第545話 真の力

 雹菜はくなに身体強化の陣術をかけてからは、早かった。

 何がかというと、戦いの展開が、だな。

 雹菜の細剣が、《蟲族》の男を純粋な腕力で押していく。


「ぬっ……バカな! 急に力が……」


「貴方は随分と膨れ上がった筋肉だけど、その割には大したことないわね? これで決着かしら」


 煽っているのは、その方が冷静さを失うだろうという判断からだろうな。

 元が悪口を言うタイプではないので、そこまで罵詈雑言を言えない雹菜だが、いやみっぽい口調はたまにうまい。

 事実、《蟲族》の男は、


「貴様……いいだろう、俺の本気を見せてやるぞぉぉぉ!!」


 そう叫び、魔力ではない力が男の内部で爆発するような感覚がした。

 周囲の空気を揺らし、圧力が生まれる。

 すると《蟲族》の男の体がさらに膨れ上がるように巨大化した。

 そして……。


「……まんまカブトムシだな」


 俺は思わずそう呟いた。

 五メートルほどの大きさのカブトムシが、そこにはいたからだ。

 先程まで俺たちが倒していた《虫の魔物》たちよりも二回り、三回りも大きい。

 大きいということはそれ自体が力であるから、やはりその強力さも《虫の魔物》とは大きく異なるのではないだろうか。

 実際、《蟲族》の男が変容したカブトムシは、その角を振り上げると地面に思い切り叩きつける。

 すると、バリバリバリ!という音を立てて、地面が割れるように雹菜に衝撃が向かう。

 命中すれば危険そうなのは言わずもがなであるから、雹菜はそれを回避するが、彼女の背後にあった幹の太い樹木に命中した。

 すると樹木はその中心から引き裂かれるように二つに割れ、倒れていく。


『見たか! 我の力を!』


 先程までとは違い、くぐもったような、機械音声のような声でそう叫ぶ《蟲族》の男。

 あの姿になっても一応、普通に話せるんだな、と妙な感慨が湧く。

 

「確かになかなかの力だとは思うけど……油断しすぎね」


 そう言ったのは、カブトムシの頭上にまで飛び上がっている、雹菜だった。

 《蟲族》の男はすぐにその位置には気づけず、数瞬の間、辺りを探して目をぎょろつかせた。

 しかし、時すでに遅しとはこういうことだ。

 雹菜の細剣は、そのままカブトムシの頭部……ツノの部分に命中し、そして切り落としてしまった。


『ぐぎゃあああ!!!」


 と悲鳴をあげる《蟲族》の男。

 角を切り落とされる、とはどういう気分なのだろうか。

 俺もまた、角を持っている状態なので少し気になった。

 もちろん気分のいいものではなさそうなのはすぐに分かったが、では具体的にどういう苦痛が、というと簡単にはイメージできない。

 

「さぁ、もう観念……えっ?」


 細剣を突きつけて、そのまま攻撃を加えようとした雹菜。

 しかし、そこで急に謎の煙幕のようなものがその場に展開される。

 少しだけ吸ってしまったが、喉が痛くなったところから、何らかの毒だろうか?

 すぐに解毒ポーションを飲んだ。

 雹菜も同様にしている……その上で煙幕から距離をとって、それが晴れるのを待つ。

 煙が晴れると……。


「あぁ、やっぱりね」


 雹菜がそう呟いた。

 その理由は簡単で、煙幕が晴れた時、その場にいるはずのカブトムシが消えて無くなっていたからだ。

 切り落としたはずの角もない。


「逃げられたか」


 俺がそう言うと、


「そうね、残念ながら。追撃する気だったけど、他の気配がわずかにしたのよね」


「あの煙幕は……」


「その誰かの、じゃないかしら。魔力がほとんど感じられないから、気配察知がうまく働かないわ。別の方法で気配を見るべきね……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る