第207話 冒険者協会職員・如月詩乃の気持ち

 冒険者協会職員の仕事、というのがこれほどまでに忙しいとは考えてもみなかった。

 冒険者たちから提出された素材や魔石のリストに数字をパソコンでひたすらに打ち込みながら、私、如月きさらぎ詩乃しのはそう思った。

 もちろん、今年、倍率数十倍の試験を乗り越えて、冒険者協会職員になったのだから、それなりに激務であることは分かってはいた。

 それに見合ったお給料をいただけることも。

 それでもきつい、と思ってしまうのは、この職業が他の職業と比べて、常に暴力に晒されているからだろう。

 毎日、血と汗の匂いを背負ってここにやってくる冒険者たちから、凄惨な戦いの痕跡の残った素材を提出されると、たまに怖い、と思ってしまう。

 彼らに比べてみれば、私たち職員など、所詮、魔物と戦うことのない、命の危険のない仕事のように感じられるかもしれないが、そもそも命を賭け金にしてお金を稼ごうとするその暴勇こそがおかしいのであって、現代日本に住む普通の人間であれば、強力な力を持った存在を前にしただけでも恐ろしくなって身をすくめてしまうものだろう。

 私もその例に漏れず、彼ら冒険者に対して、いまだに緊張が抜けないのだった。

 だったら、初めからこんな職業選ばなければいいのに、という話だが、私も最初はそのつもりだった。

 それなりにいい大学を出て、適度に容姿に恵まれた自覚はあったから、アナウンサーとかどうかな、とか、ダメでもどこかの会社の受付とかはどうだろうかとか。

 そんなことを考えながら生きていた。

 だからと言って適当に大学生活を過ごしていたわけではなく、それに見合うスキルを身につけるべく……この場合のスキルは冒険者たちが身につけているそれではない……アナウンススクールに通ったり、英会話を学んだり、学校でも好成績を収めるために毎日コツコツ勉強したりと、およそ学生に求められる努力はかなりしてきた。

 だからきっと、思った通りの就職が出来るはず……そう思っていたのだが、やはり現実はそう簡単ではなかった。

 全く箸にも棒にもかからないというほどではなく、最終選考、もしくはその手前くらいまでは進めるのだが、最後の最後で選ばれない。

 そんな日々が続いた。

 一体何が悪いのだろうか……わからない。

 そしてわからないことこそが、私が受からない原因なのだろうとも、冷静に思ったりした。

 しかし、就活は立ち止まることを許さない。

 私はめげずに挑戦し続けた。し続けて……結局、折れた。

 どうしようもなくて、スーツを着たまま、試験場近くの公園でぼうっとしていたら、涙が出てきた。

 私はどこにも必要とされないのではないか……そんなことを思いながら。

 けれど、意外なところにきっかけというものはあるもので……。


 ふと、泣いている私の顔に、バサリとチラシが吹き飛ばされて顔に引っ付いた。

 私は驚きつつ、剥がそうと腕を振るったがなかなか剥がれず、仕方なく私はそれを手に取った。

 そしてなんとなく見ると……そこには、冒険者協会の職員募集、の文字があった。

 その職業は知っていたし、倍率が高いことも知っていた。

 こんな職につける人は、私のようにダメではないのだろう……そんなことを思いながらじっと見つめていると、突然、思い出すものがあった。

 そういえば、昔、迷宮が海嘯を起こした時、冒険者に助けてもらったな、と。

 北海道でのことだ。

 あの時から、私は魔物が恐ろしく、そしてそれと戦える冒険者も、どこかで怖いと思ってしまっていた。

 けれど……あの時、私は救われたのだったな、と。

 小さな頃のことだから、トラウマになってしまっていたが……あの時助けてくれた冒険者にお礼も言えなかった。

 言うべきだったな……。

 そんなことを。


 そして、だったら……と思ったのだ。

 あの時出来なかった恩返しを、冒険者のサポートをすることで出来ないものか、と。

 突飛な思いつきだったと思う。

 無茶な決心だったとも。

 何せ、その時は冒険者職員になるための対策など全くしていなかったのだから。

 しかし、試験にはまだ、それなりの時間があった。

 マスコミ関係の就活解禁は早い。

 だが、冒険者協会職員は、その性質上、かなり遅めに設定されている。

 今から死ぬ気でやれば……そう思った。


 そして、私は受かった。

 さぁ、恩返しを……と思ったのも束の間、支持されたのはひたすらに事務作業と受付業務だった。

 これが、思った以上にきつい。

 数は多いし、血と汗に塗れているし、冒険者の中にはそれこそ暴力的な人も多いし、その上、ナンパされることも多くて精神的な疲労も溜まってくる。

 結果として、私は受付業務を完全なマニュアル業務として行うような癖が、ほんの数ヶ月でついていた。

 だからだろう。

 その日もまた、受付にやってきた若い少年の言葉を軽く聞いてしまっていた。


 見れば、まだ高校卒業したてだろう、と言う感じの見た目で、雰囲気も擦れてないから間違い無いだろうと思った。

 要件を尋ねれば、素材の鑑定、売却。

 素材や魔石の取得階層は第一階層だと。

 そこまで聞けば後の手続きは決まっている。

 そこにしか潜らないのは初心者、駆け出しであり、せいぜい数点の魔石と素材しか持ってこない。

 それだけの魔物を相手にできないのはもちろん、持って帰るための手段もせいぜいリュック程度しかないからだ。

 だから、私はそれらを受付カウンターの上に置くように指示した。

 不思議なことに少年はそれを聞いて少し怪訝な顔をしていた。

 ここで私も気づけばよかったのだが、初心者の困惑というのはよくあるものと流してしまっていた。

 そして、少年が物品をカウンターに置き始めた。

 最初の方は、特に問題はなかった。

 ゴブリン騎士……《騎士の巣窟》で出現する最弱モンスターの魔石をまず並べていく。

 五個くらいかな……そう思っていたのだが、それ以上に出てくる。

 十個を超えたあたりで、すごい有望だな、と思ったのだが、流石に二十個を超えたあたりで、え、と思う。

 さらに三十を超えだし、その上、ゴブリン騎士だけではなく、ゴブリン上級騎士の魔石も出したあたりで私は慌てた。

 普通に一階層を探索して得た魔石ではなかったのか、と。

 私はそこで慌てて止めた。

 なぜと言って、まだまだ出てくる様子だったし、それにこれだけの量と質なら、個室での鑑定と取引を行わなければおかしな人間に目をつけられるからだ。

 私の反応に、少年はまだ不思議そうな顔だったが、私はすぐにこの協会の責任者……支部長の元へと走った。

 そして言った。


「……ひいらぎ支部長! 《ゴブリンの砦》を攻略してきたと思しき冒険者の方が来てますが、どうしたらいいでしょうか!?」

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