第7話 A スルターンとカリフ 前編

(注 第7話を3話に分割しました。内容は同じです 2022.2.9)


  人物紹介

 ホラズム側(ホラズム朝は代々スンナ派である)

スルターン・テキッシュ:ホラズム帝国の先代の君主。


テルケン・カトン:テキッシュの正妻。カンクリの王女。


マリク・シャー:先代テキッシュとテルケン・カトンの間の長子。


スルターン・ムハンマド:ホラズム帝国の現君主。先代テキッシュとテルケン・カトンの間の子。


ニザーム・アル・ムルク:スルターンの家臣。位は文官筆頭。(これは名ではなく、称号である)




カリフ・ナースィル:現カリフ。現アッバース朝君主。この時期はアッバース朝君主がカリフ(スンナ派の教主)であった。



ハサン:アラムートのイスマイール派(シーア派の一派)の現教主。(俗に言う暗殺教団である)



ムイッズ・ウッディーン:かつてのグール朝の君主。この時点ではグール朝は滅び、この者もまた既に亡くなっておる。


  人物紹介終わり




 チンギス・カンが和平協定の使者を発した少し後のこと。


 無論スルターン自身は、そんなこととはに、サマルカンド宮殿の謁見えっけん室にて軍征のための会議を開いた。


 時折ときおり、窓よりの風が吹き入り、すずしさと共に中庭で遊ぶ己の子供たちの声を室内まで届けておった。長じた者は長子ジャラール・ウッディーンを筆頭に既に軍務などを委ねられる年齢に達しておったが、年下の子は未だ年端としはも行かぬ。


「大セルジュークを引き継ぐホラズム・シャーの帝国、そのスルターンに対してならば、あの御方おかたも譲らねばならぬことがあるは良くご存知でしょう」


「またこれは御父君ごふくんテキシュ様以来の宿願でもあります」


「あの御方に本来の神聖なる務めに戻って頂くことは、わたくしたちムスリムのなすべき務めでもあります」


 スルターン・ムハンマドは満足げに臣下たちの言葉に耳を傾けておった。あの御方と遠回しに言われておるのは、バグダードにおるカリフであった。スルターンが次に対処せんとするはこの者であった。


「我も決して望んでなす訳ではない。ただ何ゆえか、あの御方はホラズム・シャー家を仇人あだびとの如くにみなしておるゆえ、これも致し方なきこと」


とスルターン。


 スルターンはカリフの野心、その謀略を好むさがを攻める足がかりとした。なぜならスルターンも同類であったゆえ。


 じゃの道はへびともいう。カリフの心中はまさに手に取るように分かる気がした。


 そして類は友を呼ぶともいう。スルターンの周りにはやはりそうした者が集まっており、ゆえに謀略の協力者に事欠ことかくことはなかった。


「残念ながら、あの御方が神への務めのみで満足することはありますまい。恐らくはアッバース朝の再興、名君カリフ・ハールーン・アッラシードの御代みよを再びというのがあの御方の心底にある野心かと」


「確かにかつてのカリフの如くとなりたいのでしょう。信仰においてのみではなく、政治や軍事においても指導者でありたいと」


「それはブワイフ朝の更に前のことであろうが。時代遅れもはなはだしい」


「まことに。最早世俗せぞくのことを託すに最も望ましき人物たるスルターンがおられる以上、それは時代遅れというのみではなく、誤っておるとさえ言えましょう」


 臣下の口撃は止まらぬ。何よりそれがスルターンを喜ばせることを知っておるからに他ならぬ。


 権威に楯突くことはホラズム・シャー家代々の伝統とさえ言って良い。それでも公然とスルターン自身がカリフを批判することは。それをなすのもまた宗教的権威でなければならなかった。スルターンではそれは持ち得ようもない。


 教祖ムハンマドはあくまで予言者として神の言葉を伝えた。その死後、ムスリムの指導者の地位はカリフが継ぐも、宗教的権威の方は時の経過と共にイスラームの広がりと共に宗教指導者たちに分かち持たれて行った。その代表的な存在である集団礼拝の指導者やイスラームの学識すぐれた者はイマームと尊称された。


 会議にはスルターンに忠実なイマーム、協力的なイマームが四人呼び集められておった。


 他方でスルターンは進んで己の意に沿おうとせぬ者たちについては、既に対処しておった。偶然であれ、その説教を聞きたくはないとして、自らが立ち寄る可能性のあるサマルカンドやブハーラーにおるを、地方の城市に、己の目に入らぬところへと追放しておった。例えばイマームの中で際だって指導的な権威を有する者のみがなるところのシャイフ・アル・イスラームであったジャラール・ウッディーンを筆頭として。


