第3話 南城南門にて

 寒い冬の日、春まだ遠き日のことであった。遂にであった。南城の南門前にモンゴルの小部隊が突然現れ、しかも牛追いに興じ始めたのである。そのようなおふざけ振りは許すまじとして、ウルゲンチの城門から騎兵と歩兵が出撃した。


 モンゴルの小部隊は逃げ始めた。しかしそれが一目散にではなく、決してその姿を見失わぬ程度の逃げ方であることを、追う軍勢の中で不審に想う者はなかったか。都城からおよそ五キロほども追撃して来た時、やはりと想ったか、油断したと嘆じたか、その心中を知ることはできぬ。いずれにしろ、敵の新手が不意に壁の背後から姿を現し、通りの前後を防ぐと、襲いかかって来た。このモンゴル軍お得意の待ち伏せ作戦による犠牲者を十万と伝える史料もあるが、さすがにそれは過大であろう。


 ただモンゴル軍は逃げ戻る城兵を追いかけ、その逃げ込むのに乗じて、自らも城内へ侵入を果たした。日没が迫ると、ようやくモンゴル軍は城外へと退却した。




 払暁ふつぎょうを間近に控え、東の空がほのかに明るみを帯びる。とはいえ、城外を囲んでおるモンゴル軍の動きを見定めることはかなわぬ。ただ、無数のかがり火が見えるだけであった。


 ファリードゥーンは昨日、モンゴルに破られた南門から見ておるのだった。そして、この者は今、憂愁の中にあった。その原因は一つではない。


 まず、昨日、戦が始まったこと。


 次に、敵の策略にまんまとはまり、自軍が大きな犠牲を出した。その際に、ここを託されておった隊は、壊滅的な打撃をこうむっておった。それで、急きょここの守備を託されたこと。


 更には、ウルゲンチの内がおかしな方向に動いておったこと。


 まず、逃げておると聞いておったスルターンが、既に亡くなっておるらしかった。そしてその報をもたらした王子のジャラールは、自らが新スルターンと訴えたようだが、カンクリどもの受け入れるところとはならず、去ったらしい。この両者の折り合いの悪さは己も知るところであった。こうなっても仕方がないか、とは想う。


 ただ、それで終わりではなかった。皇太子たるウーズラーグ・シャーまでが去ったのだった。どういうことであろうか? ウーズラーグは母后テルケン・カトンの大のお気に入りであり、加えてその母もカンクリの王女である。この者をこそ、新スルターンにいただくべきではないか? それをせぬ如何なる理由があるのか?


 己には何も伝わって来ぬ。まったくの蚊帳の外であった。そしてその理由もまた明らかであった。己の出自ゆえであった。己も自兵476名もグール勢であった。(注1)


 己はスルターンより、ウーズラーグに授けられておった。既に忠誠を誓っておるが、新スルターンに対するものとして改めて誓うを得れば、これほど喜ばしきことはない、そう想っておったが。


 そしてそのような未来が待ち受けておると想えばこそ、であったのだが。これでは、何のために遠く離れ、何のために仕える相手をサンサバーン王家からホラズム・シャー家に違えたのか。(注2)


 ただ、それに留まらなかった。モンゴル軍にここを囲まれて後のこと。カンクリどもは、自らの一族から新スルターンを選んだのだった。ありえぬことであった。


 最早、ここを去り、故郷に帰るべきときであるは明らかである。ただ、それをあやつら地獄に落ちるべき者たちが、許してくれるとも想えなかった。それどころか、夜明けと共に攻め至ろう。


 近くに山一つ無いこの地にあっては、徐々に明るみを増し色づいてゆく空を限るは、山の端では無かった。地平線であった。故郷の山並みを懐かしく想い出しつつ、しかし2度とかの地を踏むことは我々には、かなわぬのかと嘆じたくなる。


 自兵が故郷やその地に残して来た者たちへの想いをつのらせる哀歌を歌うのを、これまでも、しばしば聞くことはあった。しかし、昨夜は特にそれが間断無くというほどに歌い継がれた。夜が明ければ戦ゆえ、眠れと命じることもはばかられた。それを想えばこそ、眠れず、また、歌うのであろうから。


 そして、今朝。いずれにしろ、まずは今日を生き延びてのことと想いなす。




 その後、予想通り、モンゴル軍は再び攻めて来たが、ファリードゥーン・グーリーは決して出撃することなく、ひたすら固く守り、死者0、負傷者数名を出しただけで、モンゴル軍に城内への侵入をあきらめさせた。




 注1 グール朝及びグール勢(日本では一般にゴール朝とされる)

 アフガニスタンの山岳によって永らく独立を保ったが、ガズナ朝に服し、次にセルジューク朝に服す。やがてセルジュークの弱体化に伴い、独立、強国となった。


 最盛期はギヤース・ウッディーンとムイッズ・ウッディーンの兄弟の在位の時であり、ホラズムやカラ・キタイと激しく争った。


 その住地から推測されるのと異なり、グール勢はペルシア語を話した。ただ隔絶した山地におったゆえか、他の地域のペルシア人と言葉を通じさせるのには困難が伴ったという。


 当時、アフガニスタンの山岳はグール勢の世界であり、その地はグールと呼ばれた。

 

 現在のアフガニスタンで多数派を占めるパシュトーン人がこの地に広がり、支配下に置くのは、ずっと後のことである。ただしパシュトーン人は遠い別の地からやって来た訳ではなく、他の勢力が強いため、住地がせばめられておったのである。


注2 グール朝の王家がサンサバーン家です。第3部第65~66話 『バルフのスルターン1~2』に少し出て来ます。

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