第79話 ブハーラーの商人 終話 

 ブハーラーから現地徴集軍として連れて来られた2人、〈唇薄き者〉と〈何の特徴もなき男〉、この者たちは、他の捕虜と同様、サマルカンド陥落の後、放免された。


 ただ、ブハーラーにすぐに戻るとの話にはならなかった。〈何の特徴もなき男〉が長老を殺したゆえである。最悪、殺人罪で訴えられる可能性があった。もちろん、誰かに犯罪を見られた訳ではなかったが。身近におる者がなしたに違いないとして、疑われる可能性はあったし、何より、彼は自らそこより姿を消したのだ。それを考えれば、その可能性は十分高いとの結論に2人は達した。


 それゆえサマルカンドに留まることにした。下手にうろつけば、モンゴル軍との戦禍に巻き込まれる恐れもあった。既に陥落した以上、サマルカンドは却って安全に想われたのだ。


 といって、この2人に行く当てがある訳ではなかった。もちろん、ブハーラーの商人グループとつながりの深い者というのは、サマルカンドにもおった。しかし、一つには、〈唇薄き者〉が既にそこから離脱しておったこと、より決定的なこととしてはやはり〈何の特徴もなき男〉のことがあり、連絡を取ることははばかられた。


 それもあって、2人はサマルカンドの攻囲時に、たまたま同じ10人隊へ組み込まれた男つながりの知り合いから誘われるままに、スーフィーたちの集まりに身を寄せることにした。


 2人はその教団タリーカシャイフへ信仰の誓いをなして入門を認められた。


 スーフィー――デルヴィーシュとも言われるが――これは、仏教でいえば托鉢僧の如く放浪しつつ富貴を厳しく拒み、自らを清貧に保ち、信仰の道を究めようとする者たちのことである。


 まさに、このスーフィー教団というのは、歴史的にみれば、これから隆盛することになるのであり、ゆえにこそ、新たな信者を求める動きが活発でもあり、いわば、互いの思惑が合致したものともいえた。

 

 一例を挙げれば、後にイランの地に建国されるサファヴィー朝は、こうしたスーフィー教団の一つを礎として成立したものであった。


 この2人を語るのは、これが最後である。ゆえに2人を名をもって呼ぶことで、その未来に幸あらんことを願うとしよう。


 〈唇薄き者〉:スライマーン・イブン・ハサン・ブハーリー


(注:スライマーンとは旧約聖書に伝えられるソロモン王のことである。イスラームにては、王は預言者の一人としてたっとばれ、ゆえに、男子の名前に多く用いられた。オスマン帝国のスレイマンはこの名のトルコ語形である)


 〈何の特徴もなき男〉:アブド・アッラー・サマルカンディー


 (注:アブド・アッラーは神の奴隷を意味する)

 

 名の最後は、この者たちの故郷を示す2つ名ニスパである。アブド・アッラーはブハーラー出身者たる過去を捨てたのであった。併せて、これまでは、顔を見たこともない父親の名も――通常イブンの語と共にそれを示す――この時省いた。


 スライマーンは、ある程度、時が経つのを待って、ブハーラーの方に戻って行った。2人の間では、状況を見定めて、まずはブハーラー~サマルカンド間の交易から始めようということで、話がついておった


 そして残ったアブド・アッラーの方は、修練所の雑役を引き受けることにより、教団より食と住を与えられており、スライマーンが荷を携えて至るのを待っておったが、まだそういう状況ではないらしく、未だ至らぬ。


 朝、いつもの如く、修練所へと赴き、修練に入った。皆と共にズィクル――定型文句で、仏教でいう称名念仏の如くのもの――を唱える。未だ意味を十分に理解したとは言い難かった。ただ気分は高揚する。


 息が切れてきて、頭がボーッとして来て、何かが明滅するのが見える。


 師は、アッラーは光だとおっしゃった。


 まさか、私に見えているこれが神とは想えない。ズィクルを連続してするには、うまく息継ぎができなければならないのだが、己はまだできていなかった。ただ、そのゆえと想われた。


 それでも楽しく嬉しかった。私でも、こんな気分になることがあるのか。そしてそれが許されるのか。


 想わず知らず、笑顔となっておった。




 初めて会ったとき、シャイフに次の如く問うた。


「私は大きな罪を犯しました。神は許されましょうか」


「神との合一の道は、ずっと険しく遠い。それゆえ、何よりそこに至ろうとする強い意志が望まれる。もし罪を犯し、そのゆえに深く悔いるなら、そして、その後悔ゆえに、神との合一を強く求めるなら、かえってそなたは他の者より神のお側近くに至れるかもしれぬ」


「まことですか」


「その代わりに厳しき修練の日々が待っておると、そう心得よ」


 その後、4度のタクビール――神は偉大なりアッラー・アクバルを唱えること――を求められた私は、素直に従った。聞いたところでは、その理由がまた私の求めるところでもあったゆえに。そう、これまでの私は死に、それをとむらい、生まれ変わるためであると。



 そして、今。入団して数ヶ月が経っておった。


 食事を取った後の、うだる昼下がり。アブド・アッラーは習いとして、この余りの暑さにもかかわらず、行き交う者――無論朝夕に比べれば、ずっと少ないが、人それぞれに事情というものがあるのだろう――を呼び止めておった。


 そして修練所にある井戸から汲んだ冷たい水で銅製のカップを満たして勧めては、その喉をうるおさせておったのである。水を配るのは、イスラームにて善行の一つとされた。


 丈高い木の陰で休みつつである。座ってでさえ、日光の下に立つなら、暑気で参ってしまいそうであった。一人の若者が駆けて来て、慌てて立つも水をカップに汲む間に行き過ぎてしまった。


 アブド・アッラーは知らぬも、家路を急ぐアリーであった。

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