第86話 ホジェンド戦1

  人物紹介

 ホラズム側

ティムール・マリク:ホジェンド城主

  人物紹介終了



 ホジェンド城主ティムール・マリクはその軍勢を川の向こうに見て、遂に現れたかとそう想った。モンゴル軍がここより下流の城市ファナーカトに現れ、そして三日間の猛攻の末に攻め落としたとの急報は既に入っておった。ただこの者がモンゴル軍の到来を予期したのは、その時点ではなかった。オトラルが攻囲されたとの報が入った時、否、もっと前のチンギスとやらが大軍を発したとの報が入った時、否、もっと前である。


 ここに立ち寄って入国したモンゴルの使者をスルターンが殺したとの報告を受けた後のことであった。スルターンは使者に付き添う二人のモンゴル人の方は、チンギスに伝えさせるためにあえて生かし、戻ることを許したのであった。その二人を、ホジェンドの対岸に留め置いたモンゴルの一隊の下に送り届けたのはティムール自身であった。


 ゆえにそのことは鮮明に憶えておった。スルターンがただ恥辱を与えるために剃らせたモンゴル人の髭の跡の生々しき青白さと共に。そしてそれ以上にモンゴル兵たちの中の不穏な空気と共に――それは二人が何事かを告げた後にみるみる膨れあがった。


 モンゴル隊は百人程度とあらかじめ聞いておったので、己の護衛には三百もおれば十分と考え、それを率いて来ておったのだが。


 こやつらは彼我の軍勢の差にかかわらず、恥辱を晴らさんとするのではないか。攻撃を仕掛けて来るのではないか。その想いに駆られ、離れたところでその様を見ておったティムールは、まさに逃げる如くに川岸に戻り、船に乗り込んだのであった。そしてきっとこの者たちは復讐に来る、それを覚悟したのだった。


 岸沿いに布陣を終えたモンゴル軍は最初こそ投石や矢の攻撃を試みたが、しかし全く届かぬと見るや、次の行動に移った。いずこからか馬の背に乗せて、あるいは人が背負ったり抱えたりして、たくさんの石を運んで来て、ぬかるむ岸や川面へと投じ始めた。


 まずは川岸まで足を取られることなく馬が至れる道を作ること。さらには、そこから先、船を連結して城塞へ至る船橋を造る――そのために、それを固定しても壊れぬように、川岸を補強しておるものと想われた。


 無論ティムールには、みすみすそれを許す気はなかった。モンゴル軍がそのような策に出るであろうことは当然予想しており、ゆえに策も講じておった。


 装甲船とでもいうべきものを十二艘建造しており、船は防御用の覆いを備えておった。フェルトを湿らせ、それを酢でこねた粘土により補強したものである。これにより火矢や火炎瓶、小石程度の投石を防ぎ得た。


 無論大石が当たればひとたまりもないが、そもそも流れのある川の上であれば、船は同じ所に留まっておらず、ゆえに投石機で狙いを定めるのは困難であった。たまたま当たりそうな時は、下流側に逃げれば――流れに任せるなり、それでも足りなければ櫂で漕げば――容易に避けることができた。


 これを派遣して、川岸で工事しておるモンゴル軍に矢の雨あられを加えた。更には、モンゴル側が陸上で造った船を川に浮かべた途端、火矢を撃ち込み、火炎瓶を投じてことごとくを沈めた。


 ただしその攻撃は船上からのものに留まった。陸に上がれば当然騎兵を相手にせざるを得ず、ティムールもまたモンゴルの騎馬軍を恐れており、決して上陸するなと厳命しておったゆえに。


 スルターンの騎馬軍がおればとの想いは最早なかった。確かにスルターンは、もしモンゴル軍がホジェンドに至ることがあれば、きっと援軍を送ると約束された。しかしオトラルが落ち、更にはブハーラーもサマルカンドも落ちたとなれば、それを期待できぬは明らかであった。


 そしてモンゴル側は船橋を造ろうとしてははばまれるを繰り返した後、遂にはその試みをあきらめたようであり、更には陣を船から攻撃を受けぬところまで遠ざけた。


 ゆえに両軍手詰まりの状態となった。




(注 ホジェンドはオトラルの上流側にあり、これらは、シルダリヤ川沿いの2大要衡でもある。ここを落とせば、モンゴル軍は、初期の軍事目標であったホラズム帝国の北東部の制圧を完了する(詳細は、『第3部第7話 オトラル戦4:チンギス軍議1』)と共に、モンゴル本土からの援軍・糧食の補給路の確保も併せてなしえることになる(詳細は、『第3部第78話 チンギス軍議@サマルカンド2』)

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