第84話 母と子4:ニーシャープールのスルターン

 バルフからも逃亡したスルターン一行は、ひたすら西に向かう。経路沿いとまでは言えぬも多少なりとも近くを通るヘラート――重臣アミーン・アル・ムルクの拠点――には、立ち寄ることもなく通り過ぎた。そしてヒジュラ歴六一七年サファル(第二)月の一二日(西暦一二二〇年四月一八日頃)の夜、ニーシャープールに入った。


 バルフからここまで直線距離にておよそ七〇〇キロ超。日本であれば東京から広島の先まで行ける距離である。長駆逃げて来たと言って良い。


 スルターンは三人の者にニーシャープールの住民の統治を任せた。とはいえ、実質は、住民の代表者を追認したというに過ぎぬ。この時代にてはすこぶるありふれたことであった。


 ただ異常事もあった。スルターンのであれ臣従した勢力のであれ、軍隊が駐屯しておらなかったのである。


 ここはまさにその繁栄のゆえに、セルジューク朝の瓦解後に二大勢力たるグール朝とホラズム朝の激しき争奪の的となった。となれば、現地勢力が存続する余地などない。


 しかしスルターンの軍はいてしかるべきである。こちらの方はまさにモンゴルの大軍の侵攻のゆえであった。各地の軍勢は厳しい選択を迫られ、留まるを選んでモンゴル軍と戦う者もおれば、最初から臣従し許しを請う者もおった。そのいずれでもなければ後は逃げるの一手となる。


 この時までにモンゴル軍はオトラル、サマルカンド、ブハーラーを落としており、スルターンの軍は敗れあるいは逃げて、遠巻きにする状況となっておった。そのゆえに、ホラーサーン(アムダリヤ川南岸の広大肥沃な地)の四大都城の一つには全くふさわしいことではないが、スルターンの軍隊は不在であった。


 そしてスルターンはそれを憂うでもなく――かつてここの城壁を自らが破壊したことは後悔したが――新たに城主を任命して軍隊を駐屯させるでもなく、むしろモンゴル軍と戦うことはその命を捨てるに等しいとし、むしろ捨てるべきはこの地であるとして、離散することを住民に勧めるのであった。


 スルターンは猟に赴くといつわり、己に付き従う者の大部分を置き去りにしてニーシャープールを出発した。これだけの軍勢を率いるならば、ここにスルターンありと喧伝しながら進むようなものと考えたゆえである。そして、サマルカンドから必死の想いで逃げ来たったアルプ・エル・カンであったが、この者もまた共に逃げるを許されなかった。




 この時スルターンは近郊の聖地マシュハドを訪れておる。シーア派第八代教主リダー(ペルシア語読みすればレザー)の墓廟を訪れ、祈願したのである。ムスリム社会にてその墓を訪れ、埋葬されておる聖者に神へのとりなしを頼むことは広く行われたことであった。無論のこと、この時、物見遊山などするはずもなければ。


 ただホラズム・シャー家は代々スンナであり、あくまでリダーの血筋を敬ってであった。リダーは、予言者ムハンマドの娘ファーティマと第四代正統カリフ・アリーの間の息子フサイン(シーア派第3代教主)の子孫である。


 アッバース朝カリフ・ナースィル――名目的とはいえスンナの指導者である――との激しい確執とそれゆえの憎しみが、この祈願をなさしめるのに一役買ったのは確かであったが。


 そして、この時、その体調悪化のためか、スルターンの顔の一部には吹き出物ができており、その端正なる印象を台無しにしておった。そしてそれを見た人々の心の中に次の如くの疑心を引き起こした。


 スルターンは何か悪いものに取り憑かれておるのではないか。そしてそれがこの国に災厄を招き寄せているのではないか。ならば、この国の命運は既に尽きておるのではないか。


 スルターンが祈願したことと、全く逆のことが、人口じんこう膾炙かいしゃすることとなったのであった。

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