第83話 母と子3:この時のスルターンの想い

 ここでホラズム・シャー家の興りを少しばかり。イランの地の歴史は古いが、ホラズム・シャー家の興りは貴いものでも古いものでもない。


 その一つ前の王朝たるセルジューク朝の第三代マリク・シャー(在位一〇七二~九二)の時であった。その高官に始祖ヌーシュ・テギン・ガルチャが買われたことに始まる。この者は奴隷であったが、水盤棒持者にまで成り上がるを得た。


 二代目で既にホラズム領主となり、セルジューク朝はやがて弱体化するも、この地の覇権を握ったと言い得るのはようやく六代目テキッシュ、現スルターンの父の時であった。




 その現スルターンは逃走中、長子たるジャラール・ウッディーンの二つの訴えを退け続けておった。


 一つは現在の如き逃走生活を止め、軍を集結させてモンゴル軍と決戦を試みるべきであるというもの。

 もう一つは父上に戦う気がないならば、己に軍の指揮権を与えて欲しいというもの。


 ただ無闇にわずらわしいからという理由だけで、ジャラールの訴えを退け続けた訳ではない。その判断が正しいという明確な確信があり、それはスルターン自身の将来の計画から来るものであった。モンゴル軍が去った後の。あれほど遠き地から来た軍勢が、ここに留まり続けるということはありえぬ。やがていなくなるのは明白であった。



 であればこそ、ジャラールの第一の訴えはまずもって退けねばならぬものであった。自軍より強きことが明らかな軍勢と戦うなど、しかも自軍を集結させて一大決戦に臨むなど、そのようなこと、一国の君主であれば決して試みてはならぬことであった。


 何故ならば、それは亡国の行いに他ならぬゆえに。このような明々白々なことが分からぬとは、我が子ながら、あの者ジャラールには慎重さが恐ろしく欠けておると、スルターンには想えて仕方がなかった。


 ただジャラールに直接そう告げた訳ではない。イスラームの教えにこと寄せて、納得させようとした。現実的なことをいくら説いたところで、耳に届かぬは明らかであった。



 そしてもう一つの訴えも、やはりモンゴルの去った後を考えるならば、認めることはできなかった。指揮権を譲るなど、これはスルターンの位を譲ることと同じではないか。


 あの者はモンゴル軍を打ち破るためと言いながら、事実上、公然と要求しておるのだ。その厚顔無恥振りには驚く他ないというのが、率直なところであった。


 またずっと後であれ、つまり己の死後であれ、ジャラールに譲る気はなかった。別の息子がおった。


 我が国が強盛を保ち続けるには、カンクリ勢との協力・同盟維持は欠かせぬ。そのためには、母上の意向は決しておろそかにはできぬ。母上が望まれる以上、次のスルターンはウーズラーグ以外にはありえぬ。少なくともこのことは、皇太子に任命して、その意思を明らかにしておるつもりであった。


 そしてウーズラーグの母もまたカンクリの娘。ならば、そのスルターン就任により、カンクリ勢との結びつきは、一層確かなものとなろうし、我がホラズム国の栄えは約束されたも同然となろう。そしてそれこそが己自身望むことであったし、祖先より受け継いだこの国のスルターンとしての、第一の務めであると考えておった。


 ただあの者ジャラールは手許に置いておくだけの価値はある。それは、その武勇ゆえというよりは、何よりあの者はカンクリ勢に対する、母上に対する切り札となりえるゆえに。そしてカンクリ勢がそして母上が我をあまりにもないがしろにするならば、ジャラールを皇太子とする。このありえる一手を、我がジャラールを傍らに置いておる限り、母上もカンクリ勢も考慮せねばならぬ。否、もっとはっきり言えば恐れるべきである。それをなしえる我を。



 逃走中に用いておる天幕の中でのこと。スルターンは己の下で誘うが如くに甘い息を漏らし始めた妃から自ら身をはがした。相手は己の愛撫により、こちらを迎え入れる準備はできておったにもかかわらずであった。肝腎の己のものが、それをなしえる状態にならなかったのである。


(やはり己の心は恐怖に領されておるのか?)


 スルターンはむしろ、それを否定したくてこれを始めたのであったが。まだ肌寒さの残る夜気を感じるも、それを和らげるためだけであれ、その後、妃と体を重ねようとはしなかった。



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