第35話 ブハーラー戦9:本丸戦1

  人物紹介

 モンゴル側

チンギス・カン:モンゴル帝国の君主


ジョチ:チンギスと正妻ボルテの間の長子。


チャアダイ:同上の第2子


オゴデイ:同上の第3子


トゥルイ:同上の第4子。


ボオルチュ:チンギス筆頭の家臣。アルラト氏族。四駿(馬)の一人。


シギ・クトク:チンギスの寵臣。戦場で拾われ正妻ボルテに育てられた。タタルの王族。


ジェベ:チンギスの臣。四狗の一人。ベスト氏族。


スブエテイ・バートル:チンギスの臣。四狗の一人。ウリャンカイ氏族。

  人物紹介終了


(注:『声編』は、ブハーラー戦を「ブハーラーの商人たち」を軸につづったもの、『本丸戦』は戦を軸としたものとなります。よって後文にあります通り、時系列としては、前後をなすのではなく同時進行です)


 まずは、本丸戦に至るここまでの概略を。


 モンゴルによる攻囲完了後、互いによる投石機戦が三日続いた。ただ三日目の夜に守備隊が姿を消した。住民は見捨てられたのであった。遂に恐怖が戦う気力を奪った。


 住民は急ぎ交渉のためにカーディーたるバドル・ウッディーンを派遣した。カーディーとは、ムスリムの服するところのイスラーム法シャリーアの裁判官である。


 交渉の目的は、開城降伏と引き換えに、何としても全住民の助命をチンギスに認めさせることであった。そして一度砲火を交えたにもかかわらず、幸いにしてそれは認められた。サマルカンドでの決戦を前にして、軍勢の損失をできるだけ抑えたいとのチンギス側の事情ゆえである。


 ヒジュラ歴ズル・ヒッジャ(第一二)月四日火曜日(西暦一二二〇年二月一一日頃)のことであった。〈太っちょ〉の命日ともなる。




 ただこれですぐに平穏な生活が戻って来た訳ではなかった。ここの本丸はスルターンが十年以上前に再建したものであった。そこに四百人の守備隊が立て籠もり――他の者たちと一緒に逃げ出さなかった者たちである――頑強に降伏を拒んでおった。


 本来なら頼もしきと想える者たち――わたくしたちを見捨てなかったのかと感謝をしてしかるべき者たち――その悲壮な覚悟に感嘆を憶えてもおかしくない者たちであったはずである。しかし今となっては、はた迷惑な存在であった。


 更にチンギスから恐ろしい命が住民に出された。本丸の周りを囲む堀を埋めるよう命じられたのである。従わなければ、殺すとして。


 住民は恐怖におののきつつ、本丸からの矢が自らの体に当たりませんようにと祈りつつ、土石・木・レンガを抱えては急ぎ足で堀へと走り、投げ入れるを繰り返した。大きなものは二人がかり三人がかりで。小さなものは袋やカゴなどに詰め込んで。運悪く矢を受けた者のところには、他の者が急ぎ駆け寄り助け出した。


 そうやって恐怖の務めが終わった。この日は、副長老の亡くなった日でもある。




 上記の堀を埋めるべくとの命が出され、住民たちが駆り出された日の朝。ゆえに話は少しさかのぼる。


「誰か本丸攻めを望む者はおらぬのか」


 ブハーラーの内城に移された軍議用の天幕の内にてのこと。南面して簡易な玉座に座るチンギスが問うた。


 その右横には末子のトゥルイが立った。他の王子はここにはおらぬ。ジョチはシル・ダリヤ沿いの諸城市の平定に赴いており、チャアダイとオゴデイはオトラル攻囲中であった。


 チンギスは対面して立っておる諸将を見渡す。1番前に1人のみ出ておるボオルチュを筆頭に、その後列に、シギ・クトク、ジェベ、スブエテイなどと側近や四狗の面々が顔をそろえる。


 しかし誰も「わたくしが」とは申し出ぬ。チンギスにも、その気持ちは分かる。攻城戦ゆえである。野戦ならば・・・・・・ということであろう。


 そしてもう一つ。恐らくこちらの方が理由としては大きかろう。次のサマルカンド戦である。そこにはスルターンがおる。皆、これの首を取りたい。そう想っておるに違いない。


 ここで自らが攻めを願い出れば、チンギスから軍を増援されるとはいえ、自兵が中心となる。自兵の損失が大きければ、サマルカンドで大功を得るどころか、それに挑むことさえできぬとなる。夢の、また、夢となる。


 こうなるのも当たり前と言えた。己が彼らの立場なら、やはり志願せぬであろう。指名せねばならぬか。ここは、金国にて攻城戦の経験があるジェベが良かろう。


 チンギスがそう決めようとしておった時、後列から一人の者が進み出て、ひざまずく。


「もし、よろしければ、わたくし耶律阿海やりつあはいが命を賜ることができうればと、そのように考えます」


(阿海か・・・・・・)


 相変わらず慎重な奴よ。恐らくすぐに名乗り出なかったのは、他の有力な将とかぶるのを嫌ってであろう。この者もまた古くから仕えるとはいえ、キタイ勢ゆえに、モンゴル勢よりなる側近・将よりはどうしても半歩下がらざるを得ぬ。


 そこのところをよくわきまえておるということであろう。またチンギスもあえてそれを踏み越えるべきとも想わぬ。下手に序列をないがしろにすれば、家臣団の統制の乱れにもつながるゆえに。


 とはいえ、他に誰も願い出てはおらぬのである。チンギスに異論のあろうはずはなかった。ただ、やはり、なにゆえ志願するのかとは想う。


「よかろう。よくぞ申し出た。そなたに任せよう」


 そう言って、更にはチンギスはあえて胸中の喜び――少なくともこれは偽りではなかった――を示すために、破顔してみせた。この後の言葉を、ここにおる諸将に変に勘ぐられぬためであった。


「この後、その攻めについて、少し話したい。後で我がゲルを訪ねよ」

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