第8話 窮鼠猫を噛む
正直言って、俺はたかを括ってたと思う。
《安全地帯》は迷宮の中で最も安全な場所であり、そこにいる限りは魔物や罠の危険はない。
だから、たとえ魔物の声が響こうとも問題はないだろうと。
誰かが襲われているのかもしれないが、俺自身についてはこの《安全地帯》から出なければ問題ない。
徐々に魔物の声が近づいている気もするけど、襲われている奴もここの存在はきっと知っているだろうからこっちに来ているだけで、俺の安全性とは無関係なのだ、と。
むしろ、どんな魔物が現れたのか、それを観察できるいい機会かもしれない。
そんな逃走しなければならないような魔物が、ここ第一階層で出るはずもないが、そうしているということはおそらく《特殊個体》が出現したのだろう、とも。
そのため、俺はむしろいい見学ができるかも、そんなような心境で、魔物の声が聞こえる方向の通路を、《安全地帯》からは出ないように気をつけつつ、見つめていた。
その選択が、大きな間違いだったと一切気づかずに。
それに気づいた時には、すでに遅かった。
姿が見えたのはしばらくのあと。
まず最初に現れたのは、俺と同じくらいの年代の女の子だった。
若干、青みがかった髪色をしているから、所有スキルの影響で属性的な偏りが出たのだろうな、と思ってみていた。
それくらいのことを考える余裕が、その瞬間はまだあった。
けれど、彼女は俺に気づくと直後、
「そこのあなた! 逃げなさい! 豚鬼将軍が来ているの!」
そう叫んだ。
その瞬間、なぜそんなことを言うのか、ここは《安全地帯》なんだぞ?という考えが浮かび、それからフラッシュバックのようにカナ先の授業内容が頭に蘇った。
曰く「普通は特殊個体であっても《安全地帯》には入れんが、ある程度のレベルを超えたものは入ってくることも出来る。まぁ、いわゆるBランク以上の魔物に限るから、当分は気にしなくていいだろうけどな」と、そんな話だった。
豚鬼将軍は……いくつだった?
B以上だった気がする……まずいぞ、だとすれば……。
慌てて逃げようと考えるも、やはりすでに遅かった。
女の子も、また豚鬼将軍も、その素早さは未だ学生にすぎない俺とは明確に異なっていた。
すぐに《安全地帯》まで辿り着く。
女の子が中に入ってきた後、僅かな抵抗を覚えたような顔をした豚鬼将軍だったが、やはり、というべきか、あくまでも薄い膜を超えたような感じで《安全地帯》の中まで侵入してきたのだった。
「……仕方ないわね! 私が持ち堪えるから、あなたはすぐに逃げて!」
女の子はそう言って足を止め、俺の前に立ち塞がり、豚鬼将軍の方を向いた。
だが、俺は腰が抜けて動けなかった。
声もうまく出せない。
女の子は俺の返事に期待した様子はなく、そのまま豚鬼将軍に相対するが……。
「……ブルアァァアァァ!!!」
という咆哮を受け止め、一瞬硬直する。
あれは、豚鬼系の魔物が得意とするスキル《ウォークライ》だ。
効果は授業で習ったことが正しければ、それに威圧されたものの動きを止めるというもの。
どの程度止めるかは、放ったものと受けたものの実力差によるという。
だから、俺の動きは完全に停止した。
指一本動かすこともできなくなる。
けれど、女の子の方は、あくまでも一瞬だけで、すぐに動き出し、
「……こんなもので私を止められるとは思わないで!」
と言いながら地面を踏み切る。
そこからは、圧巻の戦いだった。
女の子が豚鬼将軍の攻撃を避けながら、その持つ細剣でいくつもの傷を豚鬼将軍につけていく。
豚鬼将軍の攻撃が一撃でも命中すれば、その細い体は一瞬でぺしゃんこになってしまいそうなのに、それをまるで恐れることなくだ。
それは間違いなく、上位冒険者の戦いぶりだった。
けれど、豚鬼将軍も負けていない。
いや……豚鬼将軍の方が、勝っていた。
というのも、その再生力が並外れていて、細剣の傷のほとんどをすぐに回復してしまうのだ。
それでも女の子の方は、何か特殊なスキルを使っているのか、傷口を凍らせるなどして、なんとか体力を削ろうとしていたが、そもそものスタミナに大幅な開きがあったのだろう。
「……きゃあッ!」
と、悲鳴を上げる。
豚鬼将軍の拳が命中し、吹き飛ばされ、壁に激突したのだ。
そしてそのまま、ずりずりと地面に叩きつけられた。
意識は……まだかろうじてあるようだったが、起き上がる力が入らないらしい。
そこに豚鬼将軍が迫るのが見えた。
俺の体が動きを取り戻したのは、やっとその時のことだった。
立ち上がり……どうすべきか、一瞬迷う。
けれど、ここで逃げれば、あの女の子は殺されるだろう。
それは、とてもではないが容認できることではなかった。
だから俺は、手に剣を持って、豚鬼将軍の方に襲いかかる方を選ぶ。
けれど……。
「……ぐがっ!!」
後ろから襲いかかったのに、すぐに気づかれ、軽く腕を振られた。
それだけで吹き飛ばされ、身体中の骨が折れたようなそんな気がした。
女の子は細い体ながら、まだなんとか動けそうな気配なのに、俺はもうまるで何もできそうもないところまでダメージを受けたのだ。
やはり、上位冒険者とスキルなしでは、耐久力にも大幅な差があるのだと理解せずにはいられなかった。
「ちくしょう……」
豚鬼将軍は、俺には興味がないというか、女の子の方を脅威と見ているようで、先に殺すつもりのようだ。
一歩ずつ近づき、そして武器を振り上げる。
俺はそれを見ながら、何か、何かできないかと考えていた。
そう、俺に力があれば。
俺にスキルが使えれば。
美佳の使ったようなあの上位炎術を使えれば……。
それはほとんど無意識だったと思う。
俺は自らの魔力を、あの時見たそれを真似して、動かし始めた。
そんなことをしたところで何ができるわけでもないのに。
スキルは、スキルを持っていなければ発動できない。
スキルスイッチを押す必要があるからだ。
でも、そんなことは今の俺には関係がなかった。
考えることもできなかった。
だから……。
魔力を放出し、そしてそれをあの時の美佳のスキル発動時のそれと全く同じように動かす。
その瞬間、俺の魔力が何かを形作るように集中したのを感じた。
それは豚鬼将軍も同じだったが、かの魔物が気づいた時には、それこそ遅かった。
豚鬼将軍に向かって、恐ろしい熱量が集まっていく。
「何……っ!? まずい、《氷結盾》!」
女の子のそんな声が響き、そして次の瞬間、俺の視界は真っ赤に染まったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます