第76話 サマルカンド戦 終話
人物紹介
モンゴル側
チンギス・カン:モンゴル帝国の君主。
ホラズム側
スルターン・ムハンマド:ホラズム帝国の現君主。
アルプ・エル・カン:サマルカンドの守将。マムルーク部隊を率いる。詳細は前話参照のこと。
人物紹介終了
アルプが予測した如く、そこは巨大な乱戦に陥った。そこまで至るを得た軍勢のうち、およそ4割が殺されるか、捕らえられるかしたが、残りは逃げるを得た。後方につかえた部隊が、先に逃げる部隊にとって盾となり得たこと。それと、夜に入ったため、モンゴル軍は同士討ちや落馬――馬のつまずきや転倒に伴う――を恐れ、その追跡の勢いが随分と弱まったためであった。
そしてその夜のうちにサマルカンド城内に残っておったグール勢とカラジ勢が逃走を試みた。生存率はこちらの方が上回った。夜間であったこと、また進路を一端大きく北東に取ったこともあった。南に向かえば自らモンゴル軍に近づくという愚を犯すことになる。ただ一番大きな要因は、スルターンがおるなら騎馬隊の中であろうとして、チンギスがその追討に軍勢を集中し、歩兵隊については実質捨て置いたゆえであった。
後日捕虜となった者のうち、武将は処刑され、兵はカン自身や王族・諸将に分配された。
住民勢はすぐに降伏した。ただ戦うことを選択した者たちも皆無ではなかった。千人の者が大モスクに立て籠もり、最後の抵抗を試みた。その信仰心から異教徒に屈するを良しとせず、ここを死に場所と選んだのであった。
サマルカンド陥落はヒジュラ歴六一七年ムハッラム(第一)月の十日アーシューラーの日(一二二〇年三月一九日頃)である。アーシューラーの日とは、第三代教主フサインの死を悼んでシーア派が大祭を行う特別な日である。
ところでこの時のスルターン旗下の軍の内実とは以下の如くであった。
スルターンは一万の軍をサマルカンドに派遣したが、戦うことなく、敗軍の如くに戻って来た。次にスルターンが二万の軍を派遣した時も戦うことなく戻って来た。
その理由は想像に難くない。援軍に赴いても無駄、負けるは必定、死にに行くようなものとの共通認識が――少なくともサマルカンド戦については――ホラズム軍にあったということである。
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