第2話 黒猫がもたらす幸せ*武里 佑の場合 ②

 次の日、なんと僕は寝坊をしてしまった。

 勿論、寝坊なんて初めてだ。


 これまでの三年間、僕は無遅刻を貫いてきた。暑い日も寒い日も必ず点呼がされるホームルームの十分前には、教室に入っていた。

 共働きの両親は、とっくに出かけている。だから、毎日、自分自身で起きるようにしていたのに……。

 なのに、今日に限って、僕は、スマホでセットしていたタイマーを二度も止めて爆睡してしまったようだ。

 はっと気づいた時には、スマホの時計は七時三十分を表示していた。いつもなら、その時間には、自転車に乗って学校近くのコンビニを通り過ぎているくらいの時間だ。


「くっそー、、よりによって。一時限目は古文の小テストなのに!!」


 恥ずかしながら、半分泣きそうな声を出してしまった。


 母さんには申し訳無いが、テーブルに準備してくれていた朝食には手を付けず、寝癖の付いた髪もそのままで、ジャケットを片手に取ると勢いよくドアを閉める。

 

 エレベータのスイッチを何度も押す。しかし、地下一階のランプは、煌々とついたままで全く動く気配がない。

 しょうがなく、僕は、エレベーター横の階段を猛ダッシュで降りる。だが、エレベーターで降りるより間違いなく時間が掛かってしまった。結果的に、ここでも数分ロスっている。果たして、間に合うのだろうか!?

 いや、絶対に間に合わせないと!!僕は、慌てて自分の自転車のチェーンロックを外すと、力一杯ペダルを漕ぎ出した。



 季節は秋になり、朝夕はめっきり涼しくなって来た。

 明日からは手袋がいるかもしれない。

 

 また今年も、学校の裏手に有る銀杏の葉っぱが、まっ黄色に染まっていくのだろうな。そして、あっという間に冬になり、年が変わればすぐ大学受験が待っている。卒業したら彼女とは二度と会えないんだろうな……。

 明るい未来を考えたいのに現実が重しのように僕の思考を鈍らせる。


 あー、考えるのが嫌になった。

 今は、まずは遅刻しないように急がないと。


 僕は、一心不乱にペダルを漕いでいく。


 学校まで丁度半分くらいの距離に来た時、右手の路地から両手に荷物を持ち、懸命に走ってくる女子生徒の姿が目に入った。

 

「あっ!!! 武里くん!!!!」

「え、、、ま、、真木田さん、、、」


 僕は、急ブレーキで自転車を止める。駆け寄ってくる女子生徒は、僕がずっと憧れているあの真木田柚子まきたゆずこだった。


 同じクラスだとはいえ、彼女が僕の名前を知ってるなんて、本当に驚きだ。

 彼女は、肩で息をしながら僕に近づいてくる。


「武里くんも、、もしかして寝坊?」

「う、、うん。タイマー二度もスルーしちゃってたみたい」

「そうなんだ。実は、私も、、、えへっ」


 やっちゃった……という仕草が溜まらなく可愛い。

 遠い存在の彼女と話をする自分の姿を何度夢見たことだろう。

 でも、本物の彼女は夢でみた以上に可愛い笑顔を僕に見せてくれていた。


「あの、もし武里くんさえ良かったら、自転車に乗せてもらってもいい?」

「えっ!?勿論、いいけど、、。真木田さん、大丈夫?その、、彼氏に怒られたりしない?」

「あー!!私、ずっといないから。だからね、あの、、、大丈夫なんだ……」

「そうか、、じゃあ、僕の自転車で良ければ、どうぞ、、、」


 そう言っている間に、彼女は僕の自転車のカゴに自分の荷物を入れると自転車の後ろに座る。そして、遠慮しながらも僕のジャケットを掴む。


「ごめんね。ありがとう」

「じゃあ、行くよ。飛ばさないと間に合わないからスピードだすよ」

「うん。大丈夫!頑張って!」


 信じられない……。

 約三年間、ずっと憧れていた彼女が僕と一緒に自転車に乗っているなんて。


 僕らと同じようにぎりぎりで学校に向かっている生徒達を勢いよく追い越すと、「えっー!!!」という声や、「なんでー?」という声がいくつも聞こえてきた。

 だけど、そんな声は気にせず僕は、無我夢中でペダルを漕ぐ。


 この時間がもっともっと続けばいいのに……。

 

 コンビニを曲がると学校が見えてきた。なんとかぎりぎり間に合うかも知れない。僕は、さらに力を振り絞りペダルを漕ぐ。

 スピードが上がると、振り落とされないようにする為か、彼女の両手は僕の背中に添えられる。

 僕の顔は、自然と真っ赤になり熱くなっていく。そしていつのまにか僕の心までがぽかぽかと温かくなっていった。


 学校の門をくぐる際、生活指導担当の青木先生から「こらっ、二人乗りは禁止だぞ」と注意をされたが、「「すいませーん」」とそのまま通り過ぎる。

 僕らはどちらともなく互いの顔を合わせると「ははは」と笑った。


 そして、夢の様な時間は終わりを告げる。

 僕らは、ホームルームが始まる約三分前に駐輪場に到着した。


「ふぅ、何とか間に合った。良かったね!」


 自転車を止めて降りようとした時、彼女は僕のジャケットの裾を掴んだまま、小さい声で呟いた。


「あの、ありがとう。凄く助かったよ……」


 彼女は、何故か顔が真っ赤になっている。


「武里くん、、あの、、もし、良かったら、えっと、、連絡先とか、、教えてもらってもいい?私、武里くんの写真のファンなんだ。ずっとね」


 今度は、僕の顔が真っ赤になっていく……。


 その時、僕らの前に一匹の黒猫が現れ、僕にウインクをしたような気がした。

 黒猫の蒼色の瞳は、僕らを見つめながら、そして、尻尾を左右にリズム良く振りつつ優雅な足取りで、僕らをゆっくりと横切って行った。



終わり(武里 佑の場合)

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