竜、成長する
(んん……ふあーぁ……)
四肢を伸ばして欠伸を一つしながら、半分寝ている頭を起こした。
岩の床に直に寝ているが、硬くて寝にくいといったことはない。
これも竜の頑強な体の恩恵だろうか。
まぁ布団で寝る程寝心地がいい訳ではなかったが。
朝が訪れると人間と同じように目覚めるのだが、不思議なことがあった。
人間だった頃は
なので目を閉じるといつでも真っ暗になる。
のだが、辺りが明るくなると自然と目が覚めるのはなぜだろうか。
どうにも気にはなるのだが、確かめる方法が無かった。
竜として生まれて2週間程が過ぎただろうか。
当初は、大いに混乱した。
夢で寝て覚めれば元通りとも思ってみたが、やはりそうはならなかった。
徐々にはっきりしてくる今という現実と、あの最後の光景。
(やっぱり溺れたんだよね……あの時……)
別に人間だった頃に未練はなかったし、落ち着いて考えると夢にまで見た空を飛べるかもしれないということだ。
前向きに考えてみることにした。
泣いて
そして相変わらず言葉は話せないままだった。
母竜が発する言葉は理解できるのに、自分が同じように言葉を出そうとすると獣の鳴き声のようになってしまう。
人間と声帯の構造が違うのだから当然といえば当然なのかもしれないが、それだとどうして母竜の発する言葉は理解できているのだろう。
聞きたいが自分の意思を伝える術が無い。
もどかしい。
コミュニケーションを自由に取れないというのは思いのほかストレスが溜まるものだ。
時が経てば解決するのかと思い、言葉の壁については問題を先送りすることにした。現状の自分ではどうしようもない。
(さて。じゃあ今日も……)
よっこらせと身体を起こし周囲を見回すが、巣の中は自分だけだった。
卵から生まれてずっといるのがこの巣だ。
母竜が用意してくれたのか元からあったものを利用しているのかはわからないが、岩場がすり鉢状に凹んだつくりになっている。
見上げれば青空が広がっているのだが、かなりの深さがあるので外に出るには岩壁をよじ登るか、母竜のように空を飛ばなければならない。
大体いつも起きた時には母竜が既にいなくなっており、暫く
母竜は
岩壁をよじ登ったり石を投げたりといった危ないことをしようとすると注意されるがそれ以外は自由にさせてくれる。
基本的には人間の赤子と同じで、食べて寝るのが今のところの仕事である。
竜の体には未だに慣れないが、だんだんと人間と同じ点や全く違う点がわかってきた。
まず人間と同じように食欲、睡眠欲、性欲があるようだ。
やはり竜も他の生き物と同じで生物として根本的な欲求はあった。
人間のときは物語や神話などの中だけに登場する神秘的な存在というイメージを持っていたが、この世界の竜は厳しい大自然を相手に生き残っていかなければならない一つの生命であることに変わりは無いらしい。
ただ成体には程遠い幼い自分にはまだはっきりとした性欲は顕れていない。
その代わり食欲と睡眠欲が強い。
お腹一杯になるまで食欲はなくならず、どこにそんなに入っているんだ? と食べている本人が感じるほどの量を食べている。
そしてお腹が一杯になるととたんに眠くなる。
それはもう、抗えないほどに。
ただ、お腹一杯に食事ができるようになるまで問題があった。
食料についてである。
今は母竜が取ってきてくれる果物を食べているのだが、初めて食糧を持ってきてくれた時はどうしたものかと頭を抱えたくなった。
竜は基本的に鳥と同じで母乳などで育つわけではなく、生まれた直後から母竜が運んできてくれる食料を食べるのだが、運んできてくれる食料が問題だった。
一言で言えば肉。
生肉である。
一度はテレビなどで見た事がないだろうか。
サバンナやジャングルでトラやライオンが狩りをした獲物を食べている映像を。
そう、まさにそんな感じの生肉である。
竜の体になり、味覚的には美味しく感じるようになっているようだった。
しかし、見た目がキツイ。
そりゃあもう子どもの旺盛な食欲が霧散するほどにキツイ。
今でも鮮明に思い出せる。
初めて持ってきてくれた食事がそれだったのだ。
当然ながら血生臭く、若干蠅のような虫もたかっている。
原型のままだらりと
