第67話 ソグドの地、そしてサマルカンド

 この地方はさまざまな名を有する。トルキスタン――トルコ人の地を意味するペルシア語。マーワラー・アンナフル――川向こうの地を意味するアラビア語、ここでの川はアムダリヤ川を指す。しかし日本人にはソグドという方がなじみがあろう。そう、東西交易に大活躍したソグド人の故地であり、サマルカンドはその中心地であった。何故、そうであったのか。


 それはまさにここの地理ゆえである。ここは遊牧勢力に隣接する地であり、そこを越えて行けば、莫大な富と人口を抱え、西域にはない品々が溢れておる中国に至る。物を売るにしろ買うにしろ、これほど望ましき地はない。


 そしてそれは十世紀この都城の内城の東門の名がチン門、則ち中国門であったことにも如実に現れておる。ここより発した隊商が向かうはまさに中国であったのである。他の門の名が(西にある)ブハーラーや(南にある)キシュと実際の地名を冠しておることから見ても、その門を出て向かった先の地名を名付けたことは明らかである。そしてソグド人は途中の中継地に移り住み、交易路の確保を図ったことが知られておる。


 ところで早くからソグドも遊牧勢力に臣従しておったと伝えられる。しかしこれこそがソグド商人発展の好機となった。長距離交易をなさんとすれば、どうしても自国の庇護の及ばぬところへと赴かざるを得ない。そうした時、強盛な遊牧勢力が後ろ盾となり、行路の安全を保証してくれるならば、それはまさに望みうる最善と言えたろう。東西のアジアにまたがる草原を支配した突厥帝国の出現とソグド人が最も活躍した時期が重なるのも当然といえる。少なくともその勢力下にては安全に通行できた。


 商人ではないが、七世紀の前半、唐の玄奘がインドへ仏典を取りに行く旅をなし得たのはまさに突厥の勢威のもたらした行路の安全性のゆえと言える。実際、葉護可汗に謁見を求めて素葉水城に至ったのは、その庇護を願い出るためであったろう。


 またトルコ、モンゴル系の遊牧勢力は一族の外より后妃を迎えるを習慣としたので、ソグド人が入り込む余地のない訳ではない。とはいえその血統は厳しく問われるので、婚姻はまず支配者間でなされたとみるのが妥当であろう。サマルカンドやブハーラーなどを支配するソグドの王たちと突厥帝国の支配層との間で。


 サマルカンドを訪れた玄奘はここの兵馬は強盛で多くは赭羯であると伝える。赭羯とは勇敢な戦士を意味するトルコ語チャカルの音写と考えられている。ゾロアスター教を信仰する王が突厥に臣属しつつも、その支配勢力との婚姻を通じて、トルコ系の騎馬軍団を手に入れ、それに頼って周辺を軍事支配し、この地の中心でありえたというのが、その時の状況であったのだろう。


 もっともこの後、突厥が唐朝に隷属し、このソグドの王の後裔は迫るアラブ軍の脅威に怯え、唐朝の軍事力を頼みとする状況に陥ることになる。そしてなされたタラス川にての唐とアッバース朝の決戦(七五一年)の帰趨が、この地にてのゾロアスターとソグドの衰亡とイスラームとアラブの隆盛を決定付けることになる。

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