第103話 彼女の名前
「……存在だけなら、それこそ三十年前からつぶやかれていたわね。冒険者の間でも、ネットでも、テレビのくだらないワイドショーの賑やかし程度にでも……」
雹菜がそう言った。
彼女の言う通り、その存在については様々なところで語られていた。
でもそれは……。
「あくまでもただの噂っていうか……チュパカブラとかネッシーとか、そういうUMA的なもんとしてだろ?」
俺がそう言うと雹菜も頷いて、
「その通りよ。でも、迷宮が出現する前よりは間違いなく、現実的にいるかもしれないって感覚は強まってたでしょ」
「まぁ、それは……」
「でも実際に確認されたことは、これまでありませんでしたよね。いそうなもんだったけど。まぁ、迷宮で出てくるゴブリンとかオークは、似たようなもんだったけど意思疎通がまず無理だったしなぁ……」
慎がしみじみとした様子でそう言った後、少し微妙な表情になった、頭に耳のついた少女の方を見て慌てて、
「あっ、悪い悪い。そういう意味じゃないんだ……」
と言った。
そういう意味とはつまり……。
「《亜人》、つまりその子はそういう存在、という認識でいいのよね?」
雹菜がはっきりと口にした。
これに紬が頷いて答える。
「ええ、概ね、ね。でも、それこそテレビとかネットで語られてるようなものと同じかと言われると……微妙かもしれないわ」
「どういう意味?」
「そういうのって、迷宮が出現したから、そこには現生人類と異なる知的生命体が住んでいて、文明を築いていてもおかしくない、って話でしょ? さっき慎くんが言ったみたいに、しゃべれるゴブリンとかオークとかね。まぁ、強力な魔物の中には話す奴はいるみたいな話はたまに聞くけど、どこまで本当かは……。とにかく、今のところ、町や村を築いてるとか、明確に文明と呼べるものを持っていると考えられるのは、今のところいないわね」
「魔境なんかだと、砦っぽいのがあったりとかするけどね」
「あれはなんか迷宮と似たような感じで、勝手に生えるのに近いみたいで、建築してる感じじゃないのよね……まぁ修理くらいはしてるみたいだど。あれも文明っちゃ文明かもしれないけど……魔物同士の意思疎通はともかく、人類が彼らと交流しようとしても、敵意しか示してこないからね。なんか違うわ」
人類に常に敵対的で、一応群れは築いているものの、交流はまるで不可能、言葉が通じる個体がいてもまともに情報の交換などできない、そんな存在を《亜人》とは呼べない、そんな感覚がある。
中には妙な活動家じみた奴らがいて、ゴブリンやオークも人と同じように二足歩行し、道具を扱い、魔物同士でなら意思疎通をするし、高位の魔物は流暢に話すらしいではないか、ということを根拠に、保護すべき、とか、攻撃すべきでない、みたいなことを言ってる団体とかもあったりするが、ほぼ無視されている。
一度でも魔物とまともに相対すれば、そんなことはなかなか言えないからだ。
なかなか、というのは、つまりは魔物と相対しても言い続ける奇特な人間というのもいなくはないということでもある。
人間というのは度し難いな……。
しかし、そんな彼らに、こうしてしっかりと人間と行動を共にできる《亜人》を見せれば、神のように祀られること請け合いだ。
それくらいに驚きの存在が、そこにいる少女だった。
「もちろん、そこの子はそういうのとは全然違う、と。さっきはオークなんかと一緒にしたみたいに聞こえること言って悪かった。俺に名前を教えてくれないか?」
慎が少女にそう尋ねると、少女はおずおずと言った様子で答える。
「……桔梗。
「桔梗ちゃんか! 俺は柴田慎……ん? 今の聞き間違いじゃなきゃ、普通の日本名だよな? 迷宮から出てきたとか、それに由来して現れたとかにしちゃ、おかしいような……?」
握手しながら慎が首を傾げると、これに美柑さんが答えた。
「それは当然です。なぜなら、桔梗は別に迷宮とは関係がないのですから。彼女は、もともと日本に住んでいた《亜人》なのです」
「えっ!?」
俺たちが驚いてそう言ったのも、当然の話だろう。
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