第223話 その頃の《無色の団》

 ──コンコン。


 と、ギルドビルの最上階にあるギルドリーダー執務室を慎は叩いた。

 すると、覇気のない声で、


「……空いてるわ。入って……」


 と聞こえてくる。

 慎はそれに対して少しため息を吐き、中に入った。


 執務室の中には応接セットのかなり大きなソファと、執務机、それにギルド関連の法規集や申請書類の雛形などが刺さった本棚があり、壁には最近人気の出てきている新進気鋭の作家が直接、雹菜に贈った大判の絵画がかけられている。

 この執務室の様子を他の中小ギルドが見たら、なかなかに儲かっている上、かなりの名声も若くして得ている期待の冒険者ギルドにふさわしいと評するだろうと思われた。

 しかし、そんなギルドを統括するギルドリーダー、白宮雹菜の今の様子を見れば、その評価も一変してしまうかもしれない。

 彼女は今、ソファにうつ伏せになり、だらりとしていた。

 中に入れと言った上司にして中々ない態度であり、問題であるが、このギルド《無色の団》は上下関係がほとんどないと言っていい程度に厳しくない。

 ギルドメンバー全員がほぼ友人と言ってもいいような空気感が常にある、正しくアットホームなギルドだ。

 そのため、特に慎としてもこの雹菜の態度を部下として叱責すべきとは思わなかったが、しかし、こんな様子が数日も続いているともなれば少し話は違ってくる。

 そう、雹菜はここ数日、ずっとこんな様子なのだ。

 けれど、その理由は、実のところはっきりしている。

 というか、雹菜に限らず、《無色の団》のメンバーは、こうまで表に出すかどうかはともかくとして、皆、多かれ少なかれ落ち込んでいた。


「雹菜さん……起きてください。仕事がまだありますよ。執務机に積んである書類、昨日の分もまだあるでしょう?」


「……まだ期日があるものだけよ。近いものは全てしっかりと終わらせてあるから大丈夫……」


 流石に、全く責任を全て放ってしまったというわけではなさそうだが、それにしても……。


「いい加減、元気を出してください。このギルドは、雹菜さんが中心なんですよ。それに……あいつのことなら、きっと大丈夫です。そんな簡単にどうこうなるやつじゃ……」


「……だといいんだけどね。冒険者というものは、いつ、どうなるかわかったものじゃないわ。それは彼もまた例外じゃない……理屈ではわかってるの。わかってるけど……どうしてかしら。力が出ないのよね。知り合いがいなくなってしまったことなんて、今まで何度も味わってきたっていうのに、どうして……」


 雹菜は自分の感情を把握しきれていないらしい、と慎はそこで理解する。

 どうして、と言ってもその理由は慎にとっては自明だった。

 自分もまた、美佳がある日突然いなくなったら彼女と同じような感覚に陥る自信があるからだ。

 しかし、そのことをこの人はわかっていない。

 今まで、幾度もの冒険を、危難を、乗り越えてきた恐ろしい経験値を有する冒険者である人だ。 

 それなのに、そっち方面の経験となると、ほぼゼロである純粋な少女のように振る舞う。

 いや、実際にそうなのだろう。

 実に不器用な人だ。

 今までの人生、全てを冒険者に注ぎ込んできた彼女は、一般的な生活で味わうような青春を、今初めて過ごしているのだと思った。

 少し前に彼女の姉である白宮雪乃に突如接触され、カフェに誘われて数時間、雹菜の話を聞かれたことがある。

 何か探りに来たのか、と思ったが、聞かれたのはほぼ全てが姉の妹に対する心配から出るようなものだけだった。

 最後には、雹菜には色々と苦労させた、今が幸せならそれでいい、遅れてきた青春を楽しんでほしいものだ、と言って去っていった。

 かなりマッドな人物だと聞いていただけに、驚いた。

 その時のことは誰にも話していないが、それもまた、雪乃が秘密にしておいてくれと添えて言ったからだ。

 妹に、自分が心配していたなどと耳に入れないでほしいと。

 そんなわけで、雹菜のここ最近の生活は捨ててきたものを拾うような、そういう幸福に満ちていたのだろうと思うが……その中でも、最も彼女と親しい人物……慎にとっても親友である、創が突如、消えてしまった。

 それによって雹菜はこのような状態に陥ってしまったのだ。

 創の捜索はギルドを上げて行なっているし、他のギルドにもそれとなく情報を求めているが、その足取りすらほとんど掴めていない。

 《騎士の巣窟》の第二層に入って行ったというところまではわかっているのだが、その後が……。


「創は、どこにいるんでしょうね……」


 つい漏れた慎に、雹菜が、


「それは私も知りたいわ。でも……絶対生きてる。私はそう信じてるわ」


 そう言ったのだった。

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