何の動物かはわからないが、とてもじゃないが美味しくムシャムシャなどできない。
命を捧げてくれた動物には申し訳ないが、気持ち悪い。
人間だった記憶、それも現代日本という文明的な生活を送っていただけに、これを食事と割り切るのは無理だった。
優しげな眼差しをした母竜がせっせと運んでくれた手前、どうしても申し訳なく思い、食べる努力をしてはみたが、ダメだった。
鼻を近づけると漂う獣臭。血抜きもされていない生肉の質感。死肉に集る虫の羽音。
竜の顔には表情筋が少なく、表情はあまり変化しない。
せいぜい相手を
そんなあまり表情に出ない竜の顔にすら嫌悪感が
「どうした。食べないのか?」
これは叱られるかと首を垂らして身構え、困った視線を向けていると
「ふむ。腹は空かせている様だし、体に異常がある様子もないが……。口に合わないのか。どれ」
母竜はそういうと巨大な翼を広げ、飛び立っていった。
これは……怒らせてしまっただろうか。
せっかく運んできてくれた食事だ。人間の子ども時代にご飯を残して親や先生に叱られた記憶が蘇った。
思えば当たり前のように食べていた肉や魚も、元を辿ればこうした動物たちの命をもらっていたのだ。
スーパーなどでは切り身やブロックになってしまっているが、根本的には人間も同じことをしている。
お腹一杯だから、好きじゃないから、食べたくないから、そんな理由で多くの食べ物が捨てられる現実を思い出した。
こうして実際に息絶えたそのままの状態を見ると、そんな人間社会がとても残酷に思えた。
余分に意味もなく刈り取られる命。
生きるために他の命をもらわねばならないことは当然だが、人間がしていることは無駄でおかしなことに思えた。
人間ではなくなっても人間と同じような残酷なことをしてしまうのか。そう思うと自分が情けなくなった。
いっそ本当に餓死する寸前まで飢えれば、
この問題は命に関るため言葉の時のように先送りする訳にはいかない。
生まれて数日で餓死は嫌だった。
食べ物が無くて死んでいく生き物なんて星の数ほどいる。それが自然の摂理だ。しかし、いざ自分がそんな状況に置かれるとやはり死にたくはない。
そんな思いを巡らせながら、何とか食べられないものかと置いていった死骸を見ながら思案していると、母竜が戻ってくる。
新しい食べ物を持ってきてくれたようだが、やはり肉。
最初よりも小さな動物のようだ。
取れたてで新鮮。
しかし生肉。
当然食べられず。
困った視線を向けて首を振りながらごめんなさいを言おうと口を動かすと、「キューン」というなんとも申し訳なさそうな鳴き声が出た。
「肉が食べられないのか。竜にしては珍しい」
そんな言葉に我が意を得たりと、首を縦に振る。
仕草からこちらの意思を理解してくれたのか、また飛び立って暫くすると、今度は別のものを運んできてくれた。
植物の実のようなものだった。
見た目はスイカのような大きさと形でオレンジ色をしている。
一瞬カボチャかと思ったが……それを6個ほど器用に口に入れてきてくれた。
大きさ的には実一つで自分の体の四分の一ほどもある。
どんなに空腹でも普通なら一つ食べれば満腹だろう。
実のような物をゴロゴロ落とすと、先程持ってきてくれた肉を母竜がペロリと丸呑みにした。
よかった、無駄にはならなかった。
気を取り直して、持ってきてくれた植物を観察する。
何だろうと思いながら、フンフンとかぎまわる。
嗅いだことは無いが甘いいい香りがした。
空腹も相まってそのままかぶりついてみる。
当然丸のまま。
皮など剥けないし……。
食べてみると中身は真っ白で、味は桃と梨を合わせたような味だった。
シャクシャクとした食感で甘くて美味しい。別に皮も気にならなかった。
一心不乱に食べる姿は母竜にどう映ったのか、呆れたような嬉しそうな複雑な目をしていた気がする。
自分だけであの大きなスイカボチャ(見た目と色からそんな名前を考えた)を4個も食べてしまった。
さすがにお腹パンパンになる。
それからは肉ではなく、様々な果物や野菜のようなものを運んできてくれるようになった。
自分の体は100%果物でできている、といっても過言ではないほど果物ばかりを食べている。
