第12話 謀略1 カクヨム版

  人物紹介

 ホラズム側

スルターン・ムハンマド:ホラズム帝国の現君主。先代テキッシュとテルケン・カトンの間の子。


ニザーム・アル・ムルク:スルターンの家臣。位は文官筆頭。(これは名ではなく、称号である)


イマド・アル・ムルク:スルターンの重臣。先のイラク遠征後、ルクン皇子のアター・ベグに任命された。


イナルチュク・カン:オトラル城主。カンクリ勢。

  人物紹介終了



 白のターバンに白の上下をまとう老人は、その邸宅の門を出るや否や、振り返り癇癪かんしゃくを爆発させた。


「あの男には、この件の前金として特大の緑石の指輪を渡したのだぞ。更には毎月の初日には金貨の付け届けも怠らなかった。それを一言もなくウルゲンチに帰っただと」


 その眼前には既に閉められかけておる美しく透かし彫りした木製の扉があった。


「これもまた我らの金で造らせたものであろう」


と聞こえよがしに更に言いつのる。


 それでも憤懣ふんまんは去らなかったようで、カァーとばかりにツバを吐きかけようとした。しかし、誰が見ておるか分からぬと想ったのだろう。慌てて顔をそらし、半ば出かけておったツバをそちらに吐いた。


 その者の脇を支える若者――この者は何の身体の特徴もなければ、そのまま〈何の身体特徴もなき者〉と呼ぶことにしよう――はそのツバを避けるために、顔を下げるしかなかった。何せ手を離そうものなら、老人は倒れかねなかった。


 全てはこの老人――長老シャイフと呼ばれておった――の下に、昨日1報がもたらされたことに始まる。


 モンゴル使節団がサマルカンド門よりブハーラーを出たと。それでこの件について結果が報せて下さいと頼んでおったニザーム・アル・ムルクの屋敷に来てみれば、このざまであった。


「皆を呼べ。至急に対策を練らねばならぬ。やっかいなことになるぞ」




 そもそもこの者たちは、モンゴルの使節団が和平協定の締結のために来ておることは、随分前に把握しておった。それが両国間の交易を大々的になすことを目的とするものであることも。


 そしてモンゴルの隊商がスルターンの締結合意を待ってサイラームに留まっておるとの情報は、北より帰った同業者により二ヶ月ほど前には既にもたらされておった。


 ただスルターンがいかなる結論を出すか分からぬ以上――というより、これまでの経緯からスルターンは十中八九断るであろうとみなしつつも――成り行きを注視しておったのだった。


 この者たちはニザームとは既に浅からぬ仲となっており、宮廷内の情報を得るのに常日頃から大きく依存しておった。ところが、ニザームは次の協力者として頼りになる人物を紹介することもなく、去っておった。




 この件の最初の会合。この者たちの常で、長老宅に集った。


 そしてあっさりと次の如くの結論に至った。モンゴルとの和平協定が結ばれたのなら、例え数日遅れであっても公布されるはず。とりあえずそれを待つことにした。




 しかし待てども、公布はなかなかされなかった。ならば結局締結されなかったのでは、と想いたかった。しかし、スルターンからの贈り物とおぼしきものを馬車や牛車に満載して去るモンゴル使節団の姿を、多くの者が目撃しておった。




 公布がされぬまま開かれた二度目の会合。


「ニザームの解任により宮廷の事務処理は混乱に陥っており、それで公布されないのでは」


との懸念が〈くちびるうすき者〉より出された。


 それに他の協力者からかき集めた情報を勘案すると、どうも締結されたようであった。そこで確認のために、恐れながらとして宮廷におうかがいを立てた。ただ返答は得られなかった。


 ゆえに再び各々の持つ協力者より情報を仕入れるべく試みた。




 その結果を持ち寄った三度目の会合。その各々が報告するところでは。


 大物の協力者を有する副長老いわく、


「スルターンはモンゴル人の使節の一人を次の夜にあらためて呼び出し、二人きりで密談したと。そこでいかなる話が交わされたかは、未だスルターンの口からは明らかにされておらず、ただモンゴル使節に返礼品として、これこれの贈り物を授けるよう命があったとのこと」


 この集団にては年齢もその立場も副長老の次に位置すると言って良い〈ふとっちょ〉いわく


「宮廷内ではニザーム解任後、臣下のスルターンを恐れる気持ちはおり、よほどの必要に迫られなければ、誰も進んで近付こうとせぬという。ましてや何であれ、こちらからスルターンに問うなどありえないと断言されました。」


 誰かがそう指示した訳ではなかったが、こう続くと年齢順の発言になるのはいつものこと。


 次に若い、といっても年の頃は中年。その者は、皆が手を伸ばさぬ中、ただ一人テーブルの皿に盛られた干しプラムを間断無く口に運んでおった。その神経質そうな〈やせぎす〉いわく、


「臣下の間でささやかれておるのは、スルターンはカリフ征討の失敗の腹いせに、ニザームを解任したに違いない。しかし、それでもなお気が済まず、更なる犠牲者を求めておるとのことです。

