第249話 とりあえずの合意
「……伯爵様のような方が、私のような平民にそんなことをされずとも……」
と俺が言えば、エヴァルーク伯爵は少し意外そうな表情で、
「驚かぬのだな」
と言ってくる。
その意味は、なんとなく分かった。
「貴族が平民に頭を下げたことに対して、ですか?」
「その通りだ。一般的な平民であれば、かなり驚くものでな」
「なるほど、そうこうしている内に、色々と要求を呑ませられると……」
「ははっ。人が悪いな、そんなことは……まぁ全くせぬとは言わぬが、そのようなことをするべきような相手がそもそも多くない。そしてハジメ殿。貴方はそのようなやり方では何も呑まぬだろう」
「先ほどから気になっていましたけど、私に対してそのように丁寧に接せられずとも……」
「そうは行かぬ。貴方は我が娘の恩人であるからな。勿論、人前ではそれなりに形をつける必要もあろうが……ここには貴方と私、それに執事しかおらぬ。気にする必要はない」
「はぁ……」
だいぶ変わった人らしい。
俺がこれ以上どうこう言ったところで仕方がないだろう。
それにしても……。
「こんな風に、わざわざエヴァルーク伯爵が私に直接、話をされるということは、何かおっしゃりたいことが? 御息女のこと以外で」
それ以外には考えにくかった。
あんまり面倒な頼み事をされても困るというか、断りにくいのは確かだ。
娘の方であれば、助けた恩を前面に出しつつ、これ以上関わってもらわないのが一番のご褒美ですみたいな態度でいけただろう。
だがこのエヴァルーク伯爵は、この領地における王だ。
封建制度というのはそういうもので、領内のことについては彼が決めることで、たとえ国王でも容易に口出しできないのが普通だろう。
まぁこの世界ではどうなのか、細かいところはなんとも言えないが、そのくらいの認識でいた方が失敗しないはずだ。
そんな彼の頼みを、断るのは難しい。
エヴァルーク領を離れるというのなら、ある程度やりようがあるかもしれないが、俺がこの世界に出た最初の土地だからな。
あまり離れたくはない。
離れるとしても二度と来れないみたいなことはしたくない。
そういう感じだった。
なので、何を言われるか戦々恐々としながら待っていると、エヴァルーク伯爵は言う。
「いや? 何もないぞ。強いていうなら……私の顔と名前を覚えていってほしいということと、何かあれば言ってくれということだ。可能な限り、願いは叶えようとな」
「……意外なことをおっしゃられますね」
本当に意外だった。
しかし、多少考えれば、別に変ではないのか。
誰も治せなかった娘の毒を解毒する薬を持ってきた人間について、繋がりを絶たないようにしておこうというのは。
出自が怪しいというのも相待って、ここで放っておけば姿を消してしまう可能性すらありそうな人物に俺は見えているだろう。
ならば恩を売りつつ、緩く留まってもらう方がいい。
そんなところだろうか。
「その顔は、私が考えていることをなんとなく察している表情だな……まぁ、あまり隠しても仕方がないのではっきり言っておくが、ハジメ殿。貴方が提供してくれた解毒薬は私が総力を上げても、この期間では手に入れられなかったものだ。それを簡単に出してくる貴方を、そうそう野放しにもできぬ。とはいえ、貴方は間違いなく恩人だ。拘束などすることも心苦しいし、そもそもそんなことをする根拠もないのでな。であれば、繋がりを持っておきたい。そう考えた。どこか、貴方に都合の悪いところはあるだろうか?」
極めて率直な話だった。
これなら、俺としてもそれほど悪いことはないと言える。
言えるが……貴族というのは裏では何を考えているか全くわからないという感覚もあった。
それを念頭に置くなら全ての関係を絶ってしまった方が、とも思うが……だが、そもそもここでエヴァルーク伯爵と関係を絶ったところで、他の貴族とこれからも関わらないとは言えないのだよな。
近いうち地球に帰れるならそう言えるだろうが、俺はこの世界に永遠に止まらなければならない可能性も普通にあるのだ。
そういう諸々を考えると……。
「……分かりました。おっしゃっていることに関しては、私に不都合なことはありません。私については、そのくらいの扱いをしていただければ、特に文句はございません」
そう言うしかなかったのだった。
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