第5話 黒猫がもたらす幸せ*高瀬直哉の場合 ①
「ほら、高瀬!教頭先生のグラスが空いてるじゃないか?早くお注ぎしなさい」
「あっ、、申し訳ありません。教頭先生、どうぞ〜」
「お〜、悪いね〜〜。しかし、このワイン、美味しいね〜〜。君たちも飲めばいいのにさ〜」
俺、
銀座のバーで接待するのは、今日で二度目だ。一本、三万もする白ワインが面白いように空いていく。
「きっと美味しいんだろうな……」
俺は心の中で呟く。
接待する俺らは、勿論こんな高いワインを一口も飲んでない。飲んでるのは、このバーのメニューで一番安い瓶ビール。しかも、一本を俺と赤井課長でちょびちょびと飲んでいるという訳だ。
コロナ不景気の折り、うちの会社もその影響をもろに受け業績は最悪だ。なので、経費は大幅にカットされ、俺らが使える販促費や接待費は対前年の半分以下の予算しかない。だが、今日は、河戸第九小学校をはじめとする広大なエリアにある学校への端末機導入権限を持つ、この岩崎という教頭を豪華接待しているところだ。
「そうだね〜。君たちの会社もなかなか頑張ってるんだが、ほら外資系のアカネス社はさあ〜、生徒一人あたりの端末を一万二千円でいいと言ってきているんだよね。しかも、三年間の保証やアプリのカスタマーサポート付きだよ。お宅は確か一台、一万五千円だったじゃない?流石の私も一台あたり三千円も差があるともうどうしようもないんだよ〜。全部で千台くらいになるからさ〜。ほら、端末だけで三百万もの差がでちゃうと流石に僕でも無理だよ〜」
教頭先生は、へべれけになりながらも、我々にしっかりと金額を突いてくる。
すると、赤井課長が小声で俺に耳打ちしてきた。
「おい、高瀬、次行くぞ、次!!次で落とすからな。ほら、お前、さくっと精算してこい」
「あ、はい。分かりました。じゃあ、ちょっと行ってきます」
俺は、力無く椅子を立ち上がると、レジへ精算札を持っていく。
歩きながら腕時計を見るともう午後十一時を過ぎていた。
はぁ、今日は一体、何時まで掛かるんだろう……。
いい加減にして欲しいものだ。だいたい、飲ませるだけで、見積もり金額の差を埋めることなんて果たして出来るのだろうか?
この春、この会社に入社した俺は、二ヶ月の研修の後、営業部に配属された。まだ担当は持たせて貰っていないが、こうして俺の教育係の赤井課長とタッグを組んで、実績作りに励んでいるというところだ。しかし、実際、営業部に配属されてからまだ三ヶ月しか経ってないからか、社会人のこういう常識では図れないことにいつまでも慣れないでいた。
「毎度ありがとうございます。二十三万六千円となります。領収書の宛名はなんとお書きしますか?」
「あ、、そう。支払はカードで。宛名?上でいいですよ。上で。あと、但し書きは、お食事代と書いといてください」
たった数時間飲んだだけで、俺の月収より高い金額が消えて行く。
ほんとに理不尽この上ない。くそっ!!!なんだか無性にムカつく。
「高瀬、次は楽しい所に行くからな。お前も折角だから楽しめ。金は俺が何とかするから」
ちょっとムカついている俺に気づいたのか、赤井課長は俺に優しく呟く。そして、接待のターゲットであるこのクソ教頭に甘い言葉で囁いた。
「教頭先生〜〜!!行きますよ〜!次は、可愛い子が沢山いる所ですからね〜。ほら、大丈夫ですか?ワイン、飲み過ぎですってば〜。美味しかったですよね〜、あのワイン。そうそう、折角ですから今日は、仕事を忘れて僕らと楽しみましょうよ!」
既に千鳥足状態の教頭先生は、赤井課長の口車にまんまと乗せられ、素直に付いてきている。
今から向かうのは、どうやらあのキャバクラのようだ。俺も、今日と同じような接待の際、一度だけ行ったことがある。そこは赤井課長の行きつけの店で、頭のいいママが色々と赤井課長を助けてくれるようだ。だから、赤井課長は最終的にターゲットを落とす際、いつもこのキャバクラを使っている様だった。
