第37話 ブハーラー戦11:本丸戦3:亡霊2

  人物紹介

 モンゴル側

チンギス・カン:モンゴル帝国の君主


耶律やりつ 阿海あはい:チンギスの家臣。キタイ族。


ボオルチュ:チンギス筆頭の家臣。アルラト氏族。四駿(馬)の一人。

  人物紹介終了




 チンギスは問うた。


「何ゆえだ。何ゆえ、本丸攻めを望んだ。無論、問責しておる訳ではない。ただ他の将が尻込みしておる中、そなた一人が願い出た。何かの格別なる理由、それがあるのならば、聞きたく想うてのう」


 それに阿海は答える。


「そのことでございましたか。わたくしは何ゆえ呼ばれたのだろうか。果たして、わたくしの申し出は、もしや差し出がましいものであったのか。そのように心中、不安を抱いてここに参りました」


「我が心のうちは、軍議で述べた通りよ。あれには何の偽りもない。ただあの場で問うては、そなたが答えにくいかもしれぬ。それを危惧したのよ」


「さようでございますか」


「理由はあるのか」


「はい」


「なら、聞かせよ」


「前々回の軍議にて、ボオルチュ・ノヤンは、報告されました。『本丸を守る将に、グル・カンと称する者がおると』そのゆえでございます」


「もっと詳しく聞かせよ」


「グル・カンはキタイ、そしてその後のカラ・キタイの君主が代々冠したところの称号です。カラ・キタイの君主たりえる血筋は滅んだと聞きます。それゆえ、恐らくは、その滅びののち、キタイ勢の将がそれを僭称せんしょうしておるのではないか。それを憂うておるのです」


「それを許せぬと」


「というより、キタイ勢の将がカンに弓引くならば、それを滅ぼすのも、やはりキタイ勢たる我の務めかと想いなし、志願したのです」


 チンギスは、ムカリの願い出た称号について、阿海に問うたことを想い出した。この者と2人きりで話すのも、あれ以来。懐かしくも想うが、ただチンギスの今の関心はそこにはなかった。


「グル・カン」


 あえてそれを口に出す。ただその称号で思い浮かべるは、阿海のそれとは異なった。


(ジャムカ。


 あやつも、またであった。我とケレイトのオン・カンに対立する軍勢を糾合して同盟軍となし、その上で総大将に推されて、グル・カンとの称号を贈られておる。


 忌々しいことに、我の仇敵たるタイチウトと手を組み、未だ我に従うを良しとせぬ残りのモンゴル勢を自ら、とりまとめた。

 更には、その同盟する軍勢は、

 正妻ボルテの出身ながらやはり我に与するを良しとせぬ残りのオンギラト勢、

 東の大勢力タタル、イキレス、

 西の大勢力メルキト、ナイマン、

 北の大勢力オイラト、

 加えて、カダキン、サルジウト、ドルベン、コルラス

――と良くもこれだけ集めたものよと想えるそうそうたるものであった。

 あの時負けておれば・・・・・・


 ただ勝ったのだ。

 それに、何より、その後、紆余曲折があったとはいえ、結局、あやつを処刑したのだ。

 それが我への復仇の想いに駆られ、亡霊となりて、黄泉より来たり、我が前にたちはだかる・・・・・・。

 ありえぬことだ)


 他方で、チンギスは、その情報――それは降伏開城した住民勢より得たものであったが、その全てを軍議にて報告することを許してはおらなかった。隠された情報があったのである。


『その者はモンゴル勢であり、かつてチンギスの下におった』との。


(ジャムカ)


 いくら拭い去ろうとしても、まるで妄念の如くに己の内に湧き上がって来る。その度にありえぬ・・・・・・と想う。


 それにあやつは同盟者アンダであった。それを我の下におったと言えるのか。ただ、それは気にするほどもない、ささいな違いであることはチンギスも分かっておる。己が心がその妄念を否定するために、言葉をこねくりまわしておるに過ぎぬと。


 我が秘匿した情報とは矛盾するが、案外、阿海の推測が正しいのかもしれぬ、と想い直さんとする。ホラズム側に仕官の途を見つけようとした場合、かつて我の下におったと称した方が雇われやすかろう。


 ホラズムにモンゴル側に通じた者は少なかろう。情報入手という観点からも、のどから手が出るほど欲しいはず。


 キタイの将がそうした。ありえることではないのか。それとも、我は阿海の推測にすがろうとしておるだけなのか。


 その堂々巡りの中で、去ろうとしないあやつの名。


 チンギスはついに妄念を振り払うことはできず、まさにそれに駆られるままに、阿海に――入室の時から、ひざまずいたまま、姿勢を崩さぬ阿海に――命じた。


「できうるならば、その者を生きて捕らえて来い」





(チンギスと耶律阿海の話は、第1部第17話『この時のモンゴル 終話(カンとムカリ、そして耶律阿海)』にあります)

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