第7話 C スルターンとカリフ 後編 

(注 第7話を3話に分割しました。内容は同じです 2022.2.9)


  人物紹介

 ホラズム側(ホラズム朝は代々スンナ派である)

スルターン・テキッシュ:ホラズム帝国の先代の君主。


テルケン・カトン:テキッシュの正妻。カンクリの王女。


マリク・シャー:先代テキッシュとテルケン・カトンの間の長子。


スルターン・ムハンマド:ホラズム帝国の現君主。先代テキッシュとテルケン・カトンの間の子。


ニザーム・アル・ムルク:スルターンの家臣。位は文官筆頭。(これは名ではなく、称号である)




カリフ・ナースィル:現カリフ。現アッバース朝君主。この時期はアッバース朝君主がカリフ(スンナ派の教主)であった。



ハサン:アラムートのイスマイール派(シーア派の一派)の現教主。(俗に言う暗殺教団である)



ムイッズ・ウッディーン:かつてのグール朝の君主。この時点ではグール朝は滅び、この者もまた既に亡くなっておる。


  人物紹介終わり







 後日その懇請こんせいを受け入れる形で、非難の数々は一つのファトワーにまとめられ、イマーム四人の連名にて公表された。ファトワーとは、自らの権威によってイマームが示す信仰の正しき道である。


 更にそこにてイマームたちはるべき最大の論拠、とはいえそれはスルターンやその臣下には軽々しく論じることができない問題、それゆえ会議にて取り上げられなかった件にまで踏み込んだ。


 カリフの資格を正面から問うたのである。カリフとは当代の最も権威あるイマームであればなれるものでも、最も聖者にふさわしいとして皆に認められておるからといって選ばれるものでも、イスラーム学の広範こうはんな習得を以てその資格を得られるものでもなかった。

 血の問題があった。カリフは予言者ムハンマドの出身たるクライシュ氏族に限られた。ムハンマドの叔父おじの血統たるアッバース家はこの点では十分に資格を満たしておった。

 しかし、それでは資格を有しておる者の中で、よりふさわしき者がおらぬかといえばそうではなかった。血筋の上で最上たるは、ムハンマドの従弟(年少のイトコ)であり第四代にして最後の正統カリフたるアリーの子ハサンとフサインの後継であるとされておった。まさにシーア派はこの血統を代々の教主とするのであり、スンナ派にとってもこの血統上の優劣は自明であった。何せ二子の母はムハンマドの娘ファーティマである。

 これを論拠とし、本来この血統の者がカリフとなるべきなのに、アッバース家がそれを強奪したのであると公然と批判したのである。


 スルターンはこれにのっとって、フサインの後裔こうえいたるティルミズのアラー・アル・ムルクを新たに次のカリフに任命した。他方でフトバ(大モスクの集団礼拝にての説教)から現カリフ・ナースィルの名を除くことを命じた。






 そして遂にスルターンは軍を西へと発した。


 ただ先のファトワーがあってさえ、カリフ・ナースィルその人へ軍を発することは。ただ都合の良いことに西にはカリフのみがおったのではなかった。かつてのセルジューク朝の遺臣たち、アター・ベグ朝と称される残存勢力が弱小であれ残っておった。スルターンはこれらの征討を理由に西へと軍を進めた。


 ただこの地方は既に先代テキシュが征討しており、実質的には改めての臣従を諸勢力、諸城市に求めたに過ぎなかった。まともな戦闘はファールスの領主サアド相手のみであり、これでさえサアド側が誤認したゆえであった。ホラズム・シャーだと分かるとサアドはすぐに臣従を示した。




 スルターンにまず立ちはだかったのはかつてない大雪であった。バグダードへ向けて進軍中の部隊はこれにより大損害をこうむった。




 そこに更にクルド勢を中心とする現地軍の攻撃を受けて壊滅し、スルターンの下にはわずかの兵しか戻らなかった。ただこれも理由のないことではなかった。そのスンナの信仰のあつさと代々のカリフに対する尊崇で定評のあるクルド勢ゆえに、スルターンの本当の目的に想い至ったのであった。


 そもそも先代テキッシュの時にホラズム軍はカリフ征討をなさんとしたことがあった。クルド勢はスルターンが親の妄執を引き継ぎ、愚劣きわまる野心を果たさんとしておるとみなしたのであった。無論まずもって自勢力の命と財産を守るために戦うのであるが、更に信仰心に駆られるならば、その攻撃は激烈なものとならざるを得ない。


 加えて普段クルド勢と反目しておる他の現地勢力までもが――こちらはただただ自らの身を守らんとしてであれ、それはそれで人を動かすものである――ホラズム軍を共通の敵として撃退するために、クルド勢の下に参集したのであった。ゆえに攻撃軍はふくれあがり、雪害で多くを失ったホラズム軍に対し、それを大きく上回る軍勢となり得たのであった。




 とはいえ、このはその意さえ有れば、十分に乗り越えられるはずのものであった。何せこの部隊を率いておったのはスルターン本人ではなく、壊滅したのは別働隊に過ぎない。旗下には未だ軍の半数以上が残っておった。また雪害に見舞われた部隊とは別の先遣隊も発しておった。十分に軍征は継続可能であった。


 本当のつまずきは己自身にあった。自らもまたその臣民の大多数もムスリムであることから、カリフに対して武力を以て降伏を強いる、攻め滅ぼすという最後の決断をなしえなかったのである。西方へと軍を発し己の武力を誇示しさえすれば、後はカリフの方から軍門に降るであろう、そうたかをくくっておったのであった。


 しかしカリフは悪辣あくらつではあれ、少なくともそうした脆弱ぜいじゃくさは持ち合わせておらなかったと見える。何よりこの者もまた決してスルターンがそれをなしえぬことに気付いておったに違いない。高みの見物とは行かぬであろうが、この者の冷徹な知性は自らの強みを正確に把握しておったろう。かつてのカリフがブワイフ朝やセルジューク朝に求めたり許したりしたことを、スルターンの野心をくじくことができると。


 結局スルターンはバグダードを攻囲することもカリフ軍と一戦まじえることもせぬまま、雪害を理由に遠征を中止した。表向きにはスルターンがこれを凶兆とみなしたゆえと。しかしその真情はむしろ引き退しりぞくく格好の口実を得られ、もっけの幸いというものであった。




(注 「集団礼拝の指導者やイスラームの学識優れた者をイマームと尊称する」ことは、スンナ派にのみ当てはまることです。シーア派はその教主をイマームと尊称します。

 本書のイスラームに関する記述は私の個人的な理解に基づくものです。また本書はあくまでフィクションです。正しい知識、十分なる知識をお求めの方は、コーラン、ハディース、専門書を参照して下さい。)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る