 そして最もニザーム、そのはけ口となっておったニザームがいなくなった以上、あるいは次は己かも知れぬと皆、戦戦兢兢としておると」


 そこで改めて宮廷内に何人かおる協力者に、それもスルターンに声をかけることのできる立場におる協力者に前金を渡して頼んでみることに決まった。




 各自がそれをなした後の四度目の会合。

 若い〈デコの広い者〉いわく、


「遠国のモンゴルとのことなどを尋ねて、身を危険にさらす者など一人もおらぬとの返答でした」


 副長老いわく、


「そなたらは何故そんなことを聞きたがるのだと、逆に質問される始末」


 長老いわく、


「よほどに何も答えることがなかったのか。あるいは、何かと想ったかは分からぬ。

 ただ我が得たは、今のスルターンに何か言えるのは、イマド・アル・ムルクくらいであろう、という何の足しにもならぬ助言のみ。そもそもイマドが遠征につきしたがってイラクに留まったことは、皆の知るところ。おらぬと分かっておろうに。

 更に言えば、あの者の清廉潔白なる性格を知って、あえてそう言うのかとの疑念さえ抱くわ。我自身何度か試みたが、あの者には何らのつながりを得ることもであったわ」


 遂にそう吐き捨てて、それに区切りを付けた後、


「一体どうするか」


と長老が改めて皆に問うた。


 それに真っ先に答えるを得たは、副長老であった。


「すぐに動くべきと考えます。もし本当に協定が締結されたのならば、モンゴル隊商のホラズム入りを許すことになります。そうなってしまっては、全てが後手後手に回りかねません。後の対応がむずかしくなりましょう」


「そんなことは分かっておるわ」


と長老の怒声が響き渡る。


 ただ副長老はそれに屈することなく続けた。


「これは従来から、もしもの時の備えとして提案しておりました。やはりオトラルの城主たるイナルチュク・カンの下に、早々に赴かねばならぬと考えます。どうしてもモンゴルの隊商より先に、そこに至る必要があります。そして隊商を足止めするよう、説得したく想います」


 そこで〈太っちょ〉が付け加える。


「そして長老も御存知の通り、我らとてスルターンが和平協定を締結した場合について、全く考慮しておらぬ訳ではありませぬ。お怒りを静めていただくために、改めてそれを説明致します。

 使節団がオトラルからサイラームに至り、協定合意を報せ、それから隊商がそこを発しオトラルに到着するだけで十日ほどかかります。

 更にはサマルカンド経由の隊商が通常取る経路を、使節団は帰還するものと想われます。

 対して我らはキジル・クムを突っ切るという計画。その地は水を得るのが難しく、ゆえに隊商も余り採りません。しかし、おおよそまっすぐ進めますゆえ、その分、全行程の距離は短くなります。加えて地は平坦ゆえ、一日あたり長く進めます。

 サマルカンド経由に比べれば六、七日ほど早く到達できましょう。

 あわせて十六、七日の余裕はあります。

 加えて使節のペースは遅いはずです。何せ、スルターンからの贈り物を運ぶ荷車がおるのに加え、ホラズム側の護衛も付きます。例え使節がそれを望んだとて、そうそう急ぎ帰るという訳には行かぬでしょう。身軽な騎馬にて進む我らの方が、確実に早いと考えます」


 長老の性格を良く知るゆえか、〈太っちょ〉はことさら詳細に説明した。そして、まさにそのゆえであろうか、長老は落ち着きを取り戻した。それを見て、副長老が再び口を開いた。


「そしてモンゴルの使節が出発してから数えて、まさに今日で十日です。残念ながら先に言いました余裕の半ばは、失われております。至急に発つべきです」


「ならば誰が行くか」


「これもやはり以前から提案しておりました。わたくしがひきいたく想います」


 それから副長老は、他に誰が行くべきかを指名した。長老は反対を示さず、また指名された者たちも拒むことはなかった。


 ゆえにつのは、明日の朝の都城の門の開く刻限とした。それまでに各々が替え馬、食糧、水を用意してサマルカンド門に集まれとして、解散となった。


 まだ幸運が残っておることを皆に印象づけようとしてであろうか、副長老は声を一際大きくして、次の如く付け加えた。


「しかしこうなってみれば、公布がされておらぬことは、かえって我らに有利と言えましょう。最悪、モンゴルの隊商が我らより先にオトラルに至っても、イナルチュク・カンがひとまず足止めし、入国の是非をスルターンに求めるのではと期待されます。無論、我らはあくまでモンゴル隊商より先にオトラルに入るべく努めます」


 あたりは既に夕暮れに包まれておった。日没の礼拝の時刻は近い。しかし、出発の準備をせねばならぬ者たちが、モスクへ寄るべく誘い合うことはなかった。




補足 サマルカンド門といっても、この場面の舞台はあくまでブハーラーです。西域では、その向かう先の地を、門の名とする伝統があるのです。無論、常にではありません。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る