第6話 黒猫がもたらす幸せ*高瀬直哉の場合 ②
「あー、頭痛い!!」
昨日、岩崎教頭への接待が終わったのは午前三時だった。
ほぼ寝ている教頭をタクシーに押し込むと隣に赤井課長も乗り込む。
「俺がこの人を送っていくから、お前はなんとかしろ。じゃあ、また来週な。お疲れ様。ありがとな」
「いえ、課長、ほんとお疲れ様でした。気を付けて」
接待で遅くなったとしても、自宅までのタクシー代は、経費として認められない。なので、俺は、たまたま見つけたネットカフェで朝まで時間を潰すと、始発電車で自宅アパートに戻った。
そして、玄関を開けるなり、そのままの姿でベットに倒れ込んだのだ。
ふと目が覚め、時計を見るともう午後一時だった。
折角の休日を無駄に使ってしまったなと後悔するものの、なかなか起き上がることが出来ない。
ただ、さすがにお腹が空いてきたこともあり、意を決して立ち上がった俺は、ヨレヨレのスーツを脱ぎ捨て、ラフなシャツに着替える。
洗面台でヒゲを剃り、歯を磨く。
鏡に映る自分を見て、なんだか急に老けてしまったような気持ちになった。とても二十五歳には見えない……。
ふとその時、昨日、キャバクラ・レディーゴーランドで出会った俺と同じ年のカナエという女性の事を思い出した。隠そうとしても、彼女から滲み出る自然で清楚な感じ、、、。なんで、彼女はあんな場違いな所にいるんだろう。
「会いたい……」
鏡を見つめながら呟いていた。
テレビを付けると今日の天気は快晴。気温は二十五度と言っている。どうやら散策日和だ。俺は、小さなショルダーバックを手に持つと昨夜の酒の匂いが残る部屋を飛び出した。
向かう先は、俺のアパートからすぐ近くの公園だ。この公園は、真ん中に少し大きめの池が有り、その周りを歩けるように木道が整備されている。都心から少し外れているだけだが、緑が多いこの公園を俺はとても気に入っていた。
公園に入ると、いつも見かけるキッチンカーが今日も来ていた。俺は、近づくと、車に貼ってあるメニューを眺める。
「いらっしゃいませー。丁度、コロッケが出来た所なんですよ。コロッケ弁当がお勧めです〜」
夫婦でやっているのだろうか?男性の方は、忙しくフライパンを振っている。中からは、とてもいい匂いが広がってきていた。
「じゃあ、それを一つお願いします」
俺は、コロッケ弁当を注文するとすぐ傍にあるベンチに腰掛け、ぼんやりと公園の方を眺めていた。
すると茂みの中から一匹の黒猫が突然飛び出してきた。その猫は体中が綺麗な黒毛で覆われていて、とても品がある姿だ。だが、首輪は付けていない。もしかして野良猫なのだろうか?
その黒猫と目があう。「えっ」と俺は小さな声を上げた。
とても綺麗な蒼色の瞳を持つこの黒猫が、俺にウインクをしたような気がしたのだ。そして、驚く俺のことなどお構いなしに、その黒猫は尻尾をリズム良く左右に揺らし、優雅に俺の前を横切って行った。
「お待たせしました〜!コロッケ弁当出来ましたよ」
キッチンカーの女性に呼ばれた俺は、「あっ、はい」と声を出し、その弁当を受け取ると、その弁当を早速いただくことにした。
それにしても綺麗な黒猫だったな〜などと思いながら、コロッケを口に運ぶ。
「う、、上手い!!」思わず声が漏れてしまった。
「わぁ〜、ありがとうございます!!」
キッチンカーの二人が俺の方を見てニコニコしている。
うん、今日は、いい日になりそうだ、、、。
余りの美味しさにあっという間に食べ終わった俺は、予定通り公園を散策しようと歩き始めた。
気がつけばもう九月も終わりなんだな。確かに少しずつ陽射しが柔らかくなって来ている。そんな事を思いながら池の周りを歩いて行くとどこからか声が聞こえてきた。
「ネコちゃんの譲渡会やってま〜す!!保護猫活動の為にどうぞ募金をお願いします!」
そういえば、この前、この公園のノラ猫達を保護しながら餌場を作ったり避妊させたり、そして家族として迎えてくれる人達への譲渡会をやっているグループのチラシがポストに入っていたな。
さっきの黒猫の蒼色の瞳が忘れられない俺は、誘われるようにそのグループの方へ歩いていった。すると、レジャーシートの上に六つのゲージが置かれ、その中で猫たちがのんびりと寝てたり、活発におもちゃで遊んだりしている。
俺は、一つ一つのゲージを眺めていく。ゲージの中には、真っ白な猫やキジトラ模様のやつだったり、鼻の周り以外がグレーの毛で覆われている子など生後間もない子猫から老猫までがいるようだ。
俺は、一番興味が沸いた真っ白な子猫の前に座ると、ゲージ越しに指を入れて遊ぼうとした。
「あっ、すいません。最初に手を消毒してもらってもいいですか?」
「あっ、ごめん」
係の女性に言われ、俺は両手を差し出す。
「この子、つい昨日の朝、ここで保護されたんです。どうやら捨てられたみたいで、紙袋の中に入ってたんですよ」
「そうなんだ〜。ほんと、悪い奴がいるねって、、」
「「えっーーーー?」」
俺らはお互いを指さし、素っ頓狂な声をだす。
「あら〜、
グループのおばさん達からは温かい声が掛かり、俺らはなんとも微妙な雰囲気になる。すると、彼女が俺のシャツを引っ張り、俺を少し離れた場所へ連れて行く。
