第78話 チンギス軍議@サマルカンド2

 やがて「ボオルチュよ。始めてくれ」との父上の厳しき声がした。


 その言葉を合図にボオルチュは数歩進み出てひざまずき、「かしこまりました」との拝命の後、立ち上がって重臣たちの方に向き直り説明を始めた。


 いつもの如く、あらかじめ軍略は父上とトゥルイ、ボオルチュで練ったのであろう。あるいはシギ・クトクも加わったのかもしれぬ。あの者は実の子の我らより気に入られておるから。


「まずスルターンの動きですが、どうやら我らがサマルカンドに着いた時には、既に逃亡しておった模様です。そしてアムダリヤ川を渡ってバルフにおるはずとの報告が、サマルカンドにて捕らえた敵将から上がって来ております。しかし今でもバルフに留まっておるか否かは定かなりませぬ。このスルターン追討については、カンはジェベ・ノヤン、スベエテイ・バアトル、トクチャル・ノヤンの三人に各々万人隊を授け、追討させようとのお考えであります」


 その三人の名を聞いて、というより、この任務に己とチャアダイが指名されなかったと分かり、父上はどうやら本気で捕まえるつもりらしいと、口に出しでもしたらこっぴどく怒られかねぬ想いを抱く。


 追討はのんびりの進軍など望むべくもない。兵も馬も――そして己も――疲弊するたいへんなもので、正直いやだなと想っておったオゴデイであった。それを外れたはうれしくはあったが、一方でやはり父上の中では己とチャアダイは軍事における評価は低いのだなという事実を改めてあからさまにされ、その点はさびしくはあった。ただのんびり屋の人と争うことを好まぬオゴデイにとっては、あくまで少しばかりであった。


 ボオルチュはまずその件について皆の意見を求めたが、チャアダイ以下誰もそれに反対する者はおらなかった。


 ジェベは先のナイマンのグチュルク追討を見事にやってのけたことで改めて名を上げており、そしてスベエテイもジェベに劣るところは全くない。この二人はモンゴルきっての名将と言って良い。


 そしてトクチャルは母上ボルテの一族オンギラトの出身であり、我らの姉妹の夫でもあった。金国遠征の時にはまだ従わぬ勢力から留守営アウルクを守る任務を二千の兵を授けられて託された。更にはスベエテイによるメルキト残党の追討にては先発隊アルギンチの将として従軍し、見事その重責を果たしたと聞く。今回の抜擢といい、父上のこの者に対する期待のほどがうかがえようというもの。


 オゴデイにも反対する理由はみつからぬ。


「ジェベよ。スベエテイよ。トクチャルよ。頼むぞ」


 反対意見がないのを受けて、そう父上が告げた。


 群臣の中におる三人は一端前に出て来て、跪拝の上、各々任命を受け入れる返事をした。トクチャルの答えに気負いが見られるのも、こたび託された大任を想えば当然のこととオゴデイには想えた。


「また追跡に当たっては守らねばならぬことがある。決してこれに反することのなきよう肝に銘じよ。ボオルチュ。説明してくれ」


「はい。現在アミーン・アル・マリクという者に対する調略を進めております。ゆえにこの者の治める地を決して荒らしてはなりませぬ。その帰趨が今回の軍征の帰結を左右しかねぬほどの重要人物であり、是が非にも我が方に取り込みたく考えております」


「追うのはその三部隊で十分であろう。ただスルターンが逃げ込む先をまず抑える必要もあるのではないか」

 とチャアダイが問うた。


「はい。それについてはチャアダイ大ノヤンとオゴデイ大ノヤンにお任せしたいというのが、カンのお考えであります」


 ボオルチュが我らの方を向いて、そう告げると、


「ウルゲンチのことか」


 それがはなから頭にあって最初の質問をチャアダイがしたことは、明らかであった。そしてオゴデイもまた次に我らが託されるは、先の追討の件か、このウルゲンチ攻めであろうと予想しておった。


 実際オトラルの軍議にてそこを攻めるは己と次兄チャアダイ、更には長兄のジョチであり、その攻めの指揮はジョチに託すとまで決まっておったはずだ。そして自身の最大の関心はまさにそこにあることを隠す素振りも見せず、チャアダイは続けざまに問うた。


「その攻めにはジョチも参加するのか。そしてその大将は誰が務めるのだ」


「ジョチ大ノヤンも」とボオルチュが答えようとするのを、


「このまえ決めた通りだ。チャアダイよ」とチンギスが割って入った。


 そしてそれを聞いたチャアダイは、厳めしき顔のまま、いらぬことを尋ねたとの悪びれた表情も見せず、ただ素直には引き下がった。そしてとにかく和というものを重んじるオゴデイはほっとしたのであった。


