第77話 チンギス軍議@サマルカンド1

  人物紹介

 モンゴル側

チンギス・カン:モンゴル帝国の君主


ジョチ:チンギスと正妻ボルテの間の長子。


チャアダイ:同上の第2子


オゴデイ:同上の第3子


トゥルイ:同上の第4子。


ボオルチュ:チンギス筆頭の家臣。アルラト氏族。四駿(馬)の一人。

  人物紹介終わり




 チンギスの天幕ゲルの入口の両脇に黒のトクとまだらのトクが立てられておった。


 黒のトクといえば、それに宿るはずの軍神ジャムカが何とまだ存命しており、しかも父上のお命を狙って突撃して来たとのこと。これについては、確かに殺すを得たと聞いた。ジャムカを殊の外丁重に葬るよう父上が命じられたというだけで、他には何の説明もなかった。遂に黒のトクに宿る軍神となったのであろうか。


 ならば、我らの新たなる捧げ物に満足したであろうか。そう、オトラルにて捕らえたイナルチュクは処刑され、その首は黒のトクへと架けられておった。


 ただ、その首は腐臭を放ち出したので、既にどこぞに捨てられておった。寒冷な故郷なら我らの戦果を今しばらくは誇示しえたであろうがなどとあらぬことを考えつつ、チャアダイに続いてその内に入ったオゴデイは、緊迫した雰囲気に気付かざるを得なかった。


 通常、軍議の始まる前には多少なりとも挨拶交じりの雑談が交わされておるものだが、皆、無言である。オゴデイは進みながら父上の顔をちらりと覗き見て、このぴりついている雰囲気の大元がやはり父上の不機嫌さであることを確認した。


 そしてすぐにこの後に開かれるであろう勝利の大宴にて好きなだけ飲めるとの期待を断念した。酒は供されようが、下手をすると女は早々に退出させられ、歌も踊りもない大反省会になりかねぬ。とても楽しめるものではなく酔えるものでもなかった。


 オゴデイには苦痛でしかなかったが、却ってそのような宴を喜ぶ者たちも確かにおった。今は華北におるムカリや今回の西征に付き従っておるジャライルのバラなどはその筆頭であったが、それもあってあのように父上に重用されておるのだろうと想われた。


 己への当てつけの如くに感じられもするが、人それぞれと想いなし、それを根に持つこともないオゴデイではあった。ただ今回酒が楽しめぬであろうことは特に残念であった。


 大酒飲みたるオゴデイにとって軍征時の最もつらいことといえば、酒絡みのことである。オトラル攻囲の時から傍らにはチャアダイがおり、我慢せざるを得なかった。父上には軍征中は酒を控えるよう直接厳しく言われておったし、またチャアダイは父上に己に酒を控えさせるよう、やはり言われておるとのことであった。


 それでもオトラル陥落の後は、勝利の宴にて好きなだけ飲むことができた。そしてサマルカンドへの移動時はまたチャアダイの目を盗んで酒を飲む如くとなった。監視するために、チャアダイが不意に陣営を訪れること度々であり、また共に食事をしようとの申し出も度々であった。


 サマルカンドに着いて後は、父上がおれば、酒で喉をうるおすことはほとんどできておらなかった。もし急に呼ばれて、酒の臭いでもさせていようものなら、大喝されるのを覚悟せねばならぬ。それがようやくと想っておったのだが。


 父上は、テンゲリ(モンゴルのシャマン)よりもらったオンゴン像を背に南面して座しており、その下方の左側には既にトゥルイが立っておった。ジョチがおらぬので、上座たる右側を空けてくれたようだ。そして更に下方に重臣たちが北面して立ち並んでおり、その先頭にボオルチュが立っておった。


 オゴデイはチャアダイと共にカンの下方右側に立った。


 父上はこうした時の常で、配下に八つ当たりするなどということはなく、むしろ自制に努めておる如くに見えた。


 ただそれを察せぬようでは、父上の息子や側近が務まるはずもない。息子の中でただ一人常に傍らにおるトゥルイを筆頭に、重臣たちはそろいもそろっていかめしき顔をして緊迫感を高めておる。


 そしてチャアダイはいつも通りの強面こわもてならば、その雰囲気を和らげるのに役に立とうはずもなく、またその気もないようであった。


 といってならばここはわれが場を和らげるのに一役買いましょうと持ち前のほがらかさ、柔和さを押し通せるオゴデイではない。やれやれと想い、己もまた強面の振りをする。


 ただ父上のその不機嫌さが全く理解できぬオゴデイではない。むしろ当然と言ってさえ良かった。


 父上はブハーラー、サマルカンドと立て続けに、しかも迅速に陥落させた。その点ではオトラル攻略に時間を要した我らに比べれば、さすが父上というほかないが。ただ最大の標的たるスルターンを取り逃がしておった。またその大勝も敵主力を壊滅したものではなく、少なからずの騎馬隊を取り逃がしたと聞く。


 これでは少なくとも城主たるイナルチュクを捕らえた我らの方が、戦果としてはましである。それに対しては、先日ここに到着した時に、まずはご挨拶にと赴いた際に、ご苦労であった、よくぞ仇を捕らえたとほめては頂いたが。

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