第39話 最終章 死地のその先5

 チャガンが到着すると、敵勢の先頭近くにて一際激しく斬り込んで来ておる者がおった。豪快にその膂力りょりょくにてモンゴル兵を圧倒しておった。あの者は。どこか見覚えがあった。アム・ダリヤ岸にての刹那の斬り合いが想い浮かぶ。


 チャガンは名を知らぬが、アルプ・エル・カンであった。


 自ら受けに向かう。この者は次代のシギ・クトクと期待されておる者だが、得手とするところが少し異なる。シギ・クトクが文武両道であるのに対し、武芸に長じておった。モンゴルなら当然、弓となろうが、西夏出身である。その国家はやはり遊牧民族たるタングート族が母体であるも、実質は漢族との混成国家である。自ずと武芸の方も、その影響が入り込む。チャガンの得手とするところは、その系譜の内にある剣術である。その物珍しさが、チンギスお気に入りの理由でもあった。


 とはいえ、小柄なチャガンである。大段平だんびらを振り回す訳ではない。剣も小振りである。ただ、その優れた反射神経と身軽な体を活かして、相手のふところに入って、そのノドくびを果敢に狙う。


 その2本の剣が合わさったとき、先の初手合わせとは異なり、馬上でないというのが、アルプに有利に働いた。大地がしっかりとその踏み込みを受け止めてくれる分、その剛力にて押す形となった。


 しかし、アルプが圧倒したのは序盤のみ。その力をチャガンは受け止めるのではなく、受け流し始める。剣に微妙な角度をつけて、いなすのである。


 人は自分の体を想い通りに動かせるものではないし、ましてや、その先にある剣となれば、なおさらである。また、人の視覚というのも、ありのままを見ているのではないし、動いているものに対してとなれば、一層不完全となる。


 更には、この2者をうまく連動させる必要があった。無論、修練あってのものであるが、それを積みさえすれば誰にでもなしえるというものではない。天性のものに多くを依る。


 小柄な体に加え、顔も小作りにして、うるわしき目鼻立ちであり、更には激しい動きのために上気した顔は、まさに薄化粧を施した如くに見える。更にチャガンは、アルプを幻惑する動きをする。


 ゆえに、アルプは怒声を発することになる。


「踊り子の如くクルクルと回りおって。まともに斬り合え。それでも男か」


 そもそもジンに似ていると評されるその形相が、怒りのために、まさに、その化身の如くとなる。


 他方、チャガンは笑みを浮かべる如くである。ただ、意識してではない。極度の集中のゆえ、戦うに際して不必要な緊張や力みというものが全く消失し、表情がゆるむゆえに過ぎない。


「この野郎。ヘラヘラしおって」


 怒り心頭に発したアルプは裂帛れっぱくの気合いを、その怒号にのせ、剣撃を真上から食らわす。その全体重を乗せて。まるで兜ごと頭蓋を砕かんと。


 もしチャガンが恐怖に呑まれておったならば、あるいはそうでなくともわずかにでも感じたならば、想わず後ろに下がり、2撃目を招くことになっておったろう。


 しかしそれと無縁なチャガンにとって、ただ、それは力任せの大振りにしか過ぎず、横にひらりとかわし、アルプにたたらを踏ませる。


 そして自ずと前のめりになり、丁度、かたわらに首を差し出す格好となったところで、チャガンは兜と鎧の隙間へやはりひらりと剣を舞わせる。


 血しぶきが吹き上がり、チャガンを濃いくれないに染め上げる。未だ笑みを消さぬそその姿は、天のおくった血塗れの天女の如くに見え、残る奴隷軍人マムルークたちは急ぎきびすを返すこととなった。



 後書きです。

 アルプとチャガンの初手合わせは第3部第75話『サマルカンド戦8:アルプ・エル・カン』にあります。

 また、アルプがウルゲンチに合流した経緯は、番外編第1話『アルプ・エル・カン』にあります。

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