「ボオルチュも同行させる。その言葉を我からのものとして聞け。よいな。そしてジョチと力を合わせてウルゲンチを落とせ。

 ただしこの遠き地まで赴き、更に戦を重ねて来た。兵馬は疲れ切っておる。またウルゲンチは大河アムダリヤがうるおすとはいえ、その周りを砂漠に囲まれておるとのこと。アムダリヤ川沿いを進むならば、川や運河が進軍の邪魔となろう。砂漠を進むならば、水と草を得るのに苦労しよう。

 出陣は川が凍り、雪が期待できる冬間近まで待て。いずれの経路を取るかは、ボオルチュと相談の上で、そなたたちが決めよ。それまでは兵馬を十分に休ませよ」


 チャアダイ、オゴデイ、ボオルチュ、いずれもその場でひざまずいてその命を受けた。それからボオルチュが再び口を開いた。


「カンはここサマルカンドを中継基地にしようとのお考えです。モンゴル本土の留守営アウルクからは弟君おとうとぎみのオッチギン大ノヤンが兵馬、家畜、糧食を送ってくれる手はずとなっております。しかしオトラル経由では明らかに遠回りとなります。ゆえにここから北上し、その途上の敵を平定し、新たな補給路を確保することが必要です。

 経路上の最大の要衡はホジェンドです。スイケトゥ・チェルビはそこの城主といわくありとのことで征討に赴きたいとの旨を強く願い出ました。よって、カンはこれをお認めになり、更にはバアリンのアラク・ノヤン、スルドスのタカイ・バアトルを加えた3名にこの任務を委ね、五千人隊を授けるお考えです」


 当然必要なこと、むしろ遅いくらいだと想ったが、そんな軽口を叩いて父上の勘気をこうむることはオゴデイの最も避けたきこと。当然口に出すはずもない。他の者たちも同様であったのか、いずれにしろ反対意見は出ず、スイケトゥたちはやはり進み出てひざまずき拝命の返答をした。


 更にチンギスは付け加えて、


「ジョチの部隊がその下流の征討に当たっておる。冬にはウルゲンチへと進軍予定であるが、しばらくは留まっておる。ジョチとは常に連絡を取り、もし共同作戦の必要が生じれば、ジョチの指揮下に入ってこたびの命をなし遂げよ」


 三人は異口同音に「承りました」との返答をした。


 併せてウイグルのイディクート、ジャライルのヤサウル、ドルベンのドルベイ・ドクシン、ジルギンのカダク・バアトルに、ここから南東方面、アムダリヤ川に注ぐワフシュ川下流域の征討が命じられた。他の方面についても部隊と共にそれを率いる将が決められた。


「我が大中軍もまた十分なる休養の後に、秋に南下してティルミズを攻める」

 と告げてからの

「とこしえなる天の御力により、我らはなし遂げようぞ」

 とのチンギスの言葉を以て軍議は締めくくられた。


 ボオルチュが加わることは予想外であったな。お目付役といったところであろうか。己の天幕ゲルに戻りつつ想う。それだけジョチとチャアダイの仲を心配しておるということか。何とはなしに、まさか己が酒を飲み過ぎぬためのお目付役ではあるまいなとの想いに至り、オゴデイはそこで初めて本心からの厳めしき顔となった。




  人物紹介

 モンゴル側

チンギス・カン:モンゴル帝国の君主


オッチギン:チンギスの同母弟であり、その中では末弟。


ジョチ:チンギスと正妻ボルテの間の長子。


チャアダイ:同上の第2子


オゴデイ:同上の第3子


トゥルイ:同上の第4子。


ボオルチュ:チンギス筆頭の家臣。アルラト氏族。四駿(馬)の一人。

  

シギ・クトク:チンギスの寵臣。戦場で拾われ正妻ボルテに育てられた。タタルの王族。


ジェベ:チンギスの臣。四狗の一人。ベスト氏族。


スベエテイ・バアトル:チンギスの臣。四狗の一人。ウリャンカイ氏族。


トクチャル:駙馬グレゲン。オンギラト氏族(正妻ボルテの一族)。


 ホラズム側

スルターン・ムハンマド:ホラズム帝国の現君主。


アミーン・アル・ムルク:ヘラートの城主。テルケン・カトンの弟。スルターンにとっては叔父。カンクリの王族。詳細は第3部65~66話『バルフのスルターン1~2』をご覧ください。

  人物紹介終わり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る