僕の前を黒猫が通ると幸せが一つ起きるみたい……。
かずみやゆうき
第1話 黒猫がもたらす幸せ*武里 佑の場合 ①
僕は、今日も学校から帰宅するとすぐに机に向かい、過去問攻略本を片手に勉強を頑張っている
高校生になって始めたクラブ活動がまさか自分の大学進学まで影響を及ぼすとは思っていなかった。
正直、勉強は嫌いではないが、集中するまでかなり時間を要するのが僕の欠点だ。しかし、十一月になり、周りの雰囲気がピリピリしてくると、流石にエンジンの掛かりが遅い僕でも真剣に取り組まねばならないと思っていた。
僕の名前は、
都立調布丘南高校の三年生。
机に向かって約一時間は集中出来ただろうか。
来週行われる全国模試では、志望校であるT大の写真学科でなんとかB判定は取りたいと思っていた。
僕は、部屋を出ると珈琲を飲むためにキッチンでお湯を沸かす。しばらくするとポットから水蒸気が上がる音が聞こえて来た。シュッーと上がっていく水蒸気を見ていると、ふと今日の学校のことを思い出す。
それは、昼休みの出来事だった。
男子と女子の数人が自分の好きな飲み物について話をしていた。
珈琲を飲むならブラックに限るだとか、温めた牛乳を珈琲と同時に入れるカフェオレが好きだとか、紅茶はアッサムに限るなど、皆それぞれだ。
たまたま近くにいた僕は、皆が話している内容に聞き耳を立てつつ、自分はどれが好きだろう!?なんて思っていた。
それにしても、角砂糖を三個入れないと珈琲は飲めないって、真木田さん、、、可愛いすぎる……。
僕は、肩まで伸びる黒髪の女子生徒にチラリと視線を向ける。
実は、僕は、この
入学式の受付時にたまたま隣にいた彼女に一目惚れをしてからというものの、僕は、学校ですれ違う度に彼女の姿を目で追っていた。
ただ、僕はと言えば、容姿も運動神経も超普通。だから、そんな僕が彼女に声を掛ける事なんて出来るはずも無かった。
それでも、三年になって彼女と初めて同じクラスになった時は、高校最後の年に同じクラスになれたのは、きっと何かの運命だなんて勝手に思ったりしたが、そうは問屋が卸さなかった。
学校でも有名な彼女と全く目立たない僕がどうにかなるなんてあり得ないのだ。
それは、同じクラスになって八ヶ月が経っても僕に都合が良い事など何一つ起きてないことを見ても明らかだった。
いや、、ただ一つの出来事を除いては……。
それは先月行われた今年の文化祭での出来事だった。
僕のクラスの催しは、投票の末、女子達の仮装がメインのメイド喫茶に決まった。メニュー作りや装飾、そして食材調達や広告宣伝など、役割を決めて全員が一つになって頑張った甲斐もあり、文化祭が始まる前から僕らのクラスのメイド喫茶は、かなり話題になっていた。
文化祭が始まってからは、メイドに扮する女の子のレベルが高いとさらに評判になり、期間中毎日多くの客が訪れたのだ。
その中でも特に、真木田さんのメイド姿は最高に可愛く、学校中の男子が彼女を見に来ていたような気がした。
裏方担当の僕も、シフトに入った際は、得意な料理の腕を活かしてオムライスやナポリタンなどを懸命に作って売上げに貢献した。その結果、僕らのクラスは、文化祭の売上げにおいて、過去最高記録を塗り替える快挙を達成したのだ。
それくらい超多忙であったはずの彼女が、文化祭の最終日、僕が在籍する写真部の展示会に突然訪れたのだった。たまたま、展示会の会場である教室にいた僕は心臓が飛び出るくらい驚き、ただ立ち尽くしていた。
メイド服にカーディガンを羽織っただけの彼女は、それでも一際目立つオーラーを醸し出している。
入口でパンフレットを受け取った彼女は、展示している一枚一枚の作品を丁寧に鑑賞していく。時には、パンフレットと写真を交互に眺め、凄いっーと呟くなどとても楽しそうだった。
すると、ある一枚の写真の前で足を止めた。そして、長い時間、瞬きもせず見入ったのだった。
その写真は、去年三月の終わりに突然降った名残雪を浴びながらも凛として咲き誇る桜の情景を写したもので、今回出展した数枚の中では一番の自信作だった。