横断歩道を三人でもつれるようにして渡っていく。
正確に言えば、赤井課長と俺が教頭先生の両肩を抱えていると言うことなのだが・・・。
およそ十分ほど歩いただろうか?銀座とは言えないエリアにやってきた俺らは、狭い路地を左に曲がり、薄汚れた雑居ビルの小さなエレベーターへ窮屈に収まる。
赤井課長が七階のボタンを押すと、ガタッと鈍い音を立て、そのエレベーターは動き出した。
「チン−」
安っぽい音がエレベーターの密室に響く。俺らは、順番にエレベーターを降りると、右側にある見た目豪華そうなドアを開ける。
すると、また、「チリーン」と安っぽい音が響いた。
ここは、キャバクラ・レディーゴーランド。見た目は安っぽい作りだが、これでも、この辺りじゃまだ頑張っている方なんだぜと前に赤井課長が教えてくれたっけ。
「あら〜、赤井ちゃん。ご無沙汰〜〜!もう、本当に薄情なんだから〜」とママが俺らのカバンを奪い取っていく。
「いや、ママ。ごめんごめん。今日は、凄く大事なお客様を連れてきたんだよ。岩崎さんと言って、すごいお偉いさんなんだ。よろしく頼むね」
「もう、赤井ちゃんの頼みなら、最高の女の子をつけるわ〜。岩崎さん、どうぞよろしくね〜〜。今日はゆっくりと楽しんでいってください〜」
ママの言葉を聞きながらも大きく開いた胸元を見つめる教頭先生はいやらしい笑みを浮かべている。
確か、、つい先週も課長はここで成約決めたと言っていたが、、、。きっと、大事なお客様だからここに来たというアピールを早速したのだろう。それにママも併せたということか……。
凄いわ、、。ほんとに、大人の世界って怖すぎる。
俺は、そんなことを思いながら、赤井課長の腹黒い営業活動をまざまざと見せつけられていた。
「あの、おしぼり、、どうぞ……」
不意に俺の前におしぼりが差し出された。
するといつの間にか俺の左横に、女の子が座っていた。
「あ、、ありがとう」
よく見ると、彼女は、ここに務めている女性達と違い随分と化粧が薄い。だが、その顔の作りはとても整っており、とても可愛い感じだ。しかも、こんな場所なのに清楚という表現がぴったりな気がするのが不思議だ。彼女が着ている胸元が開いたドレスには、大きなショールが添えられおり、その胸元をきっちりとガードしている。
俺は、ちょっと、、いや、かなりがっかりしてしまう、、変な気分になっていた。
「私、今日からここでお世話になっているカナエと言います。よろしくお願いします」
「あ、、俺は高瀬っていいます。今日は、ほらそこの赤井課長と接待で来ているんですよ。だから、俺の横はいいですよ。課長に怒られてしまうから」
何故だか無性にこのカナエという女性ともっと話をしてみたいと思ったものの、赤井課長を手伝わず、自分一人が店の女の子と楽しむことは出来ない。
すると、彼女は、俺の耳に唇を寄せ、小さく呟いた。
「赤井さんからの伝言です。今日は、俺が落とすから、お前は俺の邪魔をせずゆっくり飲んでろということみたいですよ」
俺は、慌てて赤井課長の方に視線を向ける。
すると、赤井課長は、俺にウインクをしてきた。どうやら、この子が言うことは本当らしい。まあ、確かに俺が変な相づちをするよりも百戦錬磨の赤井課長一人の方が即成約に持ち込むには都合がいいのだろう。ならば、ここでは気兼ねなく俺も楽しむとしよう。
吹っ切れた俺は、彼女にもハイボールをご馳走して、二人で乾杯した。
さっきのバーでは、手を付けることが出来ずに温もったまずいビールを飲んでいただけに、冷えたハイボールはとても上手い。俺は一気に半分以上を飲み干していた。
だが、彼女は、一口飲んだだけで、グラスをテーブルに置く。普通なら、キャバクラに勤める女性達は酒に強く、どんどん男に飲ませて、自分達も高い酒を飲んで稼いでいくというのがお水の常識なのではないか?
