第389話 我慢と駆け引き

「はぁ、トイレトイレっと……」


 試合が終わった直後、俺は慌てて会場を出て、学校内最寄りのトイレへと急いでいた。

 雹菜があまりにも《氷術》を多用するために、闘技場結界内部の空気が冷えすぎて、どうしようもないくらいにトイレが近くなってしまったためだ。

 寒いと何で人はトイレに行きたくなるのだろう……?

 排泄に関しては人が冒険者としての適性を得手なお、解決の難しい問題だ。

 

 ただ、一応それ系統のスキルというのもあるらしいが、取得条件が大変厳しいことで知られている。

 めっちゃ我慢するとか、死ぬ気で耐えるみたいなのが多いんだよな……。

 別に物理攻撃とか術スキルとか耐えろ、というのだったらいくらつらくて苦しくても耐えてやるよ!と思うのだが、トイレ行くの我慢しろはいくら便利になると言われてもやる気になれない。

 何世代か前の冒険者達は身につけていたらしいが……今みたいに、迷宮の地図を作って最短ルートを勧めたり、また迷宮内でのサバイバル道具の開発が盛んではなかったからな。

 必然的に身につけざるを得なかった、というのが正直なところだろう。


 ともあれ、俺にはそんな必要も、つもりもなかったので、普通にトイレに向かっていたのだが、そんな俺の前に、急に立ち塞がる陰が現れる。


「……あの! すみません!」


 勇ましくそう名乗ったのは……あぁ。


「……君は、あれだ。大和君だな」


 さっき闘技場で戦った、生徒である、志賀大和君だった。

 どうにも、何か覚悟が決まったような表情をして、こちらを見つめている。

 しかし、それにまともに相対するような精神を、今の俺はしていなかった。

 トイレ行きたいんが、こっちは。

 ちょっとどいてくれないか……。

 そう思ったものの、一応、臨時講師を務めている関係で、いきなり彼にそんなことを言えるような雰囲気でもなかった。

 だから彼の言葉を待つ。

 まだ余裕もあったことだし。

 すると、彼は言った。


「覚えててくださったんですね!」


「まぁ、そりゃな……で?」


「え? あ、あの……お話をしたくて」


「そうか。分かった。出来るだけ早く要件を頼めないか」


「ど、どうしたんですか!? なんだか……冷たくないですか!?」


「いや……まぁ、ほら。いいから。要件があるんだろ!?」


 だんだん、ボルテージが上がってきた。

 そろそろ危険であるから、早く言って欲しかった。

 ここまで来ると、意地の張り合いだ。

 トイレは目の前だが、駆け込むのもかっこいい先輩ぶりたい俺からすると選びがたい選択肢だった。

 だから、なんとか我慢する。

 頼むよ、俺の膀胱。

 頑張ってくれ……。

 そう思った俺に、大和君は言う。


「その、今度、俺に徹底的に稽古をつけてほしくて……!! あと、出来るなら、《無色の団》に、インターンに行かせてくれませんか!? まだ夏休みの受け入れ可能ギルドが決まってないんですけど、出来ればうちの学校から受け入れてくれたらと……!」


 なるほど。

 彼の言葉は、いずれも俺からすると渡りに船だった。

 彼はインターンとして来て欲しいと雹菜に話していたしな。

 出来れば細かいヒアリングなど、したいところだ。

 けれど、今の俺にそんな余裕など、あろうはずもなかった。

 だから俺は彼の肩に、ぽん、と手を置いて言った。


「……全て俺に任せろ。それだけだ」


 そして、そのまま、出来るだけ早足で、しかし我慢しているように見えないように廊下を急ぐ。

 直前に見えた大和君の瞳は頼れる先輩だ、とでも言うように輝いており、俺は自分がうまくやったことを理解した。  

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