そう、その写真の作者は、僕だったのだ。
彼女が僕の写真を見てくれている……。
僕は彼女の横顔を見つめてしまう。
本当に、なんて可愛いのだろう。
彼女を見ているだけで、僕はとても幸せな気持ちになっていた。
すると僕の胸の鼓動がドクンドクンと凄いスピードで動き出し、静かな空間に広がっていくような気がした。そして、その音は、焦れば焦るほど更にギヤを上げていく。
このままだと、彼女に聞こえてしまうかも知れない……。
焦った僕は、彼女の背後を通り抜け、教室の入り口から廊下に出る。そして、持ち出したコーラーの蓋を捻るとグッと喉に流し込んだ。
あー、、、また、思い出してしまった。
「もうーーーー、ほんと自己嫌悪に陥るなー」と独り言を呟く。
あの時、この写真を撮ったのは僕で、こういう事を考えながら撮ったんだよ、なんて話しかければ良かったのに。
もしも、その一言が言えていれば、彼女と仲良くなれた可能性が、ほんの少しはあったかもしれないのに。
結局、臆病な僕は、自分でその可能性を消してしまったのだ。
僕と彼女との接点は、それ以外はなにも無かった。
だから、あの時の彼女の横顔をこうしていつも思い出してしまうのだろう。
「母さん、ちょっとコンビニ行ってくるわ」
「何!? 買う物なんてないでしょう?まさか、煙草を吸ってくるんじゃないでしょうね!」
仕事を終え、帰宅した母に言うといつものような返事が返ってきた。
「だから、もう、その話はやめてくれよ。春に一度吸っただけで、母さんに見つかってからは一本も吸ってないからさ。もう!」
「そうなの?嘘ついても私はすごく鼻がきくからすぐ分かるんだからね」
折角、彼女と同じクラスになったのに、彼女と僕では余りにもレベルが違いすぎることが余計にわかってしまい、精神的にかなり落ち込んだ時期があった。
煙草はその頃に一本吸っただけで、あまりにも苦くてまずいことにビックリして、残りはゴミ箱に捨てたのだが、母はことある毎にこの話題を持ち出してくるから嫌になる。
「だ・か・ら!!!違うってば!!肉まんを買いにいくだけだよ」
僕は、長袖のシャツにパーカーを羽織り、スニーカーを履くと、ちょっとムスッとした声で、「行ってきまーす」とわざと大声を発し、玄関のドアを閉めた。
エレベーターに向かって歩いていく。もう外は、夕暮れ時の淡いオレンジ色に染まっていた。
すると、マンションの下の方から、「ニャーン」と猫の声が聞こえた。
捨て猫なのだろうか?それともノラ猫?この辺りの家は、飼い猫を外に出してないと思うけど。
僕は、エレベーターに乗り込むと一階のボタンを押す。
動き出したエレベーターからは、新宿都心のビルが少しずつ見えなくなっていった。
一階の自動ドアをくぐり外に出た僕は、さっき猫の声が聞こえた方へ歩き出した。
もう、いないかな・・・。
捨て猫だったらこれから寒くなるし、ここらは車も多いし危ないし……。
何故か無性に気になり猫を探す。
その時だった、
僕の前に一匹の黒猫が急に現れた。
そして、僕の前を横切っていく。
なんと軽やかな足取りなんだろう。
首輪はしていないから野良なのだろうか?
それにしても、美形だ。綺麗な毛並み、そしてなんと言っても小顔が愛らしい。しかも、よく見ると、ちらっと僕の方を見ているではなかいか。
僕は、黒い顔から覗く二つの瞳に吸い寄せられた。
なんとその瞳は綺麗な蒼色だったのだ。
今まで、こんな瞳の色は見たことがない。
普通、黒猫といえば体は黒く、目は黄色というのが相場なんだけど……。
そう思っているうちに黒猫は尻尾をリズム良く左右に振りながら優雅に歩いて消えていった。
黒猫が横切るとなにか不吉なことが起きるって昔、誰かに聞いたような気がするが、それって本当だろうか?
明日は、僕の嫌いな古文の小テストがある。まさか、テストの結果が散々なものになるとか?
そんなことを考えながら僕は、コンビニへと向かった。
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