定の場所は森の先を越えた奥深くにある場所のようでここから結構な距離があるようだった。

 朝出かけた母上が夕方までかかったのだから確かに遠そうだと納得する。


 岩山では生き物を見つけられなかった残念感を話すとやはり竜が近寄ったら隠れるだろうと言われた。

 母上も動物の獲物を探す時はかなり苦労するらしい。


 百獣の王といわれるライオンや獰猛なトラなんかも狙った獲物をいつでも取れるわけではなく失敗することも多いらしい。

 強く超常の術まで使える竜といえどもやはり自然を相手に生きる苦労は変わらないのだなと感じた。

 母上がいない間に遥か上空まで昇って危うく凍りつくところだったと話したらきっと叱られるだろうと思い、そのことは内緒にすることにした。


 食事が終わると早々に寝る用意をする。

 いつもなら眠る前に術の練習や母上に質問したりして時間を潰すのだが、今日は住処の外に出た疲れと明日長距離を移動することに備えて早くに眠ることにした。

 明日会う予定の自分と母上以外の竜はどんな竜なんだろうと思いをせつつ、その日は眠りについた。

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