このエピソードを読む
2023年3月8日 18:02
耶律阿海という方は知りませんでした。耶律楚材をチンギスカンに推挙したそうですね。なかなかの軍師だと思います!
作者からの返信
コメントありがとうございます。 阿海に興味を抱いていただいて嬉しいです。日本では、楚材の方が有名ですが。軍勢を率いておったということもあり、往時、チンギスのおぼえが良かったのは、明らかに阿海の方です。実のところを言えば、楚材はチンギスに近侍できたかも怪しいところではあります。漢籍ではその活躍振りが伝えられるも、イル・カン朝の歴史家のラシードなどは楚材の名を伝えておらず、漢籍が伝えるところは誇張があるのでは?と疑われております。 ところで、(耶律氏の率いる)キタイは遊牧勢の政権としては、時代的にはモンゴルより古いですが、定住民(農耕民)の取り扱いでは、モンゴルより積極的であったりします。恐らくそれは唐朝の影響と想われます。唐朝自体が純粋な漢民族の王朝というより、半ばではあるも、鮮卑系の王朝であるという捉え直しの中で、キタイとは何か?モンゴルとは何か?を考えることは、とても面白いです。そこらへんをうまく小説に活かせればいいのですが、なかなか難しかったりしますが。
耶律阿海という方は知りませんでした。耶律楚材をチンギスカンに推挙したそうですね。なかなかの軍師だと思います!
作者からの返信
コメントありがとうございます。
阿海に興味を抱いていただいて嬉しいです。日本では、楚材の方が有名ですが。軍勢を率いておったということもあり、往時、チンギスのおぼえが良かったのは、明らかに阿海の方です。実のところを言えば、楚材はチンギスに近侍できたかも怪しいところではあります。漢籍ではその活躍振りが伝えられるも、イル・カン朝の歴史家のラシードなどは楚材の名を伝えておらず、漢籍が伝えるところは誇張があるのでは?と疑われております。
ところで、(耶律氏の率いる)キタイは遊牧勢の政権としては、時代的にはモンゴルより古いですが、定住民(農耕民)の取り扱いでは、モンゴルより積極的であったりします。恐らくそれは唐朝の影響と想われます。唐朝自体が純粋な漢民族の王朝というより、半ばではあるも、鮮卑系の王朝であるという捉え直しの中で、キタイとは何か?モンゴルとは何か?を考えることは、とても面白いです。そこらへんをうまく小説に活かせればいいのですが、なかなか難しかったりしますが。