第42話 ブハーラー戦16:本丸戦8:亡霊7

  人物紹介

 モンゴル側

チンギス・カン:モンゴル帝国の君主


耶律やりつ 阿海あはい:チンギスの家臣。キタイ族。


耶律 綿思哥(メンスゲ):阿海の次男。ブハーラー本丸攻めの先遣隊を率いるも負傷する。


  人物紹介終了


 百人隊長の薬師奴ヤクシヌはメンスゲより指揮を引き継いだ。顔を出せば、すぐそこに矢が飛んで来る状況もまた同時にであった。


(注:このXX奴という名であるが、仏教が盛んであったキタイでは、しばしば見られる。ムスリムの間でもアブド・アッラー(神の奴)という名が好んで用いられる。興味深い対応といえよう)


 そもそも野天にての騎馬の戦いならば、矢というものは、そうそう狙い通りに当たるものではない。風もあるし、更には互いに騎馬を駆けさせてである。


 ところで、今ここではどうか。そもそも室内ゆえ、最大の外乱要因たる風が無い。


 またこちらから部屋への進入路は一つ。ゆえに、相手はおおよその見当をつけて、待ち受ければ良い。そしてこちらが姿をさらした途端、矢を放てば良いのだ。まさに狙い撃ってくださいといわんばかりであった。


 おまけに敵は何の危険にもさらされぬ。そして場所を動かぬなら、一射目より二射目、二射目より三射目が精度が上がるのは、当然といえた。


 更にいえば、敵は当然建物の構造を把握しておる。その間取りから退路まで全てだ。対して、こちらはそれを確認するためだけでも、実際、命がけであった。


 つい先ほど自ら顔を出してみたところ、そのわずかの間も敵は見逃してくれなかった。矢がすんでのところで顔に当たるところであり、たまがり上がり、更には肝を冷やしたのであった。


 メンスゲ殿からいきなり引き継いだということもあり、どこか己にも急く気持ちがあったか。とにかく自省し、まずはの手はうった。


 危険を冒して先ほど見た感じでは、それほど広くない。余り家具などは置かれていないようであった。恐らく休憩所か寝所であろう。相手側に隠れるものがないなら、『一気に』とは想わぬものでもない。


 とはいえ、いきなり身をさらせば、射られるだけ。阿呆という他ない。ゆえに待っておったのだ。


(メンスゲ殿は少し功にはやられたのであろう)

 正直、そう想う。

(ただ、それも致し方なきか)

 とも想う。


 これだけ有力な将が顔をそろえるカンの軍勢である。当然、功をあげる機会は少ない。そしてそれをつかみ取ってきたお父上に託されたならば、


(当然、力は入ろう)


 やがて身を隠せるほどの盾が、いくつも来た。配下の兵3人にそれぞれ盾を持たせる。そして、それを前面に押し立てつつ、横並びになるよう展開させる。これで入口をほぼふさぐ形となる。


 盾に次次と矢が当たるのが分かる。無論、こちらが姿をさらすことはない。そしてこれ以上、押し出すつもりもない。


その態勢で待つ。効果無しと分かれば、当然、敵は矢を射るのを止める。そして次の一手に出るはずだからである。


 決死の兵といえど、矢の無駄撃ちは嫌うものだ。死ぬからどうでも良いなどとは、人はなかなかならぬ。口で何と言おうが、心のどこかで自らは生き延びるのではと考え、それに従って動く。


 を棄てるのは、言うほど簡単ではない。そしてそうである以上、我らは敵の動きを読み、追い込むことができる。


 十中八九逃げよう。

 そう推測し得た。




 そしてしばらくすると、実際に多くの足音が聞こえだした。それがしなくなってからも、少し待った。


 それから、ようやくであった。盾を持つ兵たちの背後から、己が顔を出して前方を確認したのは。焦って追いかけ、死に物狂いの反撃をくらう必要は無かった。


 我らの役割は、巻き狩りにおける勢子せこと同じである。獲物を追い立てれば、それで良い。本丸の周囲には、カンの軍勢がひしめいておるのだ。それでも、全軍が都城の内に入った訳ではなく、外に留まった部隊もおる。どこに隠れようと、いずれ見つかる。


 室内を通り抜けた先には、別の通廊があり、左右に通じておった。手分けして進むことにする。百人隊五隊ずつに別れ、左方を己が率いて進んだ。


 少し進むと上と下、どちらにも通じる階段があった。事前に入手した情報によれば、今我らがおる4階が最上階。となれば、上に向かうは屋上ということになる。


 それから再び盾をかざしつつ階段に近付く。


 上方から矢を射かけて来た。


「どうやら、上へ逃げたようだな」


 かたわらに来た百人隊長が話しかける。


「解せぬな」


「そうか? 上を取るは、戦の常道」


「しかしこの状況では、自らの逃げ道を塞ぐことになる」


「下に逃げようと、同じであろう。それに奴らは死を覚悟しておると聞く」


 我は、死を覚悟した者であっても云々との持論を展開する気は無かった。ゆえに提案する。


「そなたは百人隊4隊を率いて上に向かってくれ。我は念のために下を調べて来る」


「よし。あい分かった」


 その者は、功は既に己が手にあるも同然と想いなしたか、うながされるまま、号令も早々に、急ぎ上に向かう。


 我は自隊にかたわらによけて留まれと命じた後、おもむろに下を覗く。そもそも灯りが乏しいのに、そこは更に乏しいようで、暗く沈んでおった。そのゆえもあって、動く者の姿が確認できないのは仕方ないとしても。何の音も聞こえてこぬということは――我の見当外れか?


 とはいえ、確かめる必要はあろう。こちらの部隊は余るほどと言って良い。このまま下の階の捜索を続けても、問題にはならぬだろう。


 我は右方へ向かった隊へ伝令を発した。階段の存在と左方部隊の展開の詳細を伝えると共に、そのまま右方の捜索を続行せよと命じた。


 それから盾を持って、身を隠しつつ、少しずつ降りてゆく。直属の百人隊も後に続く。


 我は3階、そして2階、そして1階に降りた。途中の階に留まるとは想えなかったゆえだ。それなら、上階に逃げるはず。


 それから通廊にしろ部屋にしろ、手当たり次第に当たらせた。


 一人の者がこちらに駆けて来るのが見えた。ずい分と慌ててであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る