第413話 翻訳士
「……へぇ、じゃあ実際に会うのは今日が初めてなんですね」
山を登りつつ、俺が黒田さんに尋ねると彼女は頷いた。
「そうなんですよ。雹菜さんとはリモートで話しただけで……」
雹菜が《翻訳士》として以来した黒田さんだったが、実際には会わずの契約だったらしい。
それで本当に能力に問題はないのか、と一瞬思ってしまったが、雹菜が言う。
「元々、《翻訳士》の能力を冒険者でなく、翻訳家として活用してるのが黒田さんでね。その世界では結構有名な人なのよ。今回の依頼もまさか受けてもらえると思ってなかったんだけど……」
「そんなに有名ってほどでは。なんとか食べていける程度ですよ」
謙遜しているが、それはつまりプロの翻訳家だ。
翻訳の仕事というのは一般的にイメージされるより遙かに大変だと聞く。
それでいて買い叩かれやすいとも。
そんな中でも結果を出している人なのであれば、間違いなく信用は出来るだろう。
そもそも職業の《翻訳士》というのは言うほど便利なものじゃないらしいんだよな。
確かに外国語を覚えやすくなると言うのは事実だが、細かいニュアンスとかそういうものに関する感覚はその人のセンスそのままらしい。
つまり、直訳が即座に分かるようになる、というくらいで、しっかり話せるようになるためには努力が必要という微妙な職業なのだ。
だから取る人がそもそも少ない。
少なくとも今まではそうだった。
けれど《ゴブリン語》が現れてしまったので、世の中の流れも変わるかもしれない。
《ゴブリン語》なんて、それこそスキルでもなければ理解できるようになるとは思えないしな……。
ゴブリンの協力を得ながら、辞書でも作れば違うのかもしれないが、そんなのどれくらいの年月がかかるか分かったものではない。
AIとか使えば昔よりは早く済むのかもしれないが……。
スキルを得ればすぐにある程度理解できるようになるなら、まずそっちだとなるのが人間というものだ。
「それにしても、身体能力もかなりのものですね。《翻訳士》はステータス上がりにくいって聞きますけど……その格好で余裕そうなのは正直驚きです」
「好きで着てますからね。慣れてるんですよ~。流石に山登りには向いてないって分かってるんですけど、好きなもの着た方が上がりますし……後は意外と実用的なんです」
「実用的……?」
「見ててくださいね……」
そう言って黒田さんは閉じていた傘を開き、前方に向ける。
そして、
「……七百メートル先に、鹿が三匹いますね。親子かなぁ……」
などと言い出した。
「もしかしてそれって、魔道具ですか……?」
言いながら、改めて観察してみると、魔力が流れている。
服も同様だ。
こんなデザインの魔道具が存在しているのか。
「そうなんです。こういうのを売り出してる職人さんがいて……」
「……世の中知らないことが沢山あることを知れました……」
「いえいえ」
驚いている俺に、雹菜が、
「黒田さんの魔道具があれば、索敵というか、捜索も割と楽に進みそうだなっていうのもあってね。私たちも出来るけど、距離はそこまで広くないでしょ。黒田さんは大体直線なら一キロくらいまでいけるらしいわ」
「一キロ!」
「まっすぐだけですけどね」
「いや十分凄いですよ」
「今日は早めに帰れるかもしれないわね。場合によっては泊まり込みの必要も考えてたけど」
雹菜が呟いていると、
「あれっ、ちょっと変な反応が。ゴブリンかも?」
と黒田さんが口にする。
「どっちですか!?」
「こっちです」
そして俺たちはその方向に走り出す。
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