「神は我らにあの御方との良好な関係をもたらしてはくれなかった。しかし幸いにして多くのすぐれたイマームをこの地に送られた。そしてその方々は今ここにおられる。神の恩寵である。ぜひお言葉をお聞きしたい」


とはスルターンの誘い水であった。そして魚心うおごころあれば水心みずごころとの言葉もある。また臣下の言葉を聞けば、何を言うべきかを当然察したようであり、


「イスマーイールをあがめる異端の教主ハサン、その見えいたスンナへの改宗を、あの御方は受け入れました。

 ここまではかもしれません。許し難きことはハサンがその改宗をおおやけにしたいとの考えからなされたメッカへの巡礼団の派遣において起きました。あの御方はハサンの旗と巡礼団をより常に先行させました。その長きにて巡礼者や街道沿いの住民は多くその様を目にしたことでしょう。

 これまで異教徒からイスラームの地を守るために、スルターンは身命をしてこられた。そのスルターンに対しての余りにもふさわしからぬ行い。もしスルターンがおらねば、この地はとうにカラ・キタイやグチュルクのものとなっておりましょうに。それに感謝し名誉の称号とローブ(ゆったりとした長衣)を贈るのが当然というもの。

 それがあのような扱い。何たる侮蔑ぶべつ。かような行いを続けていては、この後、果たして誰がイスラームのために聖戦ジハードに赴くというのか。誰がイスラームの地を命を賭けてまで守ろうか」


 イマームの一人がつばを飛ばしてそう訴えれば、


「それに劣らぬ許し難きことがあります。あの御方は、異端がアラムート山にて育て上げた暗殺者をもらい受け、そのまがまがしき手段によりスルターンの家臣を幾度となく襲わせたと聞き及びます。その中の一人は命を落としたと。まことでしょうか」


 二人目のイマームはのどに力を込め、最後にしわがれ声を更にしわがれさせて、そう問うた。


 スルターンが答えた。


「我をしたう余りホラズムに帰付したイグラミッシュが、その凶刃きょうじんに倒れました。その魂に平安あれ。残念ながら、あの御方は我を慕うという理由だけで、我に向けるのに劣らぬ悪意を示しなさる」


「更にあの御方はメッカの支配者の兄弟にも同様の行いをなしております。それはメッカ巡礼のただ中、慈悲の名を冠する山にて起きました。巡礼者として聖なる務めを終えた後のこと、皆がそこを足早あしばやに去らんとするそのにまぎれてです。まさに異端の徒にならうが如くの行い。

 その者が倒れ伏し血を流す様を目撃した者がおりました。にもかかわらず、人とぶつかって転んでしまい、たずさえた水筒から水をこぼしたのであろうと想ったということです。聖務の終わる刻限からして、夕日が全てを朱色に染め上げていたということもありましょう。しかし、何よりそこで殺人が起きるとは誰も想像せぬゆえであるは明らかです。

 あの御方はよもや神が全てを見ておられるということを果たして忘れ去られたのか」


 三人目のイマームはそう告げた後、その発言がわざわいを招くと恐れる如く、あわてて神をたたえる言葉を口にした。


「忘れてはいけませぬ。あの御方はスルターンの兄マリク・シャーの命まで奪いました」


 臣下の一人が急ぎそう付け加える。


 しかしイマームたちはそれを疑わしく想うところがあったのか、言及を避けた。


 先とは異なり、スルターンも発言せぬ。


 それもあって室内をしばし沈黙が支配した。


 四人目のイマームが、改めてコーランの開扉の章を唱えた後に


「あの御方をカリフと呼ぶことの非を、わたくしはスルターンに訴え続けて来ました。今日ここに集まられた方方は、それを良く理解しておられるようです。まことに幸いなること。これもまた我らが神の恩寵おんちょうの下にある証。皆様にならば、次のことを伝えるのに、何ら躊躇ちゅうちょする必要はないでしょう」


 ここでその者は、間を置き一つ大きく息を吐いてから告げた。


「新たなるカリフの擁立ようりつこそ、神はスルターンにお命じなされております」


 そこまで聞くと、遂にスルターン自らが、カリフの己への明確な害意の証拠を改めて皆に告げ報せた。かつてガズナを攻略した際に、その宝庫にて発見した手紙である。

 これにてカリフは当時のグール朝の君主ムイッズ・ウッディーンにホラズム・シャーを討つべく訴えておったのだ。ムイッズはまさにスルターンと激しく覇権を争った人物であり、カリフがとしたのがスルターンであるは明らかであった。

 この時ばかりはスルターンも怒りに包まれたが、それでもいずれカリフを征討すると内に決意するに留め、この手紙の公表さえ控えておったのだ。そして遂にその時が来たと判断したのである。

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