俺は、俄然このカナエという女の子の事に興味が沸いた。
「あのさ、カナエちゃん、出身は何処なの?」
「えっと、、、北の方です」
「いや、、北っていわれても、、、東京都の北の方なのか、日本の北の方なのかも全く分からないよ」
俺は、苦笑していた。
「あっ、ごめんなさい。私、まだこういうのに慣れて無くって、、。えっと、日本の北の方です」
「あっ、そうなんだ。北海道?」
「えっと、あ、、、はい。そうです」
「あー、いい所だよね。いいな、、。俺、大好きなんだよ。休みを使って年に三、四回は行くよ」
「そうなんですか。ありがとうございます。なんだか、自分が褒められたみたいに嬉しいです」
彼女は、さっき口に含んだたった少しのハイボールで顔が真っ赤になってきているようだった。
「でさ、年は?いくつなの?」
「えっと、、、本当の年を言えばいいですか?」
「ん!? それって、店用の年とかあんの?はははは。折角だから両方教えてよ」
「実は、店では十九となっていますが、実際は二十五なんです」
「あー、、俺と同じじゃん。そうなんだ。ていうか、、、店では六歳もさば読むの?別に二十歳を切らなくてもいいのにね」
「あっ、、これママにバレると怒られるから内緒にしててくださいね」
カナエは、そういうとペコリと頭を下げた。
そして、はっと気づいたカナエは、ほぼ空になった俺のグラスを引き寄せ、「同じものでいいですか?」と俺に聞いてきた。
「うん、よろしく」と俺がいうと、ぎこちない手で、ウィスキー、氷、炭酸水をグラスに入れて行く。だが、その手つきがとにかく心許ない。慣れてないんだろうなと見ている俺の方がハラハラしてしまう。
なんだか、とっても可愛いな……。もっと彼女と話をしたい、、。
ん?これって、もしかして、彼女の、いや、このキャバクラの作戦なのだろうか?
素人丸出しの仕草に俺は、正直心を鷲づかみされていた。
「おい!高瀬ー!」
しばらく、教頭先生とあれやこれやと話していた赤井課長が、突然俺に声を掛けてきた。
「やはり、教頭先生は流石だ。先生は、うちの機材を選んでくださるそうだ!安さよりも品質と信頼、それを最優先させると言ってくださった。ほら、皆んなで乾杯するぞ!」
俺は後ろ髪を引かれながらも課長の方へ身体を向け、グラスを持ち上げる。
「岩崎教頭先生!!この度は、ありがとうございます!それでは、私達のこれからを祝して乾杯しましょう。それでは、乾杯!!」
赤井さん達に付いていた女の子二人もグラスを高々と上げ、中身を一気に飲み干すと、「おめでとうございますー」と拍手をした。
そして、それからも赤井課長の必死の押しは続いた。そして、なんと、この場で、発注書にサインをしてもらうことに成功したのだ。
俺は、驚きと共に営業マンとしての赤井課長の実力を改めて知ることになった。
その後、しばらく端末導入後のことや世間話を三人でしていた俺は、はっと振り返り、店内隅々までカナエを探したのだが、彼女の姿はもう何処にも無かった。
後から赤井さんの横に座ってきたミキという小柄な女性にさりげなく聞いてみると、カナエは十二時までの勤務で、どうやら最終電車で帰るらしい。また、今日から二週間は、まだ研修期間ということで、研修期間後も続けるかどうかは本人次第じゃないかなという答えだった。
彼女は、なぜこんな場所にいるのだろう。
清楚でとても可愛いくて、お酒に慣れてないのにキャバクラに勤める北海道出身のカナエ。
もう一度会いたい、、、と思った。
もしかして、俺は、一目惚れをしてしまったのではないだろうか?
でも、もう二度と会えないかもしれないと考えると心の奥がズキッと痛んだ。
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