第108話 男湯にて

「……男湯は……こっち、で合ってるよな。ちゃんと男湯と書いてある……よし」


 女子も含めた温泉旅、となると別にそんなつもりがなくても何か、こう、ラッキーな展開を想像してしまうが、このご時世、そういったことは大変厳しい情勢にある。

 予期しないとはいえ、女の子にも心の傷を与えかねないというのもあるし、俺としては何がなんでもそんなことは起こらないようによくよく注意しておきたかった。

 そもそも、そんな気が無くてもやらかしてしまいそうなシステムがこの旅館にはあったので、恐ろしい。

 時間帯によって男湯か女湯か変わるタイプの温泉がいくつかあったのだ。

 これをうっかりするとやらかすことになるだろう。 

 しかし俺は、目を皿にしてそんなことが決して起こらぬように、時間帯も湯の種類もしっかりと確認した。

 だから、そんなことは起こらない……。


「いざゆかん、温泉へ!」


 と、中に入っていく。

 更衣室には人気は無く、脱衣カゴも大量に設置してあったが、誰の服も置いていないように見える。

 つまり、今なら貸し切り状態だ。

 タオルはいくらでも使って良いよと言わんばかりに置いてあり、アメニティも豪華だ。

 思った以上にこの旅館は高級旅館よりなのかもしれないな、と思う。

 岩手には観光でも来たことがなかったので、こんなに簡単に来れるならまたプライベートで来ても良いな、という気分になってくる。

 今度は、家族と一緒に。

 でも、家族は俺以外《転職の祠》を使えないので、その場合は新幹線になってしまうからなぁ。

 まぁ東京からでも三時間はかからない距離なのでそこまで大変でもないだろうが……。


「……おぉ、中も凄いな。ここは……《狐の湯》か。他の温泉も動物系の名前がついてるが……」


 《狼の湯》とか《山猫の湯》とか、そんなのばかりだ。

 ただ、これは大体理由の想像がつく。

 ここが《亜人》が経営している旅館だからだろう。

 桔梗の耳を思い出すに《狐》の耳っぽかったので、狐の《亜人》と言うことなのだと思う。

 道すがら少し聞いたが、桔梗によれば、桔梗の故郷に済んでいる《亜人》は、いわゆる動物の特長を持っている者ばかりだという。

 世間で《亜人》といえば、別に動物系のそればかりを指してはいない。

 見つかってはいないが、エルフとかドワーフもいるんじゃないか、みたいな話はある。

 そういう分類で言うと、桔梗たちは《獣人》と呼ぶべきような存在のように思う。

 

「……遠野に伝わるような、ってイメージしてたから、妖怪っぽい人たちが多いかなって思ってたけど、そうでもなさそうだな……」


 お湯にゆったり浸かりながら、そう独りごちる。

 すると、


「ほう、なるほどのう。それは決して間違いとは言えないが……少なくとも妖怪らしいのは少ないぞ」


 と、後ろから声が聞こえて、びっくりして俺は振り向く。

 なぜそこまで驚いたかと言えば、何の気配も、今の今まで感じられなかったからだ。

 魔力などを使った索敵能力を高めているのに、である。

 魔力がない存在であっても、今では十メートル四方にいれば間違いなく察知できる。

 それなのに……。

 しかも、そこにいたのは……。


「おや、驚かせてしまったかえ。すまんのう」


 そんなことを言ってくる、小さな少女だった。

 狐のような耳……と、そして、何かふさふさとしたものが、湯の中からゆらゆらと揺れて水面の上に何本も出ている。


「……尻尾?」


「おぉ、そうじゃ。自慢の尻尾じゃ。桔梗にもあるじゃろ」


 そう言われたが、特段それは見ていない。

 あるのかもしれないが、何らかの方法で隠しているのだろう。

 だが、この少女はそうしていない……なぜだろう。

 分からない。

 しかし、その台詞から分かることもあった。


「……桔梗の知り合いか?」


「知り合いも何も、血縁じゃぞ。あの子の、祖母じゃ」


「えっ!?」

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