まるで砂糖菓子のように甘いもの、レモンのように酸っぱいもの、まだ熟していないのかちょっと苦味のあるものなど様々だったがどれも美味しかった。
野菜のような葉物などもあったが、好き嫌いという問題ではなく、苦かったり殆ど味のなかったりする野菜だけを食べるというのは結構きつかった。
竜にもちゃんと味覚はあるので、当然食べ物の好みも生まれてくる。
母竜も果物を喜んでいると気付いてくれたのか、野菜よりも果物を中心に持ってきてくれるようになった。
天然フルーツ果汁100%の竜である。
ドラゴンフルーツ、いや、フルーツドラゴンだ。
今血を搾ったらフルーツジュースが出てくる……わけないか。
雄雄しい竜がそんなんでいいのかと思いもするが、肉が食べられないのだから仕方ない。
せめて焼いたり煮たりできれば食べられると思うのだが……。
そんな風にして初めての食事を運んできてくれた時のことを思い出しながら、母竜が取って巣の中に置いておいてくれた果物にかぶりついた。
そしてモゴモゴと口を動かしながら、石と土だらけの殺風景な巣の中を見回す。
このくぼ地には水場が無い。
食べることと同じくらいに重要な飲むことだが、生まれてから一度も水を飲んでいない。
でものどが渇くといったことは一度も感じなかった。
母竜が持ってきてくれる果物などで十分水分を得られているからか、それとも竜の身体の特性かはわからなかったが飲むことについては問題は無かった。
しかし、体を洗ったりができない。
人間だった頃は毎日お風呂に入っていたから、水浴びくらいできないものかと思いもしたが、鱗だと多少汚れても気にならなかった。
寄生虫とかは……いないと思いたい。
(ふぅ。美味しかった。じゃあ今日も運動しよう)
何はともあれ食糧事情が改善され、満足に食事ができるようになると周囲の状況や体のことに興味が湧いてくる。
当然食べる他には寝る以外にやることがなかった。
なので一日の大部分を母竜が見ている中、体の動かし方を研究したり、住処の中を走りまわってみたり、住処の壁をよじ登ろうとして母竜に引っ張り降ろされたりしている。
今日もいつも通り、歩いたり走ったりと身体を動かしていく。
(動くのも大分慣れてきたなー)
竜になってから歩くのは四足歩行になった。
始めは人間だったことから二足歩行をしようと頑張ったが、体が二足歩行用にできておらず無理な事が判明した。
尻尾で支えながら二本足で立つことはできる。
二本足で立ち上がるとちょっとゴジ●っぽいかもしれない。
歩くこともできなくはないが、歩こうとするとペンギンのようなヨチヨチ歩きしかできなかった。
走ることは無論不可能。
とてもじゃないが実生活で二足歩行は無理な気がした。
関節のつくりやバランスからも子どもだからできないというわけではなく、体の構造からしてできないという結論に至ったのだ。
母竜も何をしているんだというような視線を向けていたが、咎めることはなかった。
人間だった記憶があるために四足歩行は抵抗があったが、慣れてしまえばそんなに苦痛でもなく、四本足で走ることもできるようになった。
もともと四足歩行用の体のつくりなので違和感は次第に薄れていった。
まぁ二足歩行に未練はあったが。
(んー。そろそろ飛べるようにならないかな)
動き回るのに慣れてくると次に気になったのは背中についた翼である。
母竜が飛び立つ姿を見ると、大空への憧れが湧き上がってくる。卵から出た当初は
(よっ。ほっ。……むぅ)
しかし、人間の体にはなかった翼という部位。
どうすれば思い通りに動くのかわからなかった。
尻尾も人間にはなかったが、こちらは無理に動かす必要もなかったし、歩くときは勝手に揺れたりしてバランスは取れているので気にならなかった。
しかし、自由に動かせないと空が飛べない翼についてはそうはいかない。
背中に意識を向け、振ってみたり広げようとしてみたりしたが、若干は動いてくれるものの思うように動かせない。
人間で言うところの手の薬指だけを自由に動かしたいのに動かそうとすると釣られて小指が動いてしまい薬指が自由に動かない、そんなもどかしい感じだった。
成長すると動かせるようになるのだろうか。
竜で翼もあるのに飛べないとか格好悪いからいやなのだが……。
