第48話 最終章 死地のその先14

 ここまで狙い通りになるとはな。まさに、我が意を得たりではあったが、呆れもした。


 追手の全軍は追跡を止め、眼前に黒トクが正対し、ぐるりをモンゴル兵が囲む。続々と下馬し、最後に黒トクが下馬し、叫ぶ。一拍置いて、その側らの者がトルコ語で叫んだ。どうやら、ご丁寧にも訳してくれているらしい。


「名を知らぬ将よ。よくぞ留まってくれた。我は剛弓の勇士、ジョチ・カサルの子イェスンゲ。そなたに弓にての一騎打ちを所望したい」


 オグルは苦笑いを浮かべる。誰がそなたの望みなど受けるかと、断ってやりたいところだが。まことに残念ながら、その申し出は願ったり叶ったりのものであった。


 槍での勝負なら、すぐに決着がつく可能性がある。こちらとしては、少しでも時を稼ぎたいのだ。どのような勝負か分からぬが、多少は距離を離して射合うのであろう。とすれば、当てるのに、数矢、下手すると、数十矢、必要となろう。


 それに奴は右肩を怪我しておる。満足に射ることができるのかとさえ、敵ながら想うが、奴なりのこだわりなのだろう。父譲りの武芸と言っておったか? 


 そしてたとえここで己が命を落とすことになったとして、散々な評判であったとはいえ、先にジャラールを逃がした。その結果は定かならずとはいえ、次にトガンに逃げるをうながした。そして今、我が友シャイフとその配下、更に我に仕えてくれた者たちを逃がしうるとすれば、どうであろうか? 我を生むに際して、命を落とした母御ははごといえど、許してくれるのではないか? 決して褒めてはくれまいが。


 オグルが了承の意を伝えてから下馬すると、モンゴルの兵が1人足早に寄って来て、弓と矢が入ったえびらをうやうやしく差し出して来る。

 

 オグルはえびらを腰帯から下げ、弓矢を携えて、待った。


 黒トクが構えるのを見てから、オグルも矢をつがえる。右から射す、たいして登っておらぬ太陽が指をあたためる。かじかまずにすむのは、ありがたい。


 互いに矢を射合う。黒トクの矢は届かぬ。やはり、右肩の傷は重いのだろう。己は当てる気は無かった。勝負の後、己をどうする気か分からぬが、シャイフたちを追わせたくなかったゆえだ。


 黒トクの2射目。やはり届かぬ。己も射返す。


 3射目。仕方なくであろう。斜め上方に向け放つ。矢は弓なりの軌道を描く。今度は我を通り越して行った。そののち、我の近くに落ちる矢もあったが、それをかわすのは容易であった。


 我の傷の血の臭いか、黒トクの方かは定かならぬが、おそらくそのいずれかを嗅ぎつけたのだろう、気付いたときには猛禽が数羽上空を旋回しだしておった。


 ついには、矢が飛んで来なくなった。恐らく右肩が限界に達したのだろう。何か、わめき声が聞こえる。そしてそれを訳したのだろうトルコ語が聞こえて来る。


「我を殺せ。決着をつけよ」


 仕方なく黒トクの方へ歩いて行く。


 近くまで寄る。


 泣き叫んでおった。


 最早、訳されはせぬが、しつこく殺せと叫んでおるらしいことは想像がつく。これでは、まるでだだっ子である。軍神が亡霊となり、ついには、こうなってしまったか。


 周囲のモンゴル兵は、ただならぬ雰囲気を漂わせておる。今は黒トクの威に従い動かぬが、あるじの命を奪えば、我は一寸たりとも生きてはいまい。


「最早、我らを追わぬと誓えるか? 」



 そのとき、初めて側らの訳官とおぼしき者に顔を向け、それから問うた。


 その者は、しばし迷う風であったが、


しかり。誓おう。そなたが、このまま去るならば」


 前に1人の老将が出て、トルコ語で答える。


 やがて、それに賛する声が続々と上がる中、黒トクが何かを叫ぶ。


 皆が静まる。恐らく拒絶する叫びであったのだろう。


「早くに去れ」老将が再び言う。


 先に我の馬を渡した者が、急ぎ引いて来る。それにまたがると、不意に脇腹が痛んだ。ただ、かまわず馬を進める。


 黒トクに情けをかけたかった訳ではなかった。己の命を保つためであった。これでようやく母御は褒めてくれるであろう。




  人物紹介

 ホラズム側

シャイフ・カン 北城本丸守備の指揮官。


オグル・ハージブ せき破壊を試みる工作隊の護衛の指揮官に任じられ、これを成功させた。


 モンゴル側

イェスンゲ ウルゲンチ攻めでは、城外での遊軍の指揮官を委ねられる。チンギスのおい。カンクリ勢からは、黒トクと呼ばれる。

  人物紹介終了

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