「あの、高瀬さん、、。昨日の事は、内緒にしてください。お願いします」
彼女はそう言うとぺこりとお辞儀をする。
俺は、彼女が俺の名前を覚えていてくれた事に頬を緩ませながら、「ああ。言わないから安心して」と答える。
だが、彼女は、下を向いたまま硬い表情だ。
溜まらず、俺の方から声を掛ける。
「あー、、えっと、さっきの白い子猫、、可愛いね」
彼女の顔がぱっと明るくなった。
「そうでしょう?凄く私に懐いてくれていて、、。今日も朝から私にしがみついて大変だったんですよ」
彼女は、とても活き活きしていた。
昨夜見たカナエという女性とは全く違う。
「あの、、一つ聞いていいかな?君は、なんで、あそこで働いてるの?絶対に似合わないよ」
「うん。分かってる。そうだよね。私も一日やってみて、やっぱり自分では無理だと思ったから・・・。だから、もう、昨日退勤する際に辞めますと伝えてきたんです」
「あー、そうか〜。良かった・・・」
「えっ?どうして、高瀬さんが良かったって言うの?」
「あの、それは、その……」
俺はしどろもどろになる。
「あのさ、なんか理由があるんだろう?」
「えっ?」
「君みたいな、、えっと、、なんというか可愛いというか、清楚というか、、そういう子がお水の世界で働くのって、なにか理由があるのかなってね・・・」
俺は、顔を真っ赤にしながらも、湧き上がる疑問を抑えきれず聞いてしまう。
彼女は、しばらくの間、どう言おうかと考えていた様子だったが、俺の方へ身体を向けると漸く話だした。
「私、、、軽率だったのかな。察しの通り、単純にお金のためなんだけどね。実は、この公園のボランティアが有名になればなるほど、心ない人達による捨て猫が逆に増えてしまって、、、。結果的に私達のグループの運営資金が足りないの。でも、この子達に罪はないし、見殺しにもしたくなくて、、。だから、、」
彼女は、きっと猫たちを助ける為に、手っ取り早く稼げるキャバクラで働こうと思ったのだろう。
俺は、自分を犠牲にしてまでもこの小さな命を救おうとしている彼女にますます惹かれていった。
「ほんと、バカだな。カナエちゃんは」
「もう、カナエって言わないでくださいよ。それに、バカって。自分でも分かってますっ。もう!」
ちょっと拗ねた表情も可愛い……。
俺の鼓動はどんどん早くなる。
「で、これから、どうするんだい?」
「やっぱり、自分に似合わないことはやめて、寄付を募るなり、理解してくれる仲間を増やしていくなり、そう、もっとコツコツと自分らしくやって行きます」
「うん、それがいいよ。君なら出来るよ。きっと。じゃあ、俺も微力だけど応援しようかな」
「ほんとですか!うわぁー、ありがとう!」
彼女はやっぱりこうして笑っている方がいい。
今日は、ほんとに、何もかもが気持ち良い。とても幸せだ。
熟考の末、俺は、さっき見た白ネコを引き取りたいと申し出た。
保護した猫たちが一匹でも多く、家族として迎えられて欲しいと願うグループのみんなから、代わる代わるお礼を言われる。
これから手続きをして、明日の日曜日から、お試しが始まるとのことだ。
そして、俺の担当は、どうやらあの子、、佳由ちゃんがやってくれるみたいだ。
手続きの書類に書いた住所を見て、彼女はとても驚いている。
何でも、自分の家と凄く近いということみたいだ。
「カナ、、いや、佳由ちゃん。俺、いつかは猫を飼いたいとずっと思ってはいたんだけどさ、実際、初めてだから、ほら、どんなものが必要なのかとかわかんなくて」
「高瀬さん!!それなら私に任せてください!明日、ここから近くのペットショップでセールがありますから、そこで揃えましょうよ!」
「お、、おう。それじゃあ、よろしく」
よほどこの白い子猫の行き先が決まって嬉しかったのだろうか。彼女のテンションはかなり上がっている。そして、そんな彼女もとても可愛く思えた。
明日も彼女と会うことができるんだ。嬉しい……。
俺は、素直にこの幸運に感謝をしていた。
帰り際、彼女が、少し恥じらいながら俺の方へスマホを向けてきた。
「あの、、高瀬さん。連絡先とか交換してもらってもいいですか?」
「う、うん。こうすればいいんだっけ?」
俺と彼女は、互いのスマホを近づけていく。
「そして、もう一つお願いがあるんです」
「ん?なに?」
「あの、、高瀬さんがよければ、、私、この子を時々見に行ってもいいですか?」
顔を真っ赤にしている彼女につられ、俺まで顔が真っ赤になってしまう。
俺は、「いつでもいいに決まってるだろ。だって、君はこの子の親だもんな。だから、君が好きな時に来ていいからさ」と声をかける。
「ありがとう!!」
彼女は、これまでで最高の笑顔を俺に向けてくれた。
その時、、、俺と彼女の前にまた、あの黒猫が現れた。蒼色の目を持つ綺麗な黒猫を見て、彼女もはっと息を飲むのが分かる。
そんな俺らのことは露知らず、その黒猫は尻尾をリズム良く左右に揺らし、優雅に俺たちの前を横切って行った。
終わり(高瀬直哉の場合)
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