(まだまだ練習が必要か……)
翼については今日も進展はなかった。
気長にやるしかないようだ。
あとは竜といえばブレス! と思い、火を噴いたりできないものかと思って試してみたりもした。
大きく息を吸い込み、フーーっと吐き出すが吐息が出るだけで火が出てくる様子はない。
この世界の竜は火は噴けないのか……とちょっとションボリしてしまった。
そうそう。
身体の違いと言えば、寒さや暑さといったことが感じなくなっているのに気がついた。
いや、感じはするが気にならなくなったと言った方がいいかもしれない。
今は夏ごろのような日差しの強さだ。
ここに四季というものがあるのかもわからないので体感的に夏のような気がするというだけなのだが。
そんな日差しに黒い鱗がジリジリ晒され熱せられていても暑いことは暑いが気にはならなかった。
人間だったら直射日光と照り返しの暑さで熱中症になっていそうだ。
住処はくぼ地だし、風が吹き込まないので熱が篭っていたが体調が悪くなることは無かった。
そんなこんなで食べて動き回り、食べて寝るを繰り返す日々を送る中、ふと気付いた。
生まれてこのかた排泄をしていない。
生き物であれば食べれば出るのは自然の摂理。
しかし、排泄欲求はなかった。
一応肛門のようなものはついているようだったが……。
この体は一体どうなっているのか。食べたものは100%吸収されるのか?
いや、例え100%吸収されたとしても老廃物は発生するはずだ。
いくら考え、体を観察しても答えは見つからないので、とりあえずこの疑問は棚上げすることにした。
何か機会があれば調べてみよう。
(今日も外には出られそうもないかー)
澄み渡る空を見上げながら一人ごちる。
今の住処である岩場の外にはまだ出たことがない。
母竜の許可が出ないのだ。
何度も出てみようと壁をよじ登ろうと試みたが、最近は我慢するようにしている。
ここ数日で爪の硬さが増し、当初は力を入れるとグニっと曲がった爪も今はがっちり地面をつかみ体重も問題なく支えることができるようになった。
この巣はすり鉢状になったくぼ地なので、絶壁という程ではないがそれなりに切り立った壁で囲まれている。
岩肌はゴツゴツとしており十分爪がかかるし、仮にてっぺんから落下しても死ぬことはないだろう。
というのも母竜がいないときに一度登って、中腹あたりまでいったことがあった。
その時はそこで母竜が戻ってきてしまい、それに驚いて爪が外れ転げ落ちたのだが、驚いたことに殆ど痛みがなかった。
四階相当の高さがありそうな場所から落ちたのだが、どすんという衝撃と歩いていて物にぶつかった時のような痛みはあったもののけろりとしていた。
目は回ったが……。
それを見た母竜に、
「クロ坊にはまだ早い。時が来れば連れ出してやる」
と注意されてしまったので今は我慢することにしたのだ。
ちなみに、クロ坊とは自分のことである。
鱗の色が黒いからか、母竜からはクロと呼ばれている。
見た目そのまんまの名前になったようだ。
しかし、外への興味は尽きなかった。
地球とは違う世界。
何があり、何がいて、何ができるのだろうか。
今はまだ、このくぼ地の住処が世界の全てだった。
見上げれば空が見えているが、生まれてから一度も雨には降られていない。
というか雲ですらあまり見かけていない気がする。
昼は抜けるような青空、夜は今までに見た事がない星空や青白い大きな月を丸いくぼ地から見る事ができる。
大きな丸い窓から夜空を見ているようだった。
あまり詳しくはないが星座などがわかるかもと思い夜の度に星空を見上げてみたが、みっちりと敷き詰められた満天すぎる星のためよくわからなかった。
そんな夜を数度も過ごすと星座を探すのも諦め、ただ星を見上げて眠くなるのを待つようになった。
(お?)
夜空を思い出しながら空を眺めていると、風を切る音が聞こえてくる。
ここに居て何度も聞いた音。
母竜の翼が風を切る音だ。
やがて外出していた母竜が戻ってきて、母竜の傍でまた身体を動かして食事をし、そうして今日も一日